4.千春
「今日の夕飯はオムライスだよー!」
「それ、フユのリクエストだろぜったい」
フユくんとスーパーから帰り、キッチンで麦茶を飲んでいたナツくんとアキくんに夕飯のメニューを発表したところ、アキくんから「フユずりぃ」と文句が出た。けれど、アキくんもオムライスは好きなのでメニュー自体に不満はないようだ。
「今度アキくんのリクエストも聞いてあげるって」
「じゃあ次はオレが決めるからなー」
「リツ姉!オレもオレも!」
「はいはい、次がアキくんで、その次はナツくんねー」
わかったわかったとふたりに頷き、買ってきた食材をエコバッグから取り出す。牛乳を机に置き、他の食材は冷蔵庫にしまった。
「あとデザートにミルクジェラートも作るよー」
「やったー!オレ、リツ姉の作るお菓子とかアイスすっげえ好きー!」
にぱっ。ナツくんが屈託のない笑顔でわたしを見上げた。神崎ママほどの腕はないが、こんな風に喜んでもらえるとわたしも嬉しい。お礼を告げてナツくんの頭を撫でる。
「オレもリツ姉のメシは嫌いじゃねーよ」
「ん、オレも好き」
アキくんとフユくんまで嬉しいこと言ってくれるぜ!
ありがとね!ありがとね!!と鼻息荒く、喜びをあらわにふたりの頭も撫でる。三人ともほんと可愛い。中学に上がったら距離を置かれるのかもしれないが、あと半年はおねーさんに懐いていてほしいものだ。
ひととおり撫でて満足したところで、三つ子たちをリビングに送り出した。
さて、デザート作りに取り掛かりますか。粉や調味料がしまってある戸棚を開け、グラニュー糖とバニラビーンズを取り出す。さすが神崎ママ、バニラビーンズの他に寒天やゼラチンも常備されていた。冷蔵庫に生クリームもあったが、今回はあっさり風味にしたいので使わないことにする。
バニラビーンズを包丁でしごき、牛乳とグラニュー糖の量をはかり、材料を鍋につっこんでコンロでくつくつと煮る。甘いにおいがキッチン内をふんわり包み込んだ。しばらく煮込み、冷やした布巾の上に鍋を置いて粗熱を取り、ほぼ常温まで冷めたところで器に注いで冷凍庫に入れた。あとは数時間後に何度か混ぜつつ、固まるのを待つのみだ。
「で、きみたちはなにしてんの」
「明日の準備だぜ!」
「泳ぐ準備万端って感じだねー」
わたしがジェラート作りに勤しんでいる間に、三つ子くんたちはリビングを散らかしていた。床には水着、ゴーグル、浮き輪、タオルなどが置かれている。
明日はみんなでプールに行く予定だ。わたしがこのバイトを引き受ける前から一緒に行く約束をしていた。その準備を前日のうちに済ませてしまおうということか。えらいえらい。でも夕飯までには散らばってるもの全部カバンに詰め込んでほしい。これじゃ足の踏み場がない。
明日行くのは、電車で二駅先にあるプールだ。たしか、わたしが小学生の頃に建設された。ウォータースライダーや水着のまま遊べる遊具などがいくつもあり、毎年友達や神崎兄弟と行っている。
「オレうきわに乗ってすべるスライダー乗りてえ!去年すっげえおもしろかった!」
「あの一番上から降りてくるやつだろ? 一人乗りか二人乗りか選べるやつ」
「そうそれ!フユもあれ好きじゃん!」
「ん、あれ楽しい」
明日のプールに目を輝かせる三つ子たち。ナツくんは子犬みたいにはしゃいでるし、普段は大人びたマセガキ千秋くんもこういうところは年相応で可愛い。フユくんも表情はやっぱり変わらないが、そわそわしているのが目に見えてわかる。
みんな可愛いなー。おねーさんは三つ子くんのその顔を見られるだけで幸せだよ!
うへへへへ。無意識に頬の筋肉がゆるっゆるになった。しかし先日友達に言われた「アンタが不審者として捕まらないか心配」との言葉が脳裏を過ぎる。
……あっぶね!まだ変質者扱いはされたくないぞ!
キュッと顔の筋肉に力をこめる。だが数秒と持たずに再度緩んだ。あ、むりです、目の前に可愛い三つ子くんがいるのに真顔になんかなれるわけないです。
まあ、ほら、あれだ。三つ子くんたちに避けられない程度のだらしない顔ならセーフだろ。潔く開き直ることにした。
ガチャン。三つ子くんたちの和気藹々とした様子を眺めていると、ふいに玄関からドアの開く音が聞こえてきた。
「ただいまー」
「あ、ハル兄だ。おかえりー!」
「ハル兄おかえりー」
「おかえり」
ハルくんの声が聞こえるや否や、三つ子くんたちがリビングを出ていく。わたしもその後を追い、帰宅したハルくんを出迎えた。
「おかえりハルくん」
「あ、りっちゃん。そっか、今日からうちのこと手伝ってくれるんだっけ」
「そうだよー。一週間よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします」
にこり。ハルくんが笑って、礼儀正しくお辞儀をしてくれた。
神崎四兄弟の長男、千春くんは温和で優しくて面倒見が良い中学三年生だ。成長期なのか、この一年でぐんぐんと背が伸び、いつの間にかわたしよりもだいぶ大きくなってしまった。ちょっと悔しい。
「あ!」
ふと、ハルくんの様子を見ていたナツくんが、はっと目を見開いてわたしを見上げてきた。急にどうしたんだナツくん。
「リツ姉!」
「はいなんでしょーか」
「ハル兄見て思ったんだけど、オレ、まだちゃんとリツ姉によろしくって言ってねえ!」
言うや否や、わたしの両手をナツくんの両手が握りしめる。ぎゅう。自分のものより僅かにちいさい手に包まれ、わたしもじっとナツくんを見下ろす。
「よろしくなリツ姉!」
「こちらこそよろしくねナツくん!」
「夜も花火とかしていっぱいあそぼーな!」
「おう!もちろんだ!」
「忘れられない夜にしてやるぜ!」
「ちょっと待て。誰だナツくんにそんな言葉教えたの」
なんかニュアンスの取り方を間違えたらアウトー!という文章がナツくんの口から出てきたんですけど。おねーさんびっくりなんですけど。
犯人の予想はついている。ちらり。アキくんを一瞥すると親指を立ててイイ笑顔を見せた。おいこらそこのマセガキ。自分の兄弟に変なこと吹き込むのやめなさい。あとフユくんも意味わかってないのにアキくんのマネして親指立てるのやめなさい。グッじゃねーよ。グッじゃ。
三つ子に言いたいことは多々あるが、玄関で話し込んでいてはハルくんも休めない。ひとまずみんなでリビングに向かうことにした。
「アキくんはどこでああいうことを覚えてくるの?」
「なんのことだかわかんねーや」
「このマセガキめ……」
「えー」
「えーじゃありません」
「……だって」
「だって?」
「オレ、早く大人になってリツ姉に釣りあいたいんだもん」
困らせてごめんね?
さっきナツくんがしたみたいに、わたしの手を両手で包み込むようにして握りしめ、小首を傾げて上目遣い。絶妙な角度である。可愛い以外の言葉が出ない。
はいはい全部許しますよ!!これだから小悪魔は!!可愛いなちくしょう!!
アキくんが「リツ姉ちょろい」とかなんとか言っていたが聞かなかったことにする。夕飯の準備をしようと心のスイッチを切り替え、ついでにキッチンで米を研いで炊飯器のスイッチもオンにした。
あ、そうだ。麦茶も作っとこう。
夏場の必須アイテム、麦茶。冷蔵庫には容量二リットルのアクリル製冷水筒が二本入っているが、夜にはなくなるだろうと予想される。水分補給大事だしねー。夏に飲む麦茶っておいしいしねー。わたしも飲むし、もう一本作っとこう。でっかいヤカンに水を入れ、コンロに火をつける。
カラカラ。カラカラ。ヤカンが立てるちいさな音を耳に流しながらコンロの前でお湯が沸くのを待つ。およそ三分ほど経った頃、いつの間にか部屋着に着替えたハルくんがキッチンにやってきた。
「りっちゃん、何か手伝うことある?」
「麦茶作ってるだけだから大丈夫ー。あ、ハルくんお腹すいた? 夕飯早めに作ろうか?」
「ううん、帰る前にお菓子もらって食べたから平気。今日の晩ご飯なに?」
「フユくんのリクエストでオムライスでーす!」
「ほんと? オレもオムライス好きだから楽しみだなあ」
「頑張って作るのでお世辞でもおいしいって言ってください」
「え、りっちゃんのご飯、お世辞抜きでおいしいよ」
ハルくんがきょとんと眼を丸くする。本当に、心からそう思ってます、という表情だ。正直で素直な性格のハルくんは嘘をつけない。嘘をついたとしても顔に出るのでだいたいばれる。
えっへへー。自然と頬が緩む。ハルくんの言葉って嘘がない分嬉しいなあ。神崎ママと一緒に料理をしているときも楽しいが、ハルくんたちがおいしそうに食べてくれると心が弾む。
「あ、そういえばハルくん、部活って今日までだったよね?」
「うん。と言っても公式試合は先月で終わってるし、今日は引退式っていうか、お別れ会みたいなのしてもらったよ」
「そかそかー。二年半お疲れ様です。部活に行かなくなると時間に余裕できるし、なんか物足りなくなるよねえ。ハルくんサッカー部だったから体動かす機会も減っちゃいそうだし」
「まあでも、受験勉強もしなきゃいけないしね」
「…………ソ、ソウダネ!」
「りっちゃん、目が泳いでる」
だって!受験勉強ってわたしにも待ち受けてるものなんですよ!すでに夏期講習に通う子たちがいることを思えば、出遅れてるんですよわたし!
まあ、勉強より神崎兄弟と戯れるほうが大事なのでしかたない。青春は一度きりなのだ。同じように、三つ子くんやハルくんと遊べる夏もこれが最後になるかもしれない。みんないつ反抗期がくるかわからないし。わたしは今を大事にして、大学はありのままの脳みそで行ける学校に行きます。
「りっちゃんは勉強できるから大丈夫だと思うけど」
「わたしテストの点はそこそこいいけど、一夜漬けタイプだからテストが終わると同時に忘れるんだよ……。受験の前に詰め直さなきゃいけない」
「今から詰めるって選択肢は?」
「ない!わたしはハルくんたちと楽しい夏休みを過ごしたい!」
なんていうか、あれだ、わたし、一時的な快楽に身を任せるダメな大人になりそうだな。冷静に自己分析すると悲しくなった。
しかし、わたしの胸のうちなど知る由もないハルくんはふんわりと破顔する。嬉しいなあ、という顔だ。ナツくん同様、表情豊かなハルくんの感情は手に取るようにわかる。だが何に喜んでいるのかまではわからない。
「ハルくん、なんか嬉しそう」
「え? あー、うん、その」
指摘してみれば、ハルくんが少しばかり言いよどむ。なんだなんだ、言いにくいことなのか。ハルくんはとうとうおねーさんに隠し事するようになってしまったのか。大人の階段を上るのはせめて夏休みが終わってからにしてください。わたしはまだハルくん離れするための心の準備ができてません。
じぃっ。一年前よりずいぶんと高くなってしまった顔を見つめる。ハルくんはわたしの視線に根負けしたのか、口を開いてくれた。
「なんていうか」
「うん」
「オレ、去年も一昨年も夏休みは部活で忙しくて、ナツたちみたいにりっちゃんと頻繁に会えなかったからさ。今年はりっちゃんとずっといられて嬉しいなあって思って」
照れくさそうに笑い、ハルくんは頬を掻く。実は去年も一昨年もナツたちがうらやましかったんだよなあ、と。はにかんだ笑顔で続けられ、胸の中でぶわりと感動が湧き出る。
ハルくん、可愛すぎるだろ。
こんな可愛い生き物いていいのか。キッチンカウンターに手をつき、下を向いて口元を抑える。可愛い。可愛すぎる。ハルくんの成分って可愛さが十割を占めてるんだろうなっておねーさん再認識しました。
「ハルくん可愛すぎる……!」
「え!オレ、もうりっちゃんより背も高くなったのに、可愛いはないでしょ?!」
「可愛い。ものすごく可愛い。ひたすらに可愛い」
断言する。ハルくんは可愛い。
三つ子くんたちも可愛いが、三人とはまた違った可愛さだ。十人十色とはよく言うが、神崎兄弟ほんとすごいな。個性あふれた可愛さを持っている。すごい。
可愛いを連呼するわたしに、えー、と苦笑するハルくんだったが、唐突に「ひらめいた!」みたいな顔をして両腕を伸ばしてきた。ハルくんの両腕。背が伸びるにつれ、少しずつ筋肉をつけていったそれは昔と比べて随分とたくましい。脚も同様だ。
ぱちぱち。ハルくんの意図を掴めず、目を瞬かせて次の行動を待つ。しかし、それがいけなかった。予想もしてない事態が待ち受けていたのだ。
ハルくんの片手がわたしの肩を掴み、もう片方は下から掬うようにして膝裏へと差し入れられる。そしてそのまま―――持ち上げられた。
「ほら、りっちゃんを抱き上げられるくらいには成長したよ、オレ」
「……」
「りっちゃん?」
ハルくんがわたしの顔を覗き込んでくる。あどけなさを残しながらも、精悍な面立ちになりつつあるハルくんの顔。かっこよさをどんどん増していくハルくんの顔が、近い。近すぎる。いや、待て、その前になんでこんな体勢になってるんだ!!
ボンッ。顔から火が出るとはまさにこのことだ。ハルくんに姫抱っこをされるなんて夢にも思わなかった。驚きやら恥ずかしさやらが相まって、赤面してしまう。
ハルくん、いつの間にこんなに男前になったんだ……さっき可愛さ十割とか思ったけどあれ違ったわ……。熱くなっていく頬を隠したくてハルくんの首筋に顔をうずめる。
「ハルくんのばかあ……!」
なんでこんな心臓に悪いことをするんだ。惚れたらどうしてくれる。そんな思いを込め、悔し紛れにぼそりと呟く。すると、急に頭上からハルくんの慌てた声が降ってきた。
「……うわあああああありっちゃんごめん!オレ何やってるんだろう!!ほんとごめん!!」
慌てながらも、優しくゆっくりと床に下ろされた。足を床についてハルくんを見上げれば、わたしに負けないくらい、ハルくんの顔も真っ赤になっていた。どうやら自分の行動に驚いているらしい。
あのね、ハルくん。可愛いかかっこいいかどっちかにしてくれねーかな!
最後にはこんな風に慌てるハルくんはやっぱり可愛い。可愛いのだが、さっきのアレは可愛い要素ゼロだった。かっこいい要素しか見当たらなかった。三つ子もギャップという名のカウンターを食らわせてくるが、ハルくんはフルカウンターだな。捨て身もいいところだ。その分威力もでかい。おそろしや。
「……ハ」
「ハ?」
「ハルくんがおねーさんの純情をもてあそんだー!!」
一度速まった鼓動はなかなか静まらず、顔の火照りも早々には引いてくれない。お互い赤く色づいた頬のまま「ハルくんのばかー!」「ごめん!」というやり取りを繰り返す。すぐ傍のコンロではヤカンがピィピィと沸騰の合図を鳴らしていたが、それを止める余裕なんてあるはずもなかった。




