3.千冬
八月初旬。日に日に暑さは増していき、外では蝉がけたたましく鳴いている。待ちに待った夏休みは十日ほど前に始まったが、その間の時間のほとんどは宿題の消化に費やされた。山のようにある宿題。地道に毎日取り組めば終わる量ではあるが、わたしは神崎兄弟と過ごす時間を満喫したい。宿題なんぞに気を取られたくはない。
なれば早々に片付けておかなければ!神崎兄弟たちとの楽しい夏休みライフのために!!気合を入れて取り組んだ結果、昨日までに半分ほどが終わった。ねえママン、わたし、やればできる子だったよ。
よっしゃ!これで心置きなく神崎兄弟と遊べる!と上機嫌で迎えた本日。この前のアキくんの提案通り、今日から一週間ほど神崎家でバイトをすることになっている。神崎ママから頼まれているのは、昼食と夕食の準備、掃除、そして兄弟四人の宿題の見張りだ。洗濯は神崎パパ、朝食の準備は兄弟たちでしてくれるらしい。
今日の昼食は神崎ママが外出前に作ってくれたので、三つ子くんたちと一緒にご相伴にあずかった。ホワイトソースが絶品のマカロニグラタンだった。おいしすぎてほっぺた落ちるかと思った。神崎ママ、お菓子だけじゃなくて料理も上手ですごい。羨望の眼差しを向けると、「私、今度はりっちゃんと一緒に作りたいの。だめ?」ととろけるような笑顔で首を傾げられた。だめなわけないです!!お願いします!!とすべすべの手を握りしめて返事をしておいた。
「リツ姉ー!今日の分の宿題終わったー!」
「ナツくんおつかれー。アキくんとフユくんも終わった?」
「当然」
午後二時半。リビングのテレビの前にある、大きなローテーブルで三つ子くんたちが宿題をする様子を眺めて三十分ほどが経った頃。計算ドリルに答えを記入していたナツくんが晴れやかな笑顔ともに顔を上げた。続いて、アキくんとフユくんもシャーペンを机に転がして大きく伸びをする。
「みんな早いねえ、と褒めてあげたいけど、宿題に向かう姿勢がこずるいから褒めてあげられねーや……」
「えーなんでだよー!こうりつがいい方法でやってるだけじゃん!なーアキ!」
「そうそう。どうせ出されてる宿題同じなんだし、手分けしたほうがはえーもん」
なー。声をそろえ、お互い顔を見合わせて笑うナツくんとアキくん。ふたりの言ってることは間違ってはいない。だが、彼らが行っているのはドリルの類の宿題を三等分して埋め、あとで移し合うという方法だ。こずるいというわたしの主張も正しい。
ちなみにこの手法は数年前から使われている。発案者はアキくんだ。適材適所って大事だよな、って言っていた。たしかに三つ子の得意教科はばらばらだけども。なんか、アキくんが年々ずる賢くなっている気がする。
「あ、そうだ。これから夕食の買い物行くから誰かひとり手伝って欲しいんだけど」
「荷物持ち?」
「いえーす」
目的地は近所のスーパーだし、たいして重い物を買う予定もない。ただ、ひとりで行くより誰かと一緒のほうが楽しい。わたしが。楽しい。
とは言え、三人そろってついてきてもらっても手持無沙汰になるだけなので、要求するのはひとりだけである。仲の良い三つ子くんたちがどうやってひとりを選出するのか。大抵の場合、手法はじゃんけんと決まっている。 「よっしゃ、じゃあじゃんけんなー!」 案の定、ナツくんが立ち上がって拳を突き出した。
「おっけー。フユもいいだろ?」
「ん」
残りふたりも了承すると、その場から腰を上げる。じゃーんけーんほい。軽い声が三人分、リビングに響く。
ナツくんがチョキ、アキくんもチョキ、フユくんはパー。勝った子が行くのか、負けた子が行くのか、何の相談もしてなかったけどどっちなんだろう。そういえば、何かする人をじゃんけんで決めるとき、三つ子は勝者と敗者のどちらがするかは誰も口にしない。気が付けばいつの間にか決まっている。以心伝心というやつか。一卵性ってすげーや。
今回はと言えば。どうやらフユくんに決まったらしい。ナツくんとアキくんは、ラグが敷かれた床に腰をおろした。ナツくんの妬ましげな視線がフユくんに向かう。フユくんは気にした様子もなく、無表情で口を開いた。
「じゃあ、オレが行ってくる」
「ぐっ……じゃんけんで決めたからしかたねえ!ちゃんとリツ姉のこと守れよフユ!」
「ん、わかってる」
「お菓子もよろしくなー」
「それはリツ姉に頼みなよアキ」
ふたりに淡々と返し、フユくんがわたしの傍に寄ってきた。こちらを見上げてくるフユくんは、涼し気というか、クールな表情を崩さない。
神崎家の末っ子であるフユくんは、元気いっぱいのナツくんとも、他人をからかっては振り回すアキくんともタイプが違う。表情が真顔からほとんど変わることはない。性格も、まあ、クールと言えばクールだ。ただ、喜怒哀楽の起伏はちゃんとあるし、慣れればそのあたりも読み取れる。
「そんじゃ行こうかフユくん」
「ん」
財布と二枚のエコバッグを入れた鞄を肩にかけ、フユくんの袖を引く。おとなしく頷いたフユくんと連れ立って、神崎家を後にした。
・・・・・・
歩いて十分とかからない場所にある近所のスーパーは、そこそこ規模も大きく、品揃えも良い。特に店内の一角にあるベーカリーショップのパンはおいしくて好きだ。値段も安いので高校生の薄い財布には大変ありがたい。
炎天下を歩き、店に着く頃にはわたしもフユくんもじんわりと汗をかいていた。
今年の夏も容赦ない日差しですこと!!ぶーぶー文句をこぼすわたしに対し、「夏だからしかたない」とフユくんはクールに返してくれた。しかたないのはわかってるけど暑いものは暑いんだよう!!というかこんな猛暑の中買い物に付き合わせてごめんね!!今更ながら罪悪感が湧く。
店を目の前にして引き返すのも嫌なので、すまねえフユくん、と心の中で謝ってスーパーにやってきた。店専用の買い物カゴを腕に引っ提げ、店内へ足を踏み入れる。
ひやり。心地よいクーラーの風が全身を包み込む。あーてんごくうううう。ありがとうクーラー。わたしは心の底からきみを待っていた。
「ところでフユくんは夕飯なに食べたい?」
「……決めてたんじゃねーの?」
「店に行って決めようと思ってたからまだ未定なんですよねー。フユくん、こんな暑い中一緒に来てくれたし、お礼に今夜はフユくんの好きなメニューにしよっかなって!」
なにがいーい?
フユくんを覗き込んで尋ねる。フユくんはこてんと首を傾け、んー、と考える素振りを見せた。あー、フユくんのこの首の傾げ方、神崎ママに似てるよなあ。絶妙な可愛さをかもし出している。アキくんもやるけど、あれは計算ずくだ。そして計算とわかっていても悶絶するレベルの可愛さなのだからあざとい。
数秒の後、フユくんが頭をまっすぐに戻した。食べたいメニューが決まったらしい。
「じゃあ、オムライス。ぱかーって割るヤツ」
「半熟っていうか、中身とろとろのオムレツを割ったらとろーって出るヤツ?」
「それ。リツ姉作れる?」
「まかせろ!オムライスは神崎ママと何度か作ってマスター済みだ!」
クールビューティー、フユくんの口からオムライス。なんだそれ。可愛すぎるだろ!!もう!!!
ひっそり胸の内に湧き上がる衝動を抑えつけ、材料をゲットするべくスーパーの中を歩き回る。たしか冷蔵庫に卵とケチャップはあったはず。副菜に野菜も添えたい。固形コンソメの素があったはずだし、ミネストローネでも作るか。つらつらとメニューを考えながら、カゴにキャベツやトマト、ジャガイモを放り込んでいく。あとはニンジンもいるねー!とオレンジ色の物体を握ると、横からにゅっと伸びてきた手に手首を掴まれた。
「……」
「フユくん、ニンジンも食べなさい」
「いらない」
「いらなくない。食べろ」
そういえばフユくん、ニンジン嫌いだったね。けど、好き嫌いはよろしくない。じっと、可愛い顔で懇願の眼差しを向けてこられても、ニンジン抜きにはしてやらないぞ。 「リツ姉……」 ……だ、だめだ、してやらない、ぞ!!
あぶない。うっかり、いいよおおお!と頷きそうになった。けど、わたしは神崎ママから申し付けられているのだ。三つ子が好き嫌いしても問答無用で食べさせてね、と。どんな手段を使ってもいいからね、と。
「……フユくん、わたしが頑張って作ったご飯、食べてくれないのかー。おねーさん悲しい」
「……!」
「でもしかたないよね、フユくんニンジン嫌いだもんね」
「………………食べる」
「いいの?」
「リツ姉が作ってくれたものなら、食べる」
「わーい!フユくんいい子―!だいすきー!」
表情に変化はない。けれども、苦渋の決断、とでも言いたげに絞り出された声で、フユくんは食べる宣言をしてくれた。やった!やったよ神崎ママ!これ、フユくんのニンジン嫌い克服の道、第一歩だよ!
フユくんに背を向けてガッツポーズをきめる。そしてその後はさくさくと買い物を済ませ、スーパーを出た。
「うわああああづいよおおおお」
「夏だからしかたない」
「それさっきも言われた」
ミンミンミンミン。蝉の声が両側から鳴り響く街路樹を、フユくんと並んで歩く。お互いエコバッグをひとつずつ、片手にぶら下げての帰路。フユくんとのお出かけは楽しいけど、この猛暑からは早く逃れたい。てくてくてくてく。神崎家へと足を急がせる。
ふいに、フユくんが歩く速度はそのままに首を傾げた。おもむろに、エコバッグの中を覗き込む。 え?どうしたフユくん? わたしもつられて頭を傾ける。
「どったのフユくん」
「リツ姉、さっき牛乳とかも買ってなかったっけ」
「買ったよー。ミルクジェラート作りたいなーって思って」
「その割には軽い。リツ姉のほうに入ってんの?」
「うん」
肯定するや否や、わたしが持っていたエコバッグを奪われた。 え?え?何事? 呆気にとられるわたしに構わず、フユくんは帰路につく足を緩めない。すたすたと歩いて行ってしまう。慌てて後姿を追いかけた。
「え、ちょ、フユくん?」
「なに?」
「なにっていうか、荷物、わたし持つよ?」
「なんで?」
いやいや。なんで、はこっちが尋ねたい。ひとつずつ持てば半分こでちょうどいいじゃないか。しかし、フユくんの考えは違ったらしく、ぱちぱちと睫毛を瞬かせた。
「? オレ、リツ姉に重いモン持たせないために来たんだけど」
だからリツ姉が持ったら意味ないでしょ。
表情はぴくりとも動かない。なのに言動はイケメンとか。しかもそれを天然でやってのけるとか。破壊力大きすぎるよフユくん!!!
鼓動が速まってうるさい。なんていうか、こう、良い意味で心臓を鷲掴みにされた気分だ。おねーさん今、きゅん、って胸が高鳴りましたよ。この場にうずくまって路面をバンバン叩きたいくらいですよ。鼻血出たらどうしよう。
三つ子はみんな可愛い。そして可愛さに加え、それぞれの個性がプラスされる。無邪気で男前のナツくん、知性派であざといアキくん、クールと見せかけて天然のフユくん。はあああ可愛いよおおお!と愛でていると、とんだカウンターを食らわせてくるのが神崎家の三つ子だ。まったく、将来が末恐ろしいぜ……!
「ところでリツ姉」
「なんだねフユくん」
「ニンジンは細かく刻んでほしい」
フユくんの真剣な声音に、かっこいい一面を併せ持ちつつも、こういうところは可愛くてたまらないなーと笑ってしまった。