策略
1927年6月6日 別府造船所 会議室
「三井と安田のトップと日銀総裁から・・・?」
「そうだ。」
武田の問いに、雷蔵が答えた。義男が雷蔵や茜と話をした翌日、義男と雷蔵は別府造船所の役員達を集めた緊急会議を開いていた。議題は勿論、『東洋汽船買収問題』である。傘下の企業からも何人か幹部が集まっていた。
「断ることは・・・できそうにありませんな」
後藤は頭を振りながら言った。いや、そもそも三井や安田といった日本屈指の大財閥のトップや日銀総裁からの頼みである。そんな連中からの頼み事を断れるほど別府造船は強くはなかった。
「・・・それで、幾らくらいかかりそうなんだ・・・?」
一色が青い顔をして尋ねた。
「概算ですが・・・東洋汽船の株価と保有資産・・・手持ちの客船だけに限定するとして・・・おおよそ3000万は必要かと」
「そんな金ウチにあるわけ無い!」
細川の言葉に一色が吠えた。普段は取り乱すことの少ない男なのだが、珍しく狼狽しているようだった。まぁ、普通ならそうである。実際義男も昨日はかなり取り乱していたのだから・・・。
その義男はというと、自らの席で社員同士の話を見守っていた。今はまだ自分がデル機械ではないと考えていたからだ。
ふと、窓の外を見ると、シトシトと雨が降っていた。最近ではなじみが薄いのかも知れないが、6月は梅雨の季節である。おおよそ2週間程度は梅雨前線が日本列島の辺りに滞留する。それが開けたら夏の始まりである。
(夏は終わり、秋と冬が訪れる・・・か)
義男は降りしきる雨を見やりながら、昨日の茜達との会話を思い出していた。
「つまり、私達は嵌められたと言うべきでしょう」
茜は落ち着き払ったような声で言った。
「でも、いくつか気になる点があるんだけれど・・・」
「何でしょうか?」
「うん、最初に俺を誘った久原さんなんだけど、あの人君の実家から金を借りてるくさいんだ。貝島はうちとの提携に乗り気だし。それは当然久原さんも知ってるだろう?」
「折角金を融通してもらったのに、その提携先を潰そうとすれば、当然資金の引き上げをしようとするだろうし、それは久原鉱業にとっても痛手になるな」
義男の疑問に雷蔵も確かにと頷いた。久原房之助が率いる久原鉱業は、第一次大戦後の不況によって青息吐息の状態だった。で、久原の義兄であり、久原鉱業の経営にも参画していた鮎川義介の要請を受けて当時まだある程度余裕を持っていた貝島は、久原鉱業への資金援助を行ったのだった。
流石に鮎川や三井の介入を受けてのこととは言っても、莫大な資金援助であるし、提携先を潰されては貝島としてはたまったものではないはずだ。さすがに久原に提供した資金を引き揚げるなんて事もやらかしかねないのだ。それを久原が了承できるのか?というのは、義男達にとっては当然の疑問である。
だが、茜はそうした疑問に対しても動じる様子はなく、むしろ何で気がつかないのかとでも言いたげな様子で言った。
「これは、去年一族の者から聞いたものですが、貝島家はどうも独立を考えているようなのです」
「それは、三井や鮎川さんからの?」
「それ以外には考えられないと思います。」
「ふむ・・・」
義男は少し考える風をした。確かに、太市をはじめとした貝島一族は現在経営顧問を務めている鮎川義介の急進的な多角化による経営方針に危惧や嫌気を持っているようだった。太市としては多角化そのものに反対ではない風ではあったが、それでももっと緩やかな拡大を望んでいる様子だった。そして事実、貝島は資金提供を行った後に鮎川のためにあった経営顧問の職を廃止している。つまり・・・
「つまり、手切れ金ということか。」
義男が思いつくよりも早く雷蔵が言った。
「おそらく、その通りでしょう。他の者の介入をいい加減に終わらせたいがための手切れ金とみて、間違いないでしょう。」
「資金の引き上げては再び介入を受ける可能性があると言うことか・・・これは、太市さんも悩むわ」
「だからといって、他人事ではすまんぞ?」
そう言って苦笑いする義男であったが、雷蔵がたしなめるように言った。
「それに、例え資金を引き揚げたとしても、別の所からお金を融通することは十分にあり得ることですわ?」
「それが三井、安田・・・か」
雷蔵は呻くように言うと、茜はこくりと頷いた。その時、義男と雷蔵の二人の背中に冷たいものが流れたような感覚があった。
そう、例え貝島がこの騒動に起こって資金を引き揚げたとしても最悪久原が失うのは「貝島からの信用」だけだと言える。なにしろ現在、彼のバックには安田と三井がいる。いずれも日本経済における中心的存在だ。ましてや現在は、三井銀行や安田銀行といった財閥系の銀行に対して資金が集まっている状態である。彼らが出せない額ではないし、そもそも義男以上の人脈&経営チート持ちである後の日産総帥たる鮎川義介がいるのだ。こうした銀行から資金を融通してもらうのは決して不可能ではないだろう。また、貝島にとっては手切れ金の引き上げは引き続き鮎川からの介入を受けることを了承するというサインであり、下手をすれば独立を許さない三井からの介入を受ける可能性だってある。つまり、貝島にとっても資金の引き上げは損にこそ慣れ、得になることは何一つ無いのだ。
それに、史実では久原はこの翌年に鮎川に対して久原鉱業の経営権を譲渡し、自らは政治家への道へと進んでいる。ある意味現状に照らし合わせて見方を変えれば、久原「は」責任を取って職を辞して経営者としての道を諦めた・・・といえるのかも知れない。後に残るのは本件とはほとんど無関係な鮎川である。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
コチコチと時計の針だけがなっていた。義男と雷蔵は揃って青い顔をしていた。なにしろ、大企業を合併するように雲の上の方々から『お願い』されてどうしようかと思って嫁に相談しようとしたら、その嫁からとんでもなくスケールの大きな話へといつの間にか広がっていたでござる。とか言う状態なのだ。
残念ながら、義男と雷蔵には良い対案が思い浮かばなかった。まぁ、雷蔵は彼の父である茂吉がまだ船大工だった頃から経営の手伝いや地域や銀行との繋がりを作り出すなど経験によって裏打ちされた堅実な経営を得意とする人物だったし、義男に至っては転生者特典とも言うべき未来知識と前世の経験で手に入れた外貨取引や証券取引の知識を元にした資金繰りが得意な『だけ』のオッサンだった。つまり、二人ともこうした陰謀とか謀略とかに関しては二人とも手も足も出ない人間だったといえる。
「・・・どうすればいいんだ、俺達」
茜は落ち着き払ったような声で言った。
「一つは、言われたとおりに会社さんを傘下に入れること」
「ああ、だが東洋汽船を支えられるだけの金もノウハウも流石にウチは持っていない」
「それに、融資を受けられると言ってもどの程度の物かもわからないし・・・最悪、ちょっとでも隙を見せれば貸しはがしを受ける可能性がある」
「最悪の場合は焦げ付きを恐れたシティ銀行も手を出してくる。その場合は全てを失う。上手くいった場合でも三井や安田の傘下に付かなければならなくなるかも知れないな」
「あなたは、それを一番避けたいと考えているのですね?」
「勿論。明らかに横取りに来ているからね。ハイそうですかと白旗を揚げるわけにはいかない」
茜は確認するように尋ね、義男も珍しく神妙な顔で言った。つまり、結構こいつも追い詰められているということだ。
「では、その会社の買収を止めた場合は?」
「その場合は、おそらく今度は国内の銀行から資金援助を受けることは難しくなるだろうな。分銀や朝陽銀行へも貸し渋りが起こる可能性が高い」
雷蔵が言った。
「つまり、大分経済全般が危機に陥ることになりかねないし、そうならなかったとしてもその地元が中央にビビッて俺達に金を貸さなくなる可能性ができるわけだ」
義男が言った。
「流石に、外国の銀行から借り続けるというのも難しくなりつつある。いずれ、大きな波がやってくるだろうから」
「・・・お前の予想だと、海外の銀行が破綻する可能性が高いということか?」
「今はそれが過熱して暴騰している状態だ。特にアメリカでな」
義男は言った。どうやら調子がやや戻りつつあるようだ。
「つまり、いつまでも外国の銀行さんからお金を借りるわけにも行かない。だからこそ、地元のためにも国内の銀行さんとの関係を保つためにも、買収を止めるわけにはいかないと言うことですね?」
「まぁ、そうなるんだけど・・・」
「ちなみに伺いますが、貴方は何年位したらその不況がくるとかんがえていらっしゃるのですか?」
「うーん・・・そう長くはかからないと思うんだ。もって2~3年くらいかな?いつまでもこんな無茶苦茶な好景気が続くはずもないしね。」
「なるほど・・・」
「ただでさえ、会社さんをいくつか傘下に収めるために借金しているからな」
「分銀からも朝陽からもこれ以上借りるのは難しいし・・・」
二人は揃って肩を落とした。二人の中ではもう大財閥の傘下財閥になるしかないというのが結論としてあった。それこそ、外資から融資された資金をどうするのか、そして自分たちの扱いがどうなるのかを考えるだけでも憂鬱になる程度には。
「お二人は、白旗を上げようとお考えなのですね?」
「まぁ・・・他に方法がある訳じゃないしね・・・」
「もしも、他に方法があるとすれば?」
「考えて決めるよ・・・つまり、何かあるのかい?」
義男が尋ねた。それも、子供が大人に対して何かを期待するような瞳で。なお、言うまでもないことだが義男は茜よりも10以上年上である。
「勿論です。が、とても楽観的です。それこそ子供が考えたことです。」
「それでもかまわない。そう、判断するのは俺と親父と幹部達だ。」
「いや、決断するのはお前だぞ?」
「会長は親父だろ?」
「いや、俺は金引っ張ってくるのは全部お前に任せてるし、役員達もそれは認めてるし」
こんな時に決断のなすりつけ合いをする義男と雷蔵に茜は思わず溜息をついたが、それがある意味親子なんだな~とも思ったりした。だが、ずっと見ていられるほど彼女とて暇ではない。
「・・・それで、お話をしても宜しいでしょうか?」
「ぁ・・・そうだったね。」
「あ・・・あぁ、頼むよ」
茜は二人を交互に見やると口を開いた。
「まず、謀をするばあい、引っかけようとする人は相手が完全に引っかかると思ってはおりません。」
「というと?」
「完全に踊らせるだけの人間もいなければ、完全に踊らされるだけの人間もいないのです。第一彼らはあなたに具体的な融資金額もおしえていただいてませんよね?」
「いや、何も・・・」
「ならばこそですよ。彼らはわざと見えやすい罠を用意することであなたがどう足掻くかを見ているのです。白旗を上げるならばよし。買収を突っぱねるなら潰すまで・・・大方そう考えているのでしょう」
「なるほど。」
雷蔵が頷いた。
「そうでしょう?だからこそ、互いが互いを踊らせて、それぞれの目的のものを手に入れようと或いは貶めようとします・・・」
「・・・まともな人間がやることとは思えないけどな、いざやられると・・・」
「まっとうな人間としては正しい感性だと思いますが、貴方も本来はこちら側の方なのですよ?」
「それもそうだ・・・」
窘めるように言われた義男が苦笑いしたのをみて笑い事じゃないんだけどと思いつつ茜は続けた
「現在は私達が相手に踊らされようとしている状態と言えるでしょう。ですが・・・その状況を逆用しましょう。相手が私たちをエスコートしようと手を取っている間に、曲を好きなものに変えてしまうのです。」
「というと?」
義男と雷蔵が茜を見た。
「貴方は先ほど、いずれアメリカの好況は終わるとおっしゃいましたね?」
「うん。でも大体の人間は理解していると思うよ?俺もある程度の所に行ったら手を引く予定だし」
「つまり、損はしないと言うことですか?」
「ある程度はね。ただし、どの程度で手を引けるかはもう少し観察する必要があるけど・・・」
茜は口元を歪ませながら具体案を言った。その笑顔は悪墜ちした時間を操る女の子かさもなきゃ猫と戯れる軍人さんをご想像したら宜しいかも知れない。ただ、少なくとも二人がこれまで知らなかった妻の黒い面を初めて垣間見た瞬間だったのかも知れない。ただ、義男と雷蔵は彼女の明かした戦略に思わず身震いした。
(全く、自分の嫁ながら恐ろしいな。もしも俺に何かがあったとして、後継の社長にあいつがなっていたらどうなってたんだろうな・・・)
そこまで考えたとき、義男は初めて自分が呼ばれていることに気がついた。
「社長、社長はいかがお考えですか?」
・・・どうやら、意識を少し別の方向に飛ばしている間にある意味結論が出たようだった。義男の意見も聞いてみようと言うことらしい。実にまっとうな考えだろう。雷蔵を見つめると、雷蔵は無言で頷いた。どうやら彼は茜の考えに賛同しているらしい。と言うかそれしかないと考えているのだろう。それは義男も同じだった。只問題は、義男自身が何というかだった。小さく息を吸い込んでから義男は口を開いた。
「俺は・・・この話を受けようと思っている。と言うよりも、受けざるを得ない。」
「しかし、我々には航路や船を維持できる力は・・・」
「それでもだよ。まぁ、俺達はどうやらでかくなりすぎたらしい・・・が、それを嘆いていても今更のことだ。それに、デメリットばかりというわけではない。こちらは話を詰めてからしか分からんが、融資も行われるとのことだ。短期的な資金としては不自由はあまりしないと思う」
「しかし・・・三井の連中がそれを守りますかね?連中の阿漕なやり方は有名でしょう?」
「鈴木の件だな・・・だが、この期に及んで融資を断ったらその時点で話は全てご破算になる。それは彼らも良く理解しているだろう。奴らに断るメリットは全くない。」
「それに、考えようによっては良いかもしれませんな。なにしろこちらも念願の新造客船を整備できるのですから」
「そうだな。予定を繰り上げなければならんな・・・」
「どうせでしたら、日本郵船の客や航路も奪ってやりましょう!」
空元気なのだろうか、武田や後藤などの幹部連中はどこか引きつった笑顔でこれからの展望をできるだけポジティブに言っていた。
「まぁ、そういう訳だ。はっきりしていることは、俺達にとっての春と夏は過ぎ去ってしまったと言うことだ。やがてやってくる長い秋と冬に耐えなければならないということだ。」
義男は席に座る全員をもう一度見つめた。全員顔色は悪いが少なくとも腹をくくろうとしていることは確かだった。今は耐えるしかないのだ。そう、第一次大戦での好景気からこっちこちらは殆ど右肩上がり。そうでなかったとしてもそこそこの儲けを出すことはできていた。だがそれももう終わりだ。これからは多くの企業と共に同じ舞台で戦わねばならない。しかし・・・
(冬は兎も角、秋は収穫の季節でもあると言うことは確かだ。まぁ、いいさ。見方を変えれば刈入れ前の田んぼが何枚も手に入るチャンスでもあるのだから・・・)
義男も待たそう思うことで、ポジティブに考えることにした。
皆様、お久しぶりです。
気がつけば三ヶ月もの月日が経過してしまっていました。オマケに文章も十分熟成できてません・・・
最近スペースオペラとか海洋冒険小説に嵌ってまして・・・彷徨える艦隊とかホーンブロワーとか読んでます。少し古いですけど「レッドオクトーバーを追え」も面白いですね。日本でもこんな感じの潜水艦の映画やってくれませんかね?架空国家とかソ連の原潜を追いかけ回す自衛隊のAIP潜水艦とか・・・そういう意味では「やる夫は原潜に乗るようです」は名作でした
・・・といった感じに、他の物語を読んだり仕事したりゲームしたり他の物語かいてたりしてたら結構時間が経過してました。遅くなってしまい申し訳ありません。
今回は茜が半分主役です。どうも義男が黒くなったところで彼らに太刀打ちするのは難しいです。茜がいてようやく「戦える」と言ったところでしょうか・・・東洋汽船買収の詳細についてはもう少し先のことになりそうです。具体的には恐慌が一段落した辺りになると思います。
ただし、現状義男には彼らと戦える武器があります。彼らが今後どのようにして振る舞うのか・・・
ボチボチ恐慌も迫っては北みたいですが、一度ワンクッション置いてからその辺りに写りたいと思います
次回は資源関係のお話になるかも知れません
ありがとうございました




