製鉄
日本の砲弾は当時の欧米に比べれば劣っていたという。あるデータに依れば、砲弾の強度は1割程度は違っていたとされているし、破甲榴弾を敵戦車にぶち込んだら逆に砲弾「が」粉々になったと言う話もある。それは当時の日本の冶金技術が欧米に比べて著しく劣っていたと言うことも原因のひとつだと言われている。
砲弾は、只の鉄や鉛の塊ではない。いや、ナポレオン戦争や南北戦争頃ならば確かにそうだったかも知れないが、この頃には既にニッケルやモリブデン、タングステンといった重金属を混ぜ合わせる形で製造されていた。(榴弾ならそれほどの強度はいらないが、徹甲弾とかだとそうも行かない)そして、それを製造する技術は確かに持っていたが、それは十分ではなかったし、砲弾を製造するにしても大量生産を行える設備も不足していた。
日本の大砲や砲弾は一部の外国製を除くとその大半は、東京造兵敞、小倉兵器敞、大阪造兵廠と室蘭にある日本製鋼所などの兵器工場が作っていた。この内、陸軍の野砲などの武器を主に生産していたのが大阪造兵廠であり、室蘭では主に海軍向けの戦艦用の主砲の製造が行われた。戦艦大和の46センチ砲も大体ここで作られているのだが、この会社は海軍の息こそかかっていたが民間企業(と言っても殆ど国営みたいなもんだが)だったりする。三井財閥に属する北海道炭礦汽船とイギリスのアームストロング社の共同出資で設立されたのが1907年のことだ。武器の製造は何も三菱重工や川崎、中島だけのモノではなかったのだ。(ちなみに、トヨタは三井との関係が深いし、かつてのプリンス自動車こと中島は住友との関係が深かったらしい)そんなわけで、日本の工業における財閥の関わりというモノはとんでもなく深いのだ。それは、現代であっても変わらない。
1927年3月8日
「かしこみかしこみ・・・」
巨大な鉄塊の前で、多くの参列者が見守る中で、神職が祝詞を上げていた。そうした客の中に一人の中年に入りつつあるオッサンの姿があった。言うまでもなく、義男である。隣には、神戸製鋼の社長である伊藤の姿もあった。
「巫女さんにした方が生えたかな?」
「何いってんですか?」
ボソリと言った義男に伊藤は思わず突っ込んだ。どうみてもセクハラ親父なそれであるが、本人としては巫女さん=チート転生者という図式があり、あんまりそう言うのに興味はなかった。ちなみに神職は金屋子神神社から呼んできた。なんでも金属の神様らしく、ここ、播磨や山陰においてもそれなりに信仰されていたらしい。
「いや、でも祝詞とか神楽って巫女さんが詠んでいたほうがなんか背景的に面白いし」
「ちょっと意味分かりませんね。大体金屋子神は女性を嫌っています。なので、鍛冶屋の仕事場に女が入ることは許されてないんですよ」
「良いじゃん、金山媛とも同一視されてるんだし」
「だとしても、ここで言うことではないと思いますが」
「あー・・・まぁ、そうなんだが細かいこと気にするな。しかし、結構速いペースでできたね」
「おかげさまで。実験炉の調子がよかったというのもあるでしょうが・・・」
「でもまだ始まったばかりだ」
「そうですね・・・これからです」
そう言いながら二人はこれから火がいれられようとしている巨大な鉄塊を見つめ直した。そう、神戸製鋼所が建設した第2号高炉の火入れ式の真っ最中だったのだ。
大阪からJRの新快速で1時間ほど行ったところに、加古川市というところがある。瀬戸内海に面し、丹波高地に端を発する加古川の河口付近にある平野部にあるこの自治体だが、ここが現在の形になったのは戦後の1950年頃のこと。それ以前は、いくつかの地域に分かれていた。この頃、加古川町と呼ばれていたらしく、省線や神戸姫路電気鉄道(後の山陽電鉄)、別府鉄道(※別府グループとは何の関係もない)などの鉄道が引かれており、それなりに交通網の発達した地域であったためか、多木化学や住友といった大手企業の工場があり、長閑な農村や漁村、そして化学工場が存在するというそれなりに発展した地域だった。そしてこの頃、多木化学などを遙かに超えたスケールでの巨大な工場があった。神戸製鋼所の加古川製鉄所である。
日本初の、港湾と一体化した製鉄所である。と言っても、この頃には事務所などの他にはまだ完成したばかりの500トン級高炉が一基ある他にストリップミル(圧延機)と言った機器が稼働を待っている段階であり、その他は建設予定用の区画が更地としてあるだけだった。それでも、用地の広さはかの八幡製鉄所に匹敵するくらいのモノがあった。ゆくゆくは500トン級高炉をさらに4基設置する予定であった。ここだけで最終的には年間100万トンを生産する計画を立てていた。
義男がここを選んだ理由は、鉄道が国鉄、私鉄共に多く敷かれており、また、神戸という日本最大の貿易港にもほど近いと言うことだった。他にも、高砂市や神戸の灘区付近も候補として上がっていたが、結局は土地代や交通の便の観点などから加古川町が決定したのだった。加古川町としても、当初は巨大な製鉄所を作ると聞いて仰天したものの、この町があの八幡とおなじような町に育つことを夢見た当時の町長は土地の提供を許可したのだった。当然かも知れないが、周辺の漁民や農民、そして自治体にかなりの金を支払うことにはなったが
こうして、予定よりも早く土地収用と埋め立て交渉が完了し、埋め立て地の交渉が終わったのが1923年10月のこと。そしておおよそ2年半をかけて埋め立て工事を行い、その間に神戸製鋼はクルップの元技術者達の支援を受けつつ3トン級高炉を完成させてその使用実績を確かめていたのだが、運用実績は良好だったと言うこともあって国にそれを元にスケールアップした500トン級高炉の建造許可を願い出たのが1925年のこと。しかし、そこからが問題だった。商工省が渋ったためだ。この頃まだ日鉄はできてはいなかった。しかし、その前身としての八幡製鉄所があった。この頃はまだ官営であったのだが、その経営を圧迫するのではないかと考えた商工省はあえて認可を1年以上にわたって放り出していた。また、資金的な問題もあった。こちらは埋め立て前から問題があったのだが、いかに義男が主導していると言え、八幡製鉄所に匹敵する大製鉄所を整備するという義男の言葉を大風呂敷と受け止めた大手銀行は融資に二の足を踏んでいたのだった。一応、分銀はある程度の融資をしてくれたのだが全然足りなかった。仕方がないので、自分のポケットマネーと海外の銀行からの融資で賄うことにした。ユダヤ系銀行の伝を使うことができたのだった。こうした諸々のことがあり、予定よりも数年早く大型高炉の建設に当たることができたのだった。
以前にも言ったが、この頃の日本の鉄鋼の生産能力は欧米に比べて著しく劣っていた。鉄はあらゆる重工業やインフラに必要不可欠なモノであった。無論、軍事にも必要である。鉄がなければ戦艦を作ることができないし、鉄道を走らせることだってできない。でもって、機械を作るための機械(つまりは、マザーマシン)を作るためにも鉄が必要なのだ。だと言うのに、この時代はまだ国内の需要を満たすことは難しかった。そもそもこの頃、国内での生産分以外にアメリカなどからおおよそ100万トンのくず鉄を輸入していたのだ。理由は国内で作るより、輸入した方が安いから。例えば、この頃のインドの銑鉄の価格は1トンあたり36円。アメリカも大体似たような感じだった。それに対し日本の場合は高いと1トンあたり50円そこそこ・・・はっきり言って価格競争を考えるならば手も足も出ない。ついでに言えば、インドとかアメリカの方が品質もよかった。悪かろう高かろうでははっきり言って意味がない。
では、鉄を完全に自給させるためにはどうすべきか?簡単な話である。国内の生産能力を上げればよい。大型の高炉をガンガン建てて銑鉄を大量生産することで生産コストを下げる。そうすれば、鉄はできる。しかし余った鉄は?海外に売り飛ばせばよい。現代の我々からすれば意外に思うかも知れないが、戦後暫くして工業が回復してから1960年代まで日本の主力輸出品は鋼鉄だった。自動車やハイテク製品が輸出品として台頭するのはその後くらいのことだ。しかし、日本の粗鋼生産量が1000万トンを越えることができたのが新日鉄戸畑製鉄所ができた50年頃であった。しかしその後、安くて良質な鉄鉱石の輸入や高炉の新設が相次ぎ池田内閣の頃に5000万トン。現代で1億トンにまで粗鋼生産量は増加していた。しかしこの頃は良いところ200~300万トンくらいではないだろうか?理由は大量生産のために必要な大型高炉が少なかったから。
そして、この頃日本は鉄の輸出こそ行っていたが、それは少量でしか無く、大半が国内に回って行っていた。その主要な輸出国は主に対岸の中国だったのだが、その中国も、清末頃から袁世凱政権の頃にかけて自前の製鉄所の建設を開始していた。この頃目指していたのは大きくても200トンクラスの高炉だったらしいが、それらを随時建造していきいずれは日本の鉄の需要も低下していく可能性があった。なにしろ当時は、現代の中国と違って向こうが必要としていたのはあくまで武器生産(それも、山砲以下の軽火砲)や鉄道関連に限られていたし、まだまだ中国の重工業は日本と比べても未熟というかそれ以下だったからだ。だが、中国が鉄を完全自給しようとするもくろみは崩れることとなる。袁世凱の死後、曲がりなりにも安定していた中国情勢はみるみるうちに悪化していった。例えば翌年には張作霖が爆殺されるし、その少し前には彼によって北京が制圧されたり、中華国民党軍がなんか南京とかの沿岸部で勢力を伸ばしたり、共産党がなんかアップを始めたり、あるいは地方軍閥が独立を画策したりと当時の中国は混迷しており、そして各々の軍閥がそれぞれ武器をあるいはその原料をほしがっていた。そのため、鉄の生産を安定して行うことは当時の中国では難しくなりつつあった。
加えて、この頃の日本海軍は、ワシントン海軍条約に引っかからない1万トン級の巡洋艦や吹雪型に代表される艦隊駆逐艦の建造に邁進しつつあり、そうしたことからも鉄鋼業界はなんとか一息つきつつあった。そして、こうした軍需や輸出を中心とした鋼鉄需要はアメリカの好況などの要素もあって当面は安定するだろうと思われた
「しかし、銑鉄だけではダメだな」
「ええ、できることなら特殊鋼の生産にも着手する予定です」
「転炉の整備などだな。そういえば、電気炉の方はどうなっている?」
「既にドイツのティッセンより買い付けています。数ヶ月後には資材が到着する予定です」
「そうか。まだまだ金はかかりそうだな」
義男は将来の需要を見越して時計の針を少しだけ進めようとしていた。すなわち、鉄の大量生産による国内重工業の発展である。だが、そのためにはもっともっと鉄が必要だった。いや、銑鉄だけではない。先に言ったニッケルやクロムといった非鉄金属を混ぜ合わせるために必要な機器・・・現代で言うなれば電気炉や転炉などの整備も必要になっており、買い付けの準備に追われる羽目になりそうだということを考えると義男は、頭が痛いなと苦笑いを浮かべた。だが同時に、たったそれだけやるだけでも十分お釣りが来るとも確信していた。生産能力というモノはやや過剰な方がいいというのが義男の考えだった。生産が過剰ならば調整することができるし、いざ需要が供給を上回った場合には眠らせていたラインを復活させればよい。
また、例えば戦争になった際においても、過剰な生産能力というモノはそのまま戦力生産に添加できる。総力戦というモノは、国力の全てを戦争に注ぎ込む物だ。その中で特に重工業の存在は重要である。ありとあらゆる武器を生産するために必要なのだから・・・。その一方で不足する民需に応えるための生産能力もまた必要になる。軍需と民需・・・その両方に応えてやらねばならないのが鉄鋼業界の辛いところだが、それこそが日本で鉄鋼業が作られたきっかけでもあった。ならば自分たちはその使命に応える義務がある。権利だけ主張して義務を怠ってはならないのだ。もちろん、相応の対価を払ってはもらうことは言うまでもないことだが・・・。
「しかし、良いんですか?」
「何が?」
「あの資金停止、噂じゃ財閥が裏で動いてったって話です」
「偶然だろ?まぁ、下手な戦艦並みの金だ。いかな財閥銀行だって二の足を踏むだろうさ。何、15年もあれば利子も含めて全額完済できるし、再投資だってできるだろうよ」
「そうだと良いのですが・・・」
義男は笑い飛ばしたが、伊藤はどこか浮かない顔を浮かべながらそう言うだけだった。
ちなみにこの後、大規模製鉄所が出来ると言うことに大いに刺激を受けた財閥および商工省などはこれを機に八幡製鉄所を中心とした全国の製鉄会社の合同計画。すなはち、日鉄の創設計画を史実よりも早く本格させることとなる。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
そして、長きにわたって更新を止めてしまい、申し訳ございません。命だけは、命だけはお助けくだされ・・・
最近ナポレオン時代の戦争に嵌ってまして・・・ワーテルローとか戦争と平和とかマスター&コマンダーとかミヒール・デ・ロイテルとかの映画見るかNTWやってました。というか正月休みもそれで潰れました(笑)だって戦列艦とか格好良いじゃないですか!金ぴかですし一杯大砲ついてますし、戦艦や現代艦にはない魅力があります。ホーンブロワーとかの帆船小説も面白いです
さて、今回は結構時間が飛んで火入れ式です。当初の予定より大分前倒しです。その間のことは他の事業のことになりそうですので、時間が少しごっちゃになりそうです。当然時計の針も前に進めちゃったので、日鉄がちょっと早く誕生しそうです。大体義男のせいで
製鉄所の場所は高砂や堺も良いなと思ったのですが、結局加古川市になりました。交通の便も良いこと、大消費地や貿易港と近いというのはそれだけで大きなメリットなのです。下手すりゃ空襲の良い的になるかも知れませんが・・・(^^;
この時代、中国情勢はかなり混迷していました。奉天軍閥の張作霖が北京を占領して大元帥を名乗ったと思ったら、第一次国共合作が失敗したり。斉南事件もこの後発生します。・・・挙げ句には他の軍閥がうごめき出したりとかなり不安定でした。そんなわけで、中国の各地の軍閥は、武器の調達を本格化させます。まさに世は戦国時代!というかあまりに勢力がこんがらがってるので、正直攻略してもパルチ祭りになる運命しかないです。実際、満州でも事変以降赤い人たちの支援を受けたパルチザン達が暴れてました。ですが、武器の売却先としてはば良い環境なことも確かです。実際列強は余った武器を大量に中国に輸出していました。
ちょっとここで考え中なのですが、最近別府造船ですがかなり脱線が激しくなってきている気がします。本業もおろそかですし(と言うかこの時代は軍拡以外の船舶の建造は基本造船需要の逼迫もあってあんまり作られませんでした)
そうしたことから、まとめ的に所謂「未来視点」から物語を解説していくのはどうかと考えるようになりました。その関係上、いくつかの話の間に挿入する形になりそうですが、如何でしょうか?
さて、次回はようやく冒頭にでてきた客船をちょっとだけ登場させる予定です。ここまで来るのも長かったです。
ありがとうございました




