石油
石油は現在の世界の主要なエネルギー源である。車を動かすのも、船を動かすのにも、火力発電にも、そして、エネルギーのみならず、我々の着ている服にまで石油は使用されている。そう、今や我々にとって、石油は切っても切り離せないモノだ。近年では原子力や太陽光や風力などのようなクリーンエネルギーが出現しているし、天然ガスや石炭も、石油ほどではないが利用されているため、石油のみに頼るという状態ではない。しかし、原子力発電は事故があったこともあるし、後なんか色々あって東日本大震災以降マトモに運転されていない。クリーンエネルギーとか言うやつも安定性に欠けるのでやっぱり微妙である。結局、完全に石油の代役を担うというのは現時点では難しい。
しかし、義男達が生きている1920年代は、まだまだ石炭の時代だった。このあとエネルギー革命と呼ばれる1960年代ごろまで日本は石炭の時代が続くことになる。実は、この頃の日本は実に意外なことに、資源輸入国と言うよりもむしろ輸出国だった。この時期の日本の石炭産出量はおおよそ3000万トンそこそこだった。その内おおよそ300万トン程度が輸出されていたという。生産量のおよそ1割である。これはかなり大きい。炭鉱従事者も30万人以上いたといわれている。このことは、この国を支える主要エネルギー産業を代表していたことは疑いない。
その一方で、石油の占めるエネルギーとしての割合はきわめて低く、1940年頃でさえ石炭が7割前後であったのに対し、石油はわずか7パーセント程度でしかなかった。この時代ではもっとその割合は低かった。この時期、石油を本格的に利用できるものと言えば、海軍であり、自動車であり、そしてランプ用の灯油くらいだった。特に海軍は1913年竣工の「浦風」以降、重油を主力燃料として位置づけるようになる。尤も、この頃の戦艦はまだまだ重油と石炭両方が使用可能な混燃缶が使用されていた。機関技術や資源輸入などの問題があったのかも知れない。
では、この頃の石炭業界は儲かっていたのかというと、それはyesであり、noでもあった。と言うのも、世界大戦後の不景気。所謂戦後恐慌という奴の影響を石炭業界はモロに受けていた。まぁ、工場の動力などは石炭だったが、その工場が動かなくては石炭があっても意味はない。
石炭価格は下落し、休山する炭鉱も出てきた。そうしたこともあって、石炭の販売、価格統制を行う石炭鉱業連合会が1921年に発足。これによってある程度石炭の販売量や価格が決まり、石炭業界は一定の回復へと向かうことになる。しかしその後、世界恐慌による石炭価格の急落や過剰生産によってこれよりもヒドイ不況に悩むことになるのだが、それはもっと後のお話。なお、石炭鉱業連合会は1931年に世界恐慌による不況を受けてより権限を強くし、石炭の一括販売を執り行う昭和石炭(株)になり、やがて石炭統制会という国の産業統制組織へと姿を変えることになる・・・。
で、義男達が生きているのは丁度石炭鉱業連合会ができ、日本中の石炭業者がそれに参加し始めていた頃のことだ。無論、貝島もそれに参加していた。貝島もまた、戦後不況によって苦しんでいたのだ。鮎川の多角化政策に反発していたのも、こうした貝島の本業の不振があった可能性がある。
「石油に興味はございませんか?」
という義男の言葉に、太市は顔を険しくした。太市も無能ではない。彼はこの頃既に貝島の中心的存在であったし、1926年の貝島財閥の改変の音頭を取り、業務立て直しを指揮するなど、多分業界人のトップとしての能力は、義男を遙かにしのぐだろう。
だからこそ、太市は石油というモノにも一定の興味はあった。しかし、石油産業に参入できるほど、貝島は楽ではなかった。
「しかし、ウチもなかなか」
「それは存じております。重々」
義男はにこにこ顔で応えた。義男も貝島が決して楽ではないことを知っている。しかし貝島は、三菱との繋がりを有している以上、決して袖にして良い存在ではないことも理解していた。
「ですので、共同経営という形ではいかがでしょう?」
「共同経営ですか・・・」
フム、と太市は考える。確かに、それならばそれほど負担にもならないだろう。だが、やるのは良いとしてもいくつも問題がある。
「しかし、うちもそうですが、別府造船さんにそんなノウハウがあるのですか?」
「いや、ウチにも全然無いですよ?・・・でも、ノウハウを手に入れる当てはあります」
「と、言いますと?」
「詳しい話はもっと詰めてからしたいので詳しいことは言えませんが、うちは既に海外の石油会社から人員や設備の購入について交渉段階にあります」
義男はあっさりと言った。そしてそれは、決してでまかせなどではなかった。と言うか既に基本は完了しており、後はGOサインを出すだけだったりする。ドイツ人技術者とアメリカの石油掘削、精製技術である。
第一次大戦前、ドイツはイラクの油田開発を行っていたのだが、敗戦後、その利権はイギリスに分捕られてしまう。で、技術者の大半は、なんか最近勃興してきたソ連の社会主義に染まってしまったり染まらなかったりしてソ連のバクー油田などの開発に参加したりするものもいたのだが、それは必ずしも全員というわけではなかった。
義男はその一部を雇用することに成功していた。また、ユダヤ人に頼み込んで伝を使わせてもらい、アメリカの石油メジャーの一つだったスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアから掘削機器と精製機器の購入契約を結んでいた。なので、それほど根拠がないわけではなかったのだ。
「なるほど。・・・しかし、採掘量も消費量も少ない石油にそれほどのメリットがあるのですかな?かえって激しい競争にさらされる可能性がありますが・・・」
太市の懸念はもっともであった。この時代、さっきも書いたが燃料の主役は石油ではなく石炭だった。尤も、その石炭でさえ現在では1億4000万トンを輸入し、鉄鋼業や火力発電に利用されているのだが、それはおいておこう。
この時期、日本の石油の年間消費量は200万キロリットル程度だったと言われている。ちなみに、同時代のアメリカの消費量はその数十倍に達している。生産量も、この頃には既に1億5000万キロリットルを超えている。そして、世界の石油輸出量のおおよそ50パーセントがアメリカ産の石油だった。ちなみに、当時の日本の石油産出量は20万キロリットルそこそこだったという。それも、基本は北海道、秋田などの東北日本海側から北陸にかけてら辺でしか取れない。まぁ、元々日本は太平洋造山帯に位置し、地層も若いのだから仕方がないね。と言うかそもそも日本には石油を掘削する技術も、精製する技術も十分にあるわけではなかった。
そして、業界的な問題もあった。当時、石油企業としては日本石油(後新日石)、ライジングサン社(ロイヤルダッチ・シェルの日本法人)、丸善石油(後コスモ石油)、旭石油(後昭和シェル)、スタンダード・オイル・ニューヨーク(後エッソ)・・・などがあった。日本漁網(後ニチモウ)や本にもなった出光商会も既にこの頃にはあったが、彼らは未だ中小企業だった。その他に海軍が海軍燃料廠を設立し、艦隊燃料(主に重油)の自弁などに力を入れていた。
これらから分かるとおり、日本には数多くの石油関連会社があった。しかし、基本的に大きいところは国策会社や海外企業であり、そうじゃないところは中小企業が多かった。当時日本には石油系企業が20社程度あったと言われている。なお、1930年代には50社程度にまで増加している。
もちろん、石油の消費量は、その後の戦争や自動車や重油炊きの船が年々増加することなどもあって増加傾向にあり、1940年代には400万キロリットルにまで増えている。しかし、欧米の各国に比べても決して石油の消費量が高いとはこの時代では言えなかった。
現代の人間が見たら驚くことかも知れないが、この頃の自動車産業はカスみたいなモノだった。1940年代でさえようやく年産6万台に達したほどなのだから。しかもその数字は日華事変以降のものだから、この時代ならもっと少なかっただろう。ちなみに、現代の自動車生産台数は乗用車のみで大体800万台そこそこ。国内で走っていたのは基本的にフォードのT型やパッカードみたいなアメリカからの輸入車だった。
なので、消費量もそれほど多いわけでもなかった。当時の日本の物流を担っていたのは自動車などではなく、船であり、鉄道だった。そして、その両者は基本的に石炭で動いていた。重油炊きの船が本格的に運用されるようになるのは戦後を待たねばならない。
つまり、この僅かなパイを多くの会社で奪い合っているというのが現実だった。なので、太市が懸念を抱くというのも分かる。しかし、義男にとっては今がぎりぎり参入できる最後のチャンスだとも考えていた。
義男は石油元売りだけではなく、採掘などもやる大企業を目指したかった。この時代、石油の最大の生産国はアメリカであり、それにソ連やルーマニアなどが続いていた。アラブの油田はまだ殆ど発見されていない時代だった。この方面が注目されるようになるのは1930年代半に入ってからのことである。つまり、あと10年もないのだ。準備期間としてはかなり短い。それは、現代の石油系企業であってもそうだろう。
「そうです。確かに現状石油はまだまだ発展段階にありますし、企業も多い。ですが、間違いなく成長する産業でしょう。だから、今、参入せねばならないのです。これ以上増えられる前に!」
義男は思わず声に力を込めた。日本は石油がないから戦争をした。それは石油の大半をアメリカやオランダに頼っていたからだ。彼らが連合国した時点で日本は石油を手に入れるために世界中を敵に回しても戦わなければならなかったのだ。まぁ、軍やマスコミ、政治の暴走やグダグダがなければそんなLv1で魔王に挑むが如き無謀ことはせずにすんだのだが・・・。だが、独自に石油を採掘できたら?それは途方もない武器になる。なにしろ、アメリカなどに頼らずとも石油などの資源を手に入れられるのだから。それは戦後であっても必要だろう。オイルショックのようなことが起こっても日本は安定して石油を手に入れられるだろうから。
いつの間にか、太市と義男の周りには貝島の人間達が集まっていた。茜も遠くから心配そうに見つめているが、義男は気にもしないように話を続けた。
「石炭は確かに日本のエネルギーの中心でしょう。ですが、それはいつまで続くか分かりません。油炊きの船やガソリンを使う自動車も出現していますしね。ひょっとしたら20年後くらいには産業としては廃れてしまう可能性だってあります。だから、今のうちに備えるのです。」
「と言うと、石油の元売りかね?」
「確かに元売り販売もやりますがね、それだけじゃ面白くない。どうせなら油田も手に入れたいと考えています。もちろん日本だけじゃないですよ?海外の油田です」
義男はそこでニヤリと笑った。
「現在、いくつかの地域では間違いなく石油があると言われています。しかし、手つかずなところもあります。それは中国大陸であり、アラビア半島を中心とする中東地域であり、アフリカです。つまり、油田があるだろう所はいくらでもあるのですよ」
「そんなに上手くいくと?」
「いえいえ、流石に私もそんな簡単に上手くいくとは考えていません。最初は練習ですよ。何事も。即戦力になれる奴は限られているのです。」
「と、言いますと?」
「ウチは既に、山形の方に何カ所か土地を購入しています。そこで練習ということで何本か掘る予定です」
「ダメだったら?」
「その時はその時ですよ。まぁ、あってもそんなに大きいとは思えませんし。採算が取れるかは微妙です。しかし、ある程度のノウハウを手に入れることができるかと」
「最初から赤字確定ですか・・・」
「いきなり採算に乗せるのは難しいですからね。ゆっくり時間をかけてするモノですよ設備投資というのは。もちろん大変ですが」
「ああ、後、販売ですが、そちらはすでに提携する話がある程度進んでいます。販路の開拓や流通まで整備する時間はうちにはありませんからね」
「なっ・・・もう話がついているのですか!?」
義男は何でもないような表情を浮かべながら言った。
「ええ。詳細についてはまた今度話しますが、小さい会社ですがね。まだまだ伸びしろはあるでしょう。なにより社長のガッツがすさまじい。あれほどの傑物はそういないでしょうね。」
太市は驚いていた。そう、ちょっとした提案かと思ったら既に諸々の下準備が既にすんだ状態で話されたのだ。後はこちらが乗ってくるか来ないか・・・それだけ。これは流石に手厳しいと言わざるを得ない。そこで太市はふと思った。これはどっちにとっても別府造船の損にはならないことに。こちらを乗せれば三井との渡りが付けられる。なにしろ上海、ロンドンやニューヨークなどにも三井は支店を有している。その販売網は優秀だ。情報も手に入るだろう。ただでさえ、別府グループは三菱や住友、三井といった大財閥とは疎遠なのだ。だが無関係というわけにもいかない。それに、これくらい準備が進んでいるとなれば、貝島が別府が作ろうとしている石油事業に参入してもそれほど大きなパイは手に入らないだろう。これは貝島にとってはきついが、逆に言えば負担も少ない。
それに、別に貝島が参加しなかったらその時はその時で、別府グループが得られた利益を独占できる。石油自体は安いかも知れないが、油田を・・・それも、話を聞く限り海外にまで手を出そうとしているようだから、決して小さな利益にはならないだろう。もちろん潰れる可能性もあるが・・・。
非常に魅力的な提案だ・・・太市は思った。当初の負担は少ないだろう。それに、別府グループとの繋がりも強化されるし、なによりもグループに対して参加できる。が、その際三井がどう出てくるかは分からないことが懸念材料だが・・・それに、相応に利益も手に入るだろうから・・・悪くない!
義男はと言うと、太市ほど頭は回っていなかった。只単に三井とかと繋がりも欲しいし、貝島と繋がりを作っておけばいいや。只単にそれだけ。義男は只石油事業をしたいだけで、太市にはついでに声をかけただけに過ぎない。乗るも良し、乗らぬも良しである。
「悪くないですな」
「まぁ本来はこんな席で話すべきことではありませんがね。詳しいことはまた後日いたしましょう。実務的な協議や資料も必要ですしね」
「仕方ありませんな」
「ええ・・・おお、もうこんな時間だ。申し訳ないが、そろそろおいとまさせて頂きます」
「別に、泊まっていかれてもかまわないのですよ?」
「いえいえ、そこまでご迷惑はかけられませんから・・・」
そう言うと、義男は茜を連れて屋敷を辞した。これは茜が言い出したことだった。義男的には泊まっても別にかまわなかったのだが、何をされるか分からないと感じていた茜は直ぐに帰るように事前に言い含めていたのだった。
だが、兎にも角にも、基礎は固まった。後日、1925年の終わり頃に別府造船所と貝島との間に共同出資で石油会社が設立されることとなる。当初こそ日本国内の規模で言えば中小どころであったのだが、やがて別府グループからの強力な支援の基、やがては日本最大級の石油会社へと成長していくことになるのだが、またそれは後に話すとしよう。
みなさまこんばんは
早いモノでもう9月です。すっかり涼しくなってしまいました。
今回は石油への参入のさわりです。
暫くしたらまた石油事業を本格的に書く予定です。
丁度この頃から海軍の軍拡が本格化するというのもあります。
再来年頃には吹雪型の建造などもありますし
ボチボチ製鉄関連も本格化しなければ間に合わなくなります。
・・・ああ、やることが多すぎる!
石油もない、鉄もない(戦中のピーク時で700万トン)、技術もない、人もない・・・
つまりはこの時代はないないづくしだったのです。
後、なんかもうすぐしたら官僚と軍が五月蠅くなります。
・・・良くこんなので戦争ができたと思います。
次回は、製鉄関連の話になりそうです。




