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年始

 正月が1月1日というのは、ずっと昔から言われてきたことだ。それは江戸時代であっても明治であっても、大正であっても変わらない。ただし、違いは存在する。文化というものは時代時代によって変化するものなのだ。特に明治と江戸期ではかなり違いがあると言える。原因は明治政府によって太陽暦が採用されたことだろう。江戸期までの日本は基本的に太陰暦を使用していた。なので、現在と昔ではおおよそ1ヶ月の差があった。節分がその名残だ。節分とは、本来正月を祝う行事だったのだから・・・。

 なので、この時代では1月1日に公的な正月としての行事を行い、その一ヶ月後に本来の意味で正月を祝うというのが農村などでは行われたそうである。とにかく大正昭和期における日本における正月は大体そんな感じだった。中国における旧正月みたいなものだと思えばよい。現在でもその風習が残っているのかどうかまでは知らないが・・・。



1924年1月4日 山口県長府町


 この日、下関の駅前にてある男女の姿があった。一人は舶来ものの背広を着た中年のオッサンで、もう一人はようやく20歳くらいだろうかショートヘアの少女とも言うべき女性だった。言うまでもなく義男と茜である。


「ごめんな、大事な時期なのに」


「いえ、気にしないでください。これもお役目ですから・・・」


 目的地への道すがら、義男が申し訳なさそうに茜に言ったが、彼女は首を振って否定しつつ続けた。


「ですけど、大切にしていただけるのは嬉しいことです・・・」


 そう言いながら、茜はいとおしそうに下腹部を撫でた。着物のため分かりにくかったりするが、心なしか、彼女のお腹はふくれているように見えた。まぁ、野暮なことは言うまい。夫婦なのだからやることはやった結果と言うことだ。もはやこいつは41で、茜も20だと言うことを考えると、むしろ遅いくらいかも知れないが・・・。


 駅前で迎えに来た車に乗り込むと、やがて一軒の屋敷の前で車が止まった。門には『貝島』と書かれた表札がかかっていた。紛れもなく、貝島家の屋敷だった。今日こいつは茜を伴って年賀の挨拶にやってきたのだった。本来はこういうことは嫌いな義男であったが、流石に社長ともなるとそうもいかなかった。(まぁ、それ以前に雷蔵と一緒にあちこち回ったりしていたのだが)

 義男クラスになると挨拶回りをすると言うよりされる側に回るのだが、今回ばかりはそうも逝かなかった。まず、茜は貝島家の人間である以上、彼女の妊娠が分かった以上、彼女と同伴しての挨拶は必要だったし、他にも、いくつか目的があったのだから。(ちなみに雷蔵は地元の挨拶回りと傘下企業からやってくる人間の対応のために実家に残っていたりする。)


「やぁ、これはこれは来島さん。あけましておめでとうございます。」


「こちらこそ。本年もよろしくお願いします」


出迎えたのは、太市であった。

貝島家の中心的存在で、茜の後見人でもあった。

太市は茜を満足そうに見つめながら、声をかけた。


「茜も、元気そうで何よりだよ」


「はい、おかげさまで・・・」


 茜も手慣れたように返した。彼女もまた、なんかお金持ちの社長夫人らしい感じになっていた。20歳の女性と言えばこの時代では十分に大人であったのだ。


「さぁ、こんなところで立ち話も何だから、どうぞ上がって欲しい。」


太市に促され、義男と茜は奥の部屋へと通された。

そこには、上座にいた現貝島合名会社会長の栄四郎をはじめとする貝島家の主要人物達がずらりと並んでいた。さすがに、これには義男も面食らうことになった。



(おいおい、貝島一族総出でお出迎えかよ。他に行くとこあるだろ。馬鹿なの?死ぬの?)


 内心義男は思わずそう思った。こいつは自分の立場というものを余りよく理解できてはいなかった。あくまで自分は相も変わらず小市民な一般人に毛の生えた存在であると見ていた。

 まぁ、普通の人間はそう思わない。なにしろこいつは一般的には世界大戦での需要を戦前から正確に理解して、大戦景気に上手く乗り、それでいて手を引くタイミングを逃すことなく、不景気も最小限にとどめた。それだけでも大したものだが、ドイツから旧式艦や技術者を連れてきたり、東京にでっかいビルをおったてたりとかなり破天荒なことをしている。それだけやってもなお相変わらず会社の経営状況は堅調なのだ。・・・化け物か?と思えるような奴なのだから。海に放り込んだり、家事に疲れて会議中に居眠りしているのをちょっと温い目で見ながらスルーしたり、いつもの思いつきに溜息をつけるのは、多分別府グループの上層部くらいのものかも知れない。


「良く来ていただきました。さぁ、どうぞ」


「はぁ、どうも・・・お言葉に甘えまして・・・」


 一番上座に座っていた貝島六太郎に席を勧められ、いそいそと用意された席に座ろうとしたが、隣にいた茜が一瞬だが、貝島一族を妙な目で見たことに義男は気がつかなかった。

 やがて酒やら料理やらを勧められながらしばらくは普通の歓談をしていた。茜はさすがに身重なので酒は飲んでいない。滅茶苦茶不満そうであるがお茶かジュースで我慢している。ちなみに、この時代、ジュースというものは一般家庭においてはいつでも飲めるものではなく、あくまでハレの日の飲み物だった。(その代わりに粉末ジュースがよく飲まれた)その際にも、茜は表面上穏やかだが、どこかぴりぴりしているのを義男は感じた。まるで周囲に目を配っているような感じだった。が、脳天気なこいつはちょっと機嫌が悪いのかな?と思っただけだった。


やがて、宴会が一段落したところで、隣にやってきた太市がおもむろに話しかけてきた。


「・・・どうも、そちらの景気はよいようですね?」


「いや、こう不景気ですとね・・・なかなか苦しいですよ」


「そうですか?なかなか景気がよいと聞きましたが・・・?」


「そんなことはないですよ・・・」


 アハハと笑って誤魔化そうとしていたが、実際義男はこの前に発生した関東大震災で大儲けしていた。混乱した市場で株を買いあさり、かつ売り逃げすることに成功していた。ついでに暫く下落が続いていた鉄鋼価格も一時的に落ち着きを取り戻し、その隙に蓄えていた不良在庫の鋼材の一部を売っ払うなどしてかなりの利益を上げていたのだ。本来ならば世間的にはたたかれても仕方のないのだが、東京証券取引所が火事で燃えてしまったり、亀戸のビルを避難所として開放したり、積極的に救援物資を輸送したりとしたことで、そちらの方にスポットライトが当たり、まず目立つことはなかった。運が良かったと言うべきだろう。下手をすれば亀戸ビルがキレた暴徒によって焼き討ちにされてもおかしくはない。(実際三井と大阪朝日新聞が煽って鈴木商店本店を燃やしている。)ちなみに、そこで得た原資はアメリカでの株取引の資金に使用されており、今もって有効に運用されている。

 ・・・正直言えば人でなしとも言うべきえげつない奴である。震災が起こったときニヤリと笑ったのはそんな感じで、あらゆる意味で別府グループにとってプラスになると分かっていたからだった。失敗しても失うものは少ない・・・。

 こいつとて、ただのヘタレなお人好しでもなかった。ただ、そう言った自身にも思うところはあるようだが、書いたところで得にもなりはしないこいつの内面についてのことはまた後に書かせていただく。


 しかし、と義男は思った。ここで貝島が何で自分たちがそんなに大儲けしていることを知っているのだろうと考えた。東京に店を出したと言ったところで、あくまで自分たちが地方財閥でしかないことは違いない。どこから・・・そこまで考えたところで最悪の考えが頭に浮かんだ。


「三井さんから・・・ですか?」


 冗談交じりに言うように義男は尋ねた。なんだかんだでこいつもそれなりにそういう演技ができるようにはなってきたようだ。顔は大分引きつっているようだったため、まだまだ修行が必要である。が、太市はそれに応えることなくにこやかにコップに入った酒をあおっていた。


(応えないことは正解と言うことか・・・)


 沈黙は金である。義男は三井辺りから自分たちに釘を刺しておくように言われたのか、あるいはちょっと変な目で見られているから気をつけろと言っているのだろうと当たりを付けていたが、どうやらそれは合っていたようだ。それは同時に大財閥から目を付けられてしまったと言うことをも意味していた。


(あれ?俺なんかあちらさんの迷惑になるようなことやったかな?コークスはちゃんと貝島の他に三井さんからも買っているし、向こうの領分にはあんまり参加していないし・・・)


 義男はない頭を絞って考えてみたが、どうにも納得いかない。正解を言えば義男達の急成長に対して上の方々が若干目障りに思ったようだった。義男にはそうでなくても・・・である。


(まぁ、そのことは後で考えよう)


義男の出した結論は先送りであった。こいつは都合の悪いことは後回しにする癖があった。まぁ、この件に関して言えば、そう簡単に結論を出すことはできなかった。


「・・・そういえば、貝島さんも最近は色々手広くやっていらっしゃるようですね?」


 取り敢えず、まずは話題をそらすことから始めた。大財閥から目を付けられそうになっているという忠告には感謝していたが、だからといって今この場でどうこうしようとするつもりは義男にはなかった。第一、財閥が敵に回るくらいならさっさと頭下げて白旗をふれなんて言われてはいそうですかというわけにも行かない。下に付いたらそれこそ貝島の二の舞になりかねないからだ。現在の貝島は相変わらず三井の影響下にあることはいくらそういうのに疎い義男でもある程度は理解していた。義男は、別に経済史を知っているわけではなかった。そのため、貝島という会社が史実でどういう道をたどったのかは知らないが、敗戦後にそれなりにダメージを受けて潰れたか何かしただろうとは想像していた。現実には、中堅企業へと大幅に縮小したのであるが・・・。

 

「ええ。ただ、個人的に申しますといささか手を広げすぎてしまっているように思うのですよ。あまり手を広げすぎると、資本を分散させてしまい、持続能力を失ってしまう危険もありますから」


 太市が静かに言った。この時期、貝島財閥はいくつかの会社を傘下に持っていて、これまでの石炭オンリーから、林業や保険など経営の多角化が推し進められていた。ただ、それは決して貝島家が望んでいたわけでもなかった。これは基本的に現在貝島財閥の顧問となっていてかつ、太市の義理の兄でもある鮎川義介が主導してのことだった。この背景には、三井などの考えが変化するなど、情勢が変わったことを意味していた。

 日露戦争終戦後の不況で、貝島は一時期倒産しかけたことがあり、その際に井上馨の伝で毛利家から金を借り受けることができていた。そして、その頃から三井の傘下に付いた。以来、大体10年以上そんな感じである。その辺りのことは以前に書いたので、読者諸兄にはそちらを参考にしてもらいたい。その後ひたすらその影響下から脱しようとしていたのだが、その中心人物の一人が太市でもあった。彼は、現在の鮎川の行っている改革にはそれほど好意を持っていないようだった。ただ、鮎川の行おうとした貝島財閥の多角化は、長い目で見たら必要になるものだと判断できることだったが、貝島家にとっては少しやり過ぎであるように思えたのだった。どちらが正しいのかというと判断に困るが、少なくとも貝島は彼らを排除する道を選んだ。そしておよそ2年後の1926年に貝島財閥は再編成されることとなる。後に、一部は鮎川の日産に合流することとなる。



 

「まぁ、経済とは生き物ですからね。そう上手くはいきません」


「ですが、あなたは上手くやっているようですが?」


「運が良くて潰れていないだけですよ」


 そう言ってひたすら誤魔化していたが、一つ義男は彼らの真意をよみ損ねていたところがあった。あからさまなことかも知れないが、貝島はこいつを自分たちに取り込みたいと考えていたのだった。まぁ、確かにこいつを取り込めれば、もれなく別府グループそのものが手に入る。実質的に別府グループは義男と雷蔵による財閥だからだ。三井は無理でも、鮎川の日産以上の力は持てるだろう。義男自身も少なくとも表面上は普通に優秀な投資家である。なんか一部では「相場の魔術師」の異名を持っているのだとか。貝島にとっていづれ三井や鮎川の影響から脱することは規定事項だし、そこで彼を手に入れたら自分たちの力は飛躍的に高まるだろうと考えていた。

 そして、そのことにこいつは気がついていない。やり過ぎたという自覚はあってもそれが自分の価値に結びついていないのだ。一方茜は気がついていた。実際茜はそれを警戒してそれとなく周囲を牽制していたのだが、こいつはやっぱりそのことに気がついていない。茜も茜で、いくら自分のことに鈍感な旦那でもこれくらいは理解しているだろうと考えており、何も言わなかった。

 ただし、義男としても貝島に対してある程度の『手土産』は必要だろうと感じてはいた。ただそれは、元々行う予定のものでもあって、今回気が付いたことで慌てて行うと言うことでもなかった。少し予定が早くなったと言うことだけだった。まぁ、しかたないな・・・。そう思い、溜息を一つつくと、思い切って義男は太市に話しかけてみた。













「そう言えば太市さん・・・石油に興味はおありですか?」



 




皆様こんにちは

早いものでもう気がついたら8月です。この作品も4年目になってしまいました。

なのにまだ1920年代・・・できるだけ早く続きを書いていきたいです。


今回は茜の実家、貝島家にお邪魔しました。

どうやら彼らは義男をほしがっているみたいです。ついでにようやく他の財閥から目を付けられたことに気がついたようです。まぁ、あれだけやらかせばそりゃそうなります。でもこいつのことだから具体的な対抗とかはできないかも知れません。

また、関東大震災で義男がニヤッと笑った理由の一つがこれです。もちろん他にも理由はあるのですが。こいつがそうなった理由は少しずつ明かして行ければと考えています。



次回は、石油会社についてのお話にしたいと思っています。

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