帰国
1920年4月11日
「ようやく帰ってきたという実感がわきましたね」
「ああ、久しぶりの我が家はいい・・・」
義男は床の上に寝転がり、久方ぶりの畳の感触を感じながらいった。
義男と茜は別府にある屋敷に帰っていた。
数週間前、義男たちは数ヶ月にわたる長期の欧州旅行から帰国することがようやくできていたのだが、義男たちは決して楽ができるわけではなかった。
帰ってきた義男たちを待っていたのは不景気になりつつある日本と、ひっきりなしにやってくる民間及び海軍の技師達であった。
義男たちはドイツ(後、英国からも何隻か旧式艦を買っていた)などから大量の戦艦のスクラップを購入してきていた。
ドイツが第一次大戦当時世界屈指の工業国であったことは前に何度となく述べている。
特に、目玉商品とも言うべき2隻の巡洋戦艦を別府造船が購入して日本に持って帰ってきたという情報を購入の際に横槍を入れてきた海軍の駐独武官から手に入れていた日本海軍の上層部は早速動き出した。
ジュットランド以前の設計とは言え当時のドイツの技術の粋を詰め込んだ最新技術の塊である。
つまり、ドイツの技術を知り得るまたとない機会なのだ。
あわよくば横取りできるかもしれない・・・。
そんな考えを持った日本海軍の技官やこれまで築いてきたツテから情報をキャッチした川崎造船や三菱造船などの大手造船企業からも技師達がやってきて船を見せろとおしかけてきたのだ。
ということで、義男や雷蔵達はすっかり彼らの対応に参ってしまっていた。
特に軍にいたっては有事の際にはよこせとか言ってきたものだから、義男たちは腰を抜かしてしまった。
義男はまだ私案の段階でしかないがこの二隻を貨客船にするつもりだった。
マジェスティックやノルマンディーほどとまでは言わなくても、3万トンクラスならばかなりの大型船である。
なので、現在八八艦隊計画を進行中とは言え万年貧乏な日本海軍としても金剛型巡洋戦艦に匹敵・・・いや、凌駕するこの巡洋戦艦をつかったものをもしも別府造船が商船にするならば補助戦力として・・・もしくは可能ならば短期間で改装して正面戦力にできるように改造できれば・・・結構素晴らしいことになる。海軍的には
空母隼鷹や神鷹(元シャルンホルスト)みたいにそう簡単に客船に再改装できないくらいに改造されるであろうことは未来を知る義男としては簡単に考え付くことができたこともあって、有事の際云々は絶対に言質を与えることはなかった。
ただ、日本の造船技術の進歩にはつなげなければならないとして、造船技師達の見学などは認めたし、手に入れてきた設計図(本体とは別でオプションとして1万£と言うぼったくりだったが豪華客船ファーターラント号の設計図とセットで3万£で購入した)の閲覧も認めた。
この頃から日本海軍は別府造船所に対してなにかと興味を抱くようになり、同時に義男は軍に対してだんだん冷めた目でみていくようになるのだが、それはまたいずれ話すトしよう・・・。
「・・・で、親父は?」
「お義父さまでしたら、町の会合にイってくると言って先ほど別府のほうへ出られましたわ。」
「まぁ、仕方ないか。こりゃ親父的に考えたら帰ってくるのは明日だな・・・」
ふう・・・とため息をつきながら義男は天井を見つめた。
さて・・・これからどうするかなぁ・・・
義男は欧州でもいくつかの会社の買収や高騰する建設業などに対して投資や投機をおこなっていた。
欧州では現在復興事業が盛んに行われており、投機の対象としてはとても魅力的であったのだ。
おかげでずいぶんと稼ぐことができたし、今後もしばらくはそれ相応の利益が見込めそうだと義男は実感していた。
アメリカでも未だに好景気が続いており、一時終戦によって減速こそするも所得が全体的に上向いている状態だ。
ただ、過剰な生産を消費が支えきれるのかどうかは先行きは不透明で、投機の連続による一種のバブルにつながっていく可能性もあると義男は考えていた。
バブルだと、突入するのは簡単なんだが出て行くのが難しいんだよな。
どの段階で逃げるか・・・史実と同じ日の段階で逃げるか、それともその前か・・・でもばれない様に気をつけないとな・・・
義男は前の世で二次オリジナルを問わず数多の架空戦記を読んできた経験からバタフライ効果を恐れていた。確かに自分には日本経済はともかく世界経済に対する影響力はない。
知っているのはここ数十年の先行きのみ(それでも大したものだが)だが、ひとたび義男がミスなり何なりで歴史が変わるとその金融や経済の知識すらも怪しくなっていく。
つまり、自分がこれまで利用してきた物が使えなくなって金をこれ以上稼げなくなると言う可能性があった。
(まぁ、せめて世界恐慌くらいまではなんとか歴史どおり流れて欲しいものだが・・・果たして上手くいくかどうか・・・)
義男は未来に不安を感じていたが、現在儲けることができていることは確かだった。
義男は欧州での投資や投機によってそれなりの儲けを出していた。
その一部は欧州での買い叩きツアーに使用されたが、まだかなりの額が別府グループの金庫の中には眠っている。
もちろん、これも新しい投資に利用するつもりだったが、現状ではなかなか望ましいものがない状態だった。
当面は資金の補填や担保、研究費用として充てることが望ましいと義男を初めとする別府グループの経営陣は考えていた。現状まだ別府グループは余裕があるのだ。
造船所としては発注は尻すぼみになりつつあるが、漁船の建造や改装修理などならば意外と結構あったりする。
特に、鉄鋼業にいたっては絶好調である。
戦争が終わったのに鉄鋼業が好調な背景の一つとして、海軍の大規模な軍拡があった。
現在日本海軍は41センチ砲装備の戦艦長門に代表される八八艦隊計画を実行中であり、完成すれば世界最強の艦隊(正面装備に限って言えばだが)が完成する見通しが立っていた。
それに伴い、鋼材価格および生産量はいまだ大戦終結によって鈍化こそすれど未だに上昇していた。
ただ、いまだ脆弱な日本経済や財政の現状を無視した大規模建造を行おうとしている日本海軍に対して義男は冷めた目で見てこそいたが、それでも部材として大量発注が続いている以上、義男は笑顔で対応していた。もっとも、それがつぶれることも最初からお見通しなのだからこそなのだが・・・
おそらく、この鉄鋼の好況は1922年ごろまで続くだろうから放っておいても大丈夫だが、問題はその後だな・・・おそらくこのままだと神戸製鋼は厳しくなっていくだろうしそこらで何らかの手は打たないといけないだろう。
そのためには海外に打って出る必要性があると義男は考えていた。
だが、そのためには鋼材価格の引き下げや鋼材の質そのものの大幅な向上がひつようだった。
そのためにも大規模な設備投資が必要であったが、それが果たして可能なのだろうか
可能だとしてどの程度の規模になるか
そして造船はそもそもここから先生き残ることができるのか?
生き残るとするならば具体的にどんな手をとるべきか?
などなど、義男は次の手に対して考えあぐねていた。
現在の義男達別府グループには力はそれほどあるわけではない。
欧州では確かにヒトラーを初めとする多くの未来の要人と縁を結ぶことができた。
そして、ドイツ人の技術者もまた沢山日本に呼び寄せることができた。
最も、移民手続きやら日本での受入準備などの関係上彼らが日本にやってくるのは今年の後半以降のことになるが・・・
だが、彼らとの人脈や技術を活かすにはどうしても『金』が必要不可欠だった。
研究にも、交渉にも何をするにも金は要る。
「金、金、金・・・そしてまた金・・・か。全く、われながら浅ましいにも程があるというものだ」
義男に足りないのは金だけではない。
政治力も足りない。
確かに別府グループは地元や九州北部における政治家達とつながりを持っている。
特に、地元たる別府町や日出町では強固なものである。
(というか今の状況で別府造船がなくなったら日出は経済的に立ち行かなくなる)
だが、中央ではどうか?
残念ながらほとんど持っていない。
義男は今後別府グループを寄り成長させるためには中央政界とのつながりが不可欠だと考えていた。
問題はそのツテをどうやって手に入れるかだった。
残念ながら義男には相当な人脈はない。勿論雷蔵にもない
向こうから寄ってくるのを待つか?
それこそいつになるかもわからないのだから却下である。
(もういっそのこと、岩崎弥太郎や渋沢栄一、住友さん家みたいな政商になれればずっと楽なんだがなぁ・・・・・・いや、何を言っているんだろうな俺は)
知り合いか親戚の誰かを・・・もしくは自分が政治家になる。一瞬だがそんなことが頭をよぎったが、義男はすぐに頭を振って考えを打ち消した。
(何を考えているんだ、俺が政治屋に?せいぜいなれても野次の応酬の中で右往左往するだけだろうな、乱闘だってお断りだ・・・)
義男の頭の中には、現代日本の国会の野次の飛び交う政争の場面があった。
2000年代はじめのサラリーマンだった義男にとって、政治とは有権者に対して現実を無視した理想論を振りかざして選挙を取るのが政治だという認識しかなかった。
勿論、大正時代と未来の国会の様子は違った・・・かもしれないが、日中戦争前の国会は大体そんな感じで、誰も責任を取りたがらないのが政界だった。
だが、別府グループを成長させるにはそうした政界に参加していくことはどうしても必要だった。
(いつの間にとはいえ、政治のことまで考えることになるとはな・・・こういう意味では前世のほうが楽だったよな・・・)
コンビニの唐揚げとアカツキやビャッコの安い缶ビール、中古のPCゲームで満足していた気楽なサラリーマンであった前世を思い出して義男は苦笑いを浮かべた。
前世では上に行けば、何だってできると思っていた。
義男はいつも自分達社員をこき使っていた上司を思い浮かべていたからなのだが、彼以上の立場になってみると、自分がとれる選択肢と言うものが広がるどころか逆にドンドンと狭まっていくことがわかった。
義男が担当している営業でもそうだ。
今まで自分がやってきた末端の網元や個人船主、中小海運会社などとの営業活動はとっくの昔に部下に任せているし、今や自分の仕事は営業部門の統括である。
たまに自らが営業活動をするといってもそのときは大口の海運会社や地元の有力者などとの会合などのときくらいでしかない・・・
そう、今や義男は自ら足を運ぶ営業などそうそうやってはならない立場におかれつつあった。
そのため、義男自身かなり戸惑っていたと言うのが現実であった。
彼もやはり苦労をしていたのだろうか・・・いや、それはないな。アノ野郎はいつもサビ残で苦しむ俺達より先に帰っていたからな。
(だが、現代が居心地がよかったかと言うとそう言うわけでもないがね)
こちらの時代にやってきて、義男がほっとした事がある。
残業時間にも限度があると言うことだった。
というのも、この時代店は大体夜になったら閉じる。
間違ってもコンビニみたいな24時間営業のところはない。
いや、コンビにもそもそも夜11時くらいまでしか営業しなかった時代があるのだ。
現在ではコンビニの24時間営業も当たり前になっているし、なかには24時間営業のスーパーなども存在してたりする。
そして、店舗の24時間営業あるいは深夜営業が出現した頃からこういった深夜残業も本格化している。
逆説的に考えれば、そんなも便利なものがないこの時代、サラリーマンはそこまで深夜まで働くことは少ないと言うのが当たり前だった。
いや、というかそもそもそんな夜中まで働けない
もちろん、定時帰りなんてものはほとんどないが、そこまで遅くまで働くわけがない。(弁当などがあれば話は別だが)
蛇足だが、現在では東京から大阪への出張は基本日帰りだが、かつては数日間寝泊りするのが普通だった。新幹線ができてからもしばらくはそれは変わることがなかった。
(そして、牛肉をお土産に買って替えるのができたサラリーマンの常識であった!・・・らしい)
ま、最も、そんなに夜遅くまで働くことで効率がよくなるわけでもないんだよな・・・ぶっちゃけ同僚や先輩との関係で残っていただけで、夜中はほとんど仕事しているフリだったしな・・・
「ハァ・・・」
「あなた、どうなさいましたの?」
過去(未来?とも言う)を思い出して再びため息をついた義男を心配するように茜が尋ねた。
「ああ、いや、なんでもないよ。ああ、それより今晩は何にしようか?」
義男は早速ごまかした。
いや、時刻はそろそろ3時に差し掛かりつつあったこともあったため、ぼちぼち夕食の準備をしなければならなかった。
「お義父様からのこともありますので、精のつくもののほうがよろしいかと・・・?」
「何で親父が・・・?・・・ああそうだな、わかった。う~ん精のつくものねェ・・・ウナギは季節じゃないし・・・」
義男はめぐらせるべき考えを今夜の夕食のことについてにすべく頭のチャンネルを切り替えつつ、浴衣に着替えて買い物へと出かける準備をイソイソと始めた。
最も、夕食のメニューなどの意味についてまでは義男自身は思い至ることはなかったが
(そんなヘタレかつ鈍感だから妻が仕掛けた辛らつなる罠に簡単にひかっかるのだ。この阿呆が)
久し振りにあげることができました・・・
いや~、リアルが少し落ち着きましたので、ようやく書けるかなと思ったらまた別のもの(二次創作ではない)が書きたくなりましてそれ書いてたらこの時期になってしまいましたよ
さて、今回はいきなりですが義男たちは日本へと帰国することになったところです。欧州での義男たちの戦利品はこの後少しずつ出して行こうと思います。
昔大学の先生から大阪に出張に行った帰りに牛肉をお土産に買ってくるのがサラリーマンの土産の定番だったと聞いたことがあるのですが、それをなぜか豚カツ定食食べてたら思い出しました。ああ、スキヤキが食べたい・・・
それから、これは皆様にお伺いしたいことなのですが、16話許婚のように別視点からのものをこれからちょくちょくあげていきたいと思っているのですが、それは番外編と言う形で作ったほうがいいのでしょうか?それとも現在の形であげていったほうがいいのでしょうか?
次回は、少し経営などの話から離れる予定です。




