出発
カーンカーン・・・というハンマーの音がヴィルヘルムハーフェンの造船所に轟いている。
「まさか、こいつで帰ることになるとはなぁ・・・」
「面白いだろ?」
「まぁな」
義男と雷蔵はドックを見下ろしながら感慨深そうに言った。
義男達の視線の先には巨大な船体に工員達が群がっていた。
巨大なクレーンが音を立てて動き、必要なものを運んでいく。
船体の名は『マッケンゼン』例の巡洋戦艦である。
義男達別府造船所が購入したものである。
さて、これを購入するとなったときは一悶着があった。
まず、義男がそこの係の人に「これ売ってくんね?」
と何気なく言ったことで、すでに解体が決まっていたこともあって係りの人は仰天してしまった。
で、交渉の結果12万£で売却されることが決まった。
義男としては、完品だった旧式戦艦が実質5千£程度で買えたこともあってかなり渋ったが、それでもかなり粘って(解体する必要はないし、機関関係と航海用関連のものを用意してくれればそれでいいということなどで値切り交渉を行った)
そこに、噂を聞きつけたドイツの駐在武官らがやってきて艦についてのデータなどの提供を求めるなど、てんやわんやのカオス状態になった。
その後のリアルファイトになりかけるほどの壮絶な交渉の結果なんとか落ち着いた。
かくして、義男達別府造船所はドイツの巡洋戦艦『マッケンゼン』および『グラーフ・シュペー』をかく12万£、計24万£で購入したものの、問題はその後だった。
もって帰り方である。
正直言ってそのままではもって帰ることなどできない。
日本から安土丸型貨物船を派遣して曳航するという案もあったが、費用対効果は最悪以外の何者でもないとして没案となってしまった。
いちど解体しちまって、その後日本の別府造船まで持って帰ってきて作り直すと言うことも考えられたが、現実的に難しいとやっぱり没になった。(そもそもどうやって持って帰るのかと小一時間・・・)
最終的に、なんとか自走できる状態にまで建造を再開させると言うことで落ち着いた。
それが一番現実的だったのだ。
その回航費用もかなりの出費になることは確実であるが・・・
ちなみに、ある程度完成次第、船体には以前購入した艦艇のスクラップを積み込むんでいっしょに運ぶ予定であることは言うまでもない。
ドイツの賠償艦艇を管理している連合軍の賠償船舶管理部門に掛け合った結果、『まぁ、ドイツに使わせなければいいんじゃね?』と意外にもすぐに許可が下りた。
元々、たしかにパンチ力と足はいいが、その設計の基礎的部分はかつてのブリュッヒャーなどの大型装甲巡洋艦とそれほど差異はなく、前世代的な防御構造であって、それほど重要視されてもいなかったこともあるのかもしれない。
その間にも義男達は欧州各地を回って投資やスクラップ、技術などの輸入に走り回った。
日本はいまだ工業後進国で、当時農業国だったイタリアと同じくらいの国力しかなかったのだ。(というか一部技術面ではイタリア以下だったとも考えられるが)
当然ながら技術もまだまだだ。
別府造船所も溶接技術はある程度ものにしつつあるがやっぱりまだまだ劣化模倣の域を出ておらず、独創性や応用はもっと先になるだろう・・・。
だから、手に入れられるものは根こそぎ手に入れる・・・それが義男のスタンスだった。
その中でも特に義男が力を入れていたのが、レーダーやソナーなどの電子機器関連であった。
元々、レーダーやソナーなどはこの頃から使われ始めていた。
特にソナーはドイツのUボートが聴音機として使用していたり、それに対抗しようとした連合軍の対潜哨戒部隊などが利用するなど、双方で開発競争が加速しており、それなりのものが作られていた。
実際、日本もパッシブソナーであるKチューブを手に入れて研究し、後に九三式水中聴音機などを開発している。
だが、日本はそれを十分モノにできたのかと言うと必ずしもそうではなく、1944年ごろの商船の大量損失や、対潜哨戒が十分上手くいかなかった要因のひとつにもなっている。
そんな歴史を知っている義男としては、レーダーやソナーの基礎技術を手に入れて研究を加速させたい考えであった。
ただ、レーダーに関して言えばこの頃は何処の国もまだまだ手付かずであった。
確かに、電磁波による物体の反射などはすでに証明されていたし、丁度今頃には、ドイツでマグネトロンの開発などが行われたりするのだが、義男としてもその辺はあいまいであった。
義男とて全てを知っているわけではない。
ただ、この時期にこんなのがあったような気がする・・・という程度の認識だからだ
そもそも彼は技術者ではなく、一介の営業マンでしかなかったため、難しい技術関係のことは基礎の基礎の初歩くらいしか知らない。(若しくはそれ以下)
発表された論文だってなかなか読んだりすることもない
こういうの探してきてと部下に頼むしかないのだから、どうしてもタイムロスがある
もしも義男が全知の能力を知っているのならば、今頃義男は海軍軍人になっていたし、それに調子に乗って厨二病を継続していただろう。
(ただ、そうした認識でも大きなアドバンテージであることには違いないが、それでももう少し確実性をこの男に求めたいものである。)
・・・話を戻そう
ただ、義男はその一方で日本でのレーダー開発の歴史も少しだけ知っていた。
前世が軍オタであったことの数少ない恩恵であろう
実は、日本でも八木博士の八木アンテナやあんまり知られていないがマグネトロンなどの電波技術での優れた功績があるのだ。
それらを組み合わせ、発展させれば史実よりもずっと優れたレーダーやソナーなどの電子機器が日本に存在することになるであろう・・・。
(最も、それを日本軍が着目したとして、かついかに運用するかにもよるが・・・。)
勿論、純粋な利益にもなるはずだ。
例えばソナーは魚群探知機の開発に役立つだろうし、レーダーに至っては平時戦時を問わず航空機や船舶の安全を確保するためには必須のものであるであろう。
・・・いや、必ずそうなる。
それらを別府造船が開発しばら蒔けば・・・日本の技術力の向上は勿論のこと、かなりの利益を上げることができるようになるだろう。
さらに、人材の発掘も進めている真っ最中だ。
そちらは特に、神戸製鋼や別府汽船と連携している。
特に、別府汽船には船員の数が非常に限られているのが現在の最大のネックであった。
なんとかかき集めて運用しているとはいっても、それはなかばやっつけであり、まったくたりていないというのが現状であった。
人がいないのならば余っている所から引っこ抜くいてきたらいいじゃない
ということで、義男はドイツの海軍将兵に片っ端から声をかけたのだ。
ドイツが敗戦の結果軍縮を行うハメになったことはこれまでも散々書いた。
ドイツ海軍は戦前その保有トン数は英国についで世界第二位だった。
だが、敗戦の結果、多数の艦艇が廃棄&自沈されることとなってしまう。
当然ながら、縮小される海軍にそんなに船乗りは要らない。
ついでにいうと、ドイツの商船隊はもともとその規模は英仏に比べると格段に小規模だった。
それでも、ファーターラント号やドイッチュラント号などの対米移民用などの客船を多数保有してはいたが、その肝心の客船もその多くが戦後賠償という形で連合国に引き渡されている。
大戦も終わり、それら商船隊はすこしずつその数を回復させようとされていたが、それでもやっぱりそんなに多くの船員はいらない
また、そのほか産業界でも大規模な人員整理が行われることになった。
例えば鉄鋼業界などがその代表例といえるのかもしれない。
元々、ドイツは鉄血宰相ビスマルクおじさんの言うように「血と鉄の帝国」で、ルール工業地帯のクルップに代表されるような多くの重工業メーカーを有していた。
その生産力は第一次大戦が起こるまで文字通り世界一であった。
だからこそ、あれほどの大消耗戦を数年間ぶっ通しで続けることが出来たのだともいえる
だが、敗戦した後、それら重工業メーカーは敗戦と戦争の終了に伴いその生産体制の抜本的な改革・・・つまり、軍需から民需への仕様変更が行われることになった。
結果、それに伴って大規模な人員整理が行われることになる。
ということで、首切りにあった工員や技術者が多数出現することになる。
こうした船乗りや工員といった人々はいわゆる専門職であり、神戸製鋼所、別府造船、別府汽船、大神鉄道といった重工業メーカーおよび運輸会社を傘下にもつ義男にしてみれば、これら専門職持ちはぜひ手に入れたい人材であった。
ということで
「この中で船乗り、鋼鉄技術者、その他技術者がいれば私の会社ににぜひ来てください。高額で雇いますよ?」
と言うことをあちこちで言いまくったのだ。
結果、結構な数の人間が義男の下に履歴書やES片手に面接に訪れていた。
当時のドイツでは黄禍論がはやっており、その影響から日本人はそれほどいい目で見てもらえることはなかったものの、それでも、お金が必要な人間はさがせば幾らでもいるのだ。
現代でも、日本のソニーやパナソニックなどの大手企業に勤めていた技術者が韓国のサムソンやLG、台湾のフォンハイなどの海外企業によって一時的とはいえ高給で再雇用されてしまい、技術流出が問題化しているように・・・だ。
義男は、これらの人材を再雇用することによって戦前戦中にドイツが蓄えた鉄鋼や造船技術、船員などの人材を手に入れて質量共に強化しようとしていた。
義男は、別府造船はいずれ国内だけではなく、世界を相手に戦いを挑まねばならないと確信をもって考えていた。
そのためにもトップクラスの優れた人材が必要なのだ・・・
そして、これらの人材を今度は日本人の社員達の教育に生かすことが出来れば・・・と考えていた。
ただ、そのためにはいくつものハードルがあるのだが・・・
さて、これら人材のなかで最も多かったのがユダヤ人であったことは義男も意外に思うことになった。
たしかに、ユダヤ人は昔から金融業を中心に営んでいてユダヤ人=高利貸しみたいな認識やユダヤ教以外認めないところ(必ずしもそうではないが)や、イエスおじさんをぶっ殺しちゃったことなどもあってヨーロッパでは中世時期のペスト流行の頃にはノリノリで虐殺されたりするくらい嫌われている。
そのため、嫌われるのが嫌で多くユダヤ人がアメリカに渡ったりしているのだが、それでもまだまだ多くがヨーロッパにいたりする。
ちなみに、ドイツ軍の将官でもユダヤ系はいたりする
オーデル川攻防戦を指揮したハインリーチ上級大将がその好例と言えるのかもしれない。
彼は先祖にユダヤ人の血が入っており、それを懸念していたこともあってヒトラーに頼んで「純血ドイツ人」ということを保障してもらっていたりするが、どうでもいい蛇足である。
彼らヨーロッパに残ったユダヤ人はその後の第二次世界大戦で虐殺されたりすることになる・・・
当時のドイツでは敗戦の契機となったのがユダヤ人のせいだという論調があったこともあって肩身の狭い思いをしたユダヤ人もおおかった。
なので、「それじゃぁ、とりあえず日本にいってみるべ」という人間もそれなりにいたりする。
そのため、多くのドイツ人がこの時期日本に向けて移民手続きをとろうとしており、日本の大使館ではその対応に苦慮することになり、義男や雷蔵のもとに外務省から苦情がきたりしたが・・・まぁ、その後は何もいってこなくなる。
別にたいしたことをしたわけではない
大分出身の議員に「お仕事頑張ってくださいね!」とお菓子を贈ったり、一緒に料亭でご飯を食べただけである。
別にお菓子が妙にピカピカだったり、ご飯の最中に「選挙って大変ですねー、支持されなくなったら代議士さんも唯の人ですしねー(棒)そういえばウチは別府や筑豊の財閥と仲いいんだよねー」とか言ったりしたわけではない。
・・・・・・別にそんなことをしたわけではないのだ!
・・・まぁ、そんなすったもんだもあったものの、ここで得たドイツの人材はその後の別府グループにおいて技術者達の基幹となり、その技術や生産力の向上に大きく貢献することになるのだが、それはここでは割愛させていただく。
「船員も船もドイツ製・・・か」
「それだけ、俺達には物がないってことさ」
義男が脱力しながら言った
「船員がどこだろうが、船が何処だろうが関係はないよ。ちゃんと安全に航海してくれて、ちゃんと物を作ってくれて、しっかりとした実績を出せば・・・それでいいんだよ」
「まぁ、そうだな。だが、そこには経験や年齢も重なる。決して優れた人材だけが上に上がるわけじゃない・・・まあ、そこが会社経営の人材の配置で難しいところだな。お前もよく覚えておけ」
「肝に銘じておくさ・・・」
そんな話をしながら義男と雷蔵は頼もしそうにドックに鎮座する「マッケンゼン」を眺めていた。
どうも皆様おひさしぶりです。
・・・て、なんども言っていますが・・・^^;
ついに自分のパソコンが寿命で逝ってしまいまして・・・まあ、中古で買って4年も動いたんだから十分といえばそうなのですが・・・いまいつも使っているのとは別のPcで書いていますので、結構面倒くさいです。
意外なのですが、日本は八木アンテナのほかにもマグネトロンの開発でもそれなりの功績をあげていたようです。
ただし、当時の上層部が興味を示さず結局アメリカなどにパクられてしまって気が付いて研究が本格化したのが戦中という有様だったようです。
こうした優れたけれども注目されなかった研究というものもできるだけ拾っていけたらと思います。




