86話「今までの分」
翌朝。
東部の鉱山。
奴隷たちが。
広場に集められていた。
王国兵が。
命令書を開く。
「本日より」
「奴隷の売買を」
「禁止する」
「家族を」
「本人の意思なく」
「引き離すことも」
「認めない」
ざわめきが。
広がる。
「そして」
「ここに残るか」
「離れるか」
「それは」
「本人が決める」
「…………」
誰も。
動かなかった。
◇
一人の男が。
恐る恐る。
手を上げる。
「その……」
「出ていっても」
「いいんですか?」
「ああ」
「主人の許可は?」
「必要ない」
「…………」
男が。
鉱山主を見る。
それから。
門へ向かう。
一歩。
また一歩。
門を出る。
誰も。
追ってこない。
「…………」
男は。
そのまま。
走り出した。
◇
それを見て。
また一人。
また一人。
門へ向かう。
泣く者。
笑う者。
何度も。
後ろを振り返る者。
◇
「私は」
「残ります」
一人の女が。
言った。
「ここを出ても」
「行く場所が」
「ないので」
王国兵が。
頷く。
「構わない」
「ただし」
「今日からは」
「奴隷ではない」
「働いた分は」
「賃金が支払われる」
「…………」
「私に?」
「ああ」
女が。
自分の手を見る。
「そうですか……」
「じゃあ」
「残ります」
初めて。
自分で。
決めた。
◇
同じことが。
東部各地で。
始まっていた。
鉱山を。
離れる者。
農園に。
残る者。
故郷へ。
向かう者。
売られた家族を。
探しに行く者。
その日。
多くの者が。
初めて。
明日のことを。
自分で決めた。
◇
だが。
一人の男が。
鉱山主の前から。
動かなかった。
背中には。
無数の。
鞭の痕。
「どうした?」
王国兵が。
尋ねる。
「俺」
「昨日」
「あいつに」
「殴られました」
「…………」
男が。
鉱山主を見る。
「去年」
「親父も」
「殺されました」
「逃げようとして」
「…………」
「今日から」
「自由なのは」
「分かりました」
男が。
兵士を見る。
「じゃあ」
「今までの分は?」
「…………」
誰も。
答えられなかった。
◇
「私も」
別の女が。
声を上げる。
「三年前に」
「娘を」
「売られました」
「今日から」
「売れないのは」
「嬉しいです」
「でも」
「私の娘は?」
「…………」
「今まで」
「売られた人たちは」
「どうなるんですか?」
静かだった広場から。
少しずつ。
声が上がる。
「兄を殺された」
「逃げた時に」
「足を潰された」
「妻を売られた」
「…………」
王国兵は。
命令書を握ったまま。
何も。
答えられなかった。
そこには。
これからのことしか。
書かれていなかった。
◇
その頃。
山中。
奴隷解放戦線。
ノアも。
同じ命令書を。
読んでいた。
「どう思う?」
仲間が。
尋ねる。
「いいんじゃねえの」
「…………」
「いいのか?」
「ああ」
ノアが。
紙を見る。
「残るのも」
「出ていくのも」
「自分で決められる」
「家族も」
「勝手に売られねえ」
「これから」
「同じ目に遭う奴が」
「減るなら」
「良いことだろ」
「…………」
仲間が。
ノアを見る。
ノアは。
命令書を畳む。
「でも」
「これからは」
「これからだ」
「…………」
「今までの分は」
「まだ」
「残ってる」
◇
その夜。
王のもとへ。
報告が届く。
解放された者たちから。
次々と。
寄せられた訴え。
暴行。
殺害。
売られた家族。
逃亡への私刑。
王が。
一枚ずつ。
目を通す。
「…………」
ジョーカーが。
その横に立つ。
「これからを」
「変えたことで」
「今までが」
「見えるように」
「なりましたね」
「ああ」
王が。
答える。
一枚の。
報告書を取る。
そこには。
短く。
書かれていた。
――今までの分は?
「…………」
王が。
目を閉じる。
「これからを」
「決めるだけでは」
「終われんか」
ジョーカーは。
答えない。
王が。
もう一度。
報告書を見る。
「なら」
「次は」
「これに」
「答えねばならんな」
◇
王も。
ノアも。
同じものを。
見ていた。
これからではなく。
今までを。




