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第5話 ヴァル=グラド親衛隊

 地球侵略を進める魔王軍は、いまだ人間と遭遇していなかった。

 だが、この世界の文明の主は一体どのような者たちなのだろうか――その思いは魔王ヴァル=グラドの胸中で日に日に強まっていた。

 しかし、彼らは、これまで出会った恐ろしきけだものをも退け、その上で文明を築き上げた猛き存在である。軽々しく接触するのは危険だ。

 そこで参謀長グルドゥ=メルメルが進言した。

「おそれながら、まずは人間どもに近しい種に接触し、力量を推し量ってみては。報告によれば、ここより遠く離れた――かつて暗黒大陸と呼ばれた地に、そのような種の群れが暮らしているとのことにございます。」

「一体、どのような者たちなのだ?」

  暗黒大陸――不吉な響きを振り払うかのように、魔王は問うた。

「DNAというこの世界の指標において、人間どもと約98%が一致する――チンパンジーという種にございます」

「チン……パンジーだと」

  なんとも間の抜けた響きだという思いを押し殺し、魔王は表情を繕った。

  「しかし、98%一致となれば、それはほぼ人間ではないか」

 魔王はしばし考え込み、やがて低く言い放った。

  「よし、私が行こう」

  「しかし、それはあまりに危険に――」「我々にお任せください」

  参謀長の言葉を、別の声が遮った。

「親衛隊……確かに、そなたらが共に参るならば、何も案ずることはない」

 ヴァル=グラド親衛隊。その名の通り魔王直属の部隊。かつて第九世界ヴェルミオンの紅蓮獅子王国軍を一昼夜で殲滅した精鋭中の精鋭。その名を聞くだけで、《ヴェルミオン》全土が恐怖に震えたものであった。

「……彼らと一緒なら、きっと大丈夫……」

 魔王と親衛隊が、魔法陣の放つ光の中へと消えて行くのを見送った後、参謀長は自らに言い聞かせるように呟いた。


 湿った空気が肌にまとわりつく――魔王たちが転移したのは、鬱蒼とした熱帯林のなかだった。

 木漏れ日が斑に差し込む林床で、彼らは奇妙な集団を見つけた。

 十数体の生物が、地面に枝を差し込み、しばらくしてから慎重に引き抜いては、先端についた何かを口元へ運んでいる――黒くて、小さな虫を食べている。

 食事中ということであろうが、ナイフもフォークも持っていない。彼らは、ただ拾っただけであろう枝のみを道具として扱っている。

 彼らの体は毛に覆われるだけで、衣服の類は纏っていない。

「……あれが、チンパンジーか?」

 確かに人間に似た骨格を持っているが、それだけであった。

「ふはははは!そういうことだったのか」

 魔王の高笑いが密林にこだました。

 予期せぬ来訪者の存在に気づいたチンパンジー達が、一斉に歯を剥き出し、叫び声をあげた――威嚇である。

 だが、魔王も親衛隊も微動だにしない。

「襲るるに足らぬ……剣も盾も持たぬ人間もどきに何が出来ようか!?」

 この世界――地球について、魔王軍は大きな勘違いをしていたに違いない。地球には魔法が存在しない。そして、文明も存在しないのである――人間に最も近いとされる種がこの有様なのだ。

「この世界の主は人間などではないのだ」

 魔王はそう結論づけ、威嚇を無視して群れへと歩み寄った。威嚇する群れは確かに筋肉質ではあるが、その体躯は羆や猪に遠く及ばない。

「なおも抗おうとするか……ならば、望みどおりに踏みにじってくれよう」

 魔王が言い終えるや否や、空気が裂けた。

 群れの奥から飛び出した一体が、咆哮と共に魔王の側近へと跳びかかる。

 枝のような腕が首に絡みつき、地面へと叩きつけた――その握力は300kgを超えるとも言われ、鉄をも捻じ曲げるほどだ。

 別の個体は石を握り、正確に投擲する。

 魔王の肩当てに直撃し、金属が鈍くへこむ。

 四方から黒い影が襲いかかる。

 牙が閃き、太腿の鎧の隙間を突いて肉を裂く。

 背後から飛びかかった個体は、両腕で頭部を締め上げる。

 その力は鉄の輪のようで、呼吸が奪われる。

 そして――悲鳴。

 倒れた親衛隊員の腹部に顔を突っ込み、肉を引き裂く姿があった。

 食っている。

 血の匂いに興奮した群れが集まり、骨が砕ける音が森に響く。

「この世界の人間も、こうなのか……狂っている」

 魔王は息を荒げながら呟いた。

 確かに、個々の肉体は羆や猪に劣る。

 だが、その連携は烏をも凌ぎ、動きには一切の躊躇がない。

 彼らは剣や盾を手に入れられなかったのではない。

 手に入れる必要がなかったのだ。

 彼らにとって最大の武器は、自らを戦いへと駆り立てる――狂気にも近い闘争本能である。

「退却だ」

 魔王の命令に、親衛隊は即座に応じた。

 負傷者を抱え、血に濡れた鎧を引きずりながら、彼らは魔法陣の座標を再構築する。

 転移術式が再起動し、深紅の光が再び空間を裂いた。

 魔王軍は、半壊した隊列のまま、光の中へと消えていった。戦死者の遺体を取り戻すことは出来なかった。

 残されたのは、血と肉の匂いに満ちた森と、咆哮を上げる群れだけだった。


 こうして、魔王軍の脅威は去った。


今回のちきゅうのいきもの


名称:チンパンジー

学名:Pan troglodytes(ヒト科チンパンジー属)


生息地:

• 主に中央〜西アフリカの熱帯雨林・森林サバンナに分布。(※1)

• ウガンダ、タンザニア、コンゴ民主共和国、セネガルなど約21カ国に生息。

• 樹上と地上を行き来する生活様式を持つ。


体長:約70〜90cm(直立時は最大約1.7m)

体重:オス 約40〜70kg/メス 約30〜50kg

身体能力

•筋力:人間の約1.5〜2倍と推定される。

•関節の柔軟性が高く、腕の可動域は広い。

•木登りや跳躍に優れ、瞬発力が高い。

•顎と犬歯が発達し、咀嚼力が強い。


主な習性

•食性:雑食性。果実、葉、昆虫、小型哺乳類などを摂取。

•道具使用:

•枝を加工し、アリ塚に差し込んでアリを釣る「アリ釣り」行動が確認されている。

•石を使って堅果パームナッツなどを割る行動も一部地域で観察されている。

• 葉を折って水を吸う「葉のスポンジ」や、棒を使って蜂蜜を採取する行動も報告されている。

知能:

•問題解決能力・模倣学習・短期記憶に優れ、個体によっては簡単な記号や手話を習得する例もある。

•道具使用は地域ごとに異なり、文化的伝承があると考えられている。

社会性:

•群れで生活し、階層構造や協調・競争・和解など複雑な社会行動が見られる。

•鳴き声や身振りで意思疎通を行う。


繁殖期と縄張り意識

• 通年繁殖可能。育児は母親が中心だが、群れ内での協力も見られる。

• 縄張り意識は強く、群れ単位で森林の一角を占有。

• 外敵に対しては威嚇や集団行動による防衛を行う。


攻撃行動

• 防衛時には咆哮、歯の露出、跳躍などで威嚇。

• 小型哺乳類への狩猟行動が確認されているが、人間への攻撃は稀。(※2)

• 石や棒を使った威嚇・防衛行動は地域によって報告あり。

• 顔や手足など露出部を狙う傾向があるが、部位選択の意図は不明。


人類との関係

•猿界のバーサーカーと表現する人もいるチンパンジー。そのDNAの一致率は人間と98%。 あなたに最も近い猿――その本性は、あなたの中にも潜んでいるかもしれない。


挿絵(By みてみん)


※1 :アフリカと暗黒大陸について

ヨーロッパ列強による植民地拡張の時代、アフリカ大陸は「Dark Continent(暗黒大陸)」と呼ばれていたこと。

この呼称は、地理的・文化的に未知の領域が多く、外部からの情報が乏しかったことに由来する。

特に19世紀には、中央アフリカの熱帯林やコンゴ盆地などが「文明の届かぬ地」として神秘化・恐怖化され、探検家や帝国主義者の語りの中で“暗黒”の象徴とされた。



※2 補足:人間への攻撃例もなくはない

2006年、南アフリカの保護区で飼育されていたチンパンジー「ブルーノ」が脱走し、車に乗っていた人間を襲撃。フロントガラスを破壊し、乗員を引きずり出して重傷を負わせるという衝撃的な事件が発生した。

この事件は複数の動画で紹介されており、YouTube等で視聴可能。


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