三上の温情
航空機から滑走路への階段を下りながら、教頭の三上の顔が浮んだ。
放課後の教室でテストの採点をしていた時、後頭部がずきずきと痛み始めた。その痛みは何の兆しもなくやってきた。小さい頃から頭痛など感じたことがなかった大介はうろたえた。しばらく机につっぷしてもその痛みは引こうとしなかった。
何とか顔を上げた大介には、蓮見健太郎のように教職を去ってゆく自分が見えたのだった。それは、やけにリアルに自分の体にある感覚だった。それはまるで、白昼に見る予知夢であるかのようだった。未来にある自分の背中を追いかけるようなイメージ。
しかし大介は、そうなる自分を決して快いとも感じなかった。そこで考えたのが、自分の退職を防ぐにはどうしようかということだった。
「奄美に行こう」
そう、自分の声が胸に響いた。
「訳などなんでもいい」
背に腹は変えられないのだ。教職に就いている今と未来の自分を守るためなら、
「なんでもしよう」
決められた未来なんて無い。もし仮に、過去に書かれた自分の脚本があるとするなら、
「そんなもの書き換えてしまえ」
静かに、しかし力強く大介の心は語っていた。
教頭の三上に相談をした。
「あの人も人の子だ。本気で話せば分かってくれる」
大介にはコーディネーターの茶畑と話すときの三上の目の奥にある真摯な瞳が見えていた。
「教頭先生、ちょっとご相談が・・・・・・」
「どうしました?」
大介のいつもと違う声色に何かを察したのか、三上は眉間に微かにしわを寄せた。
「あの、ここではちょっと・・・・・・」
「では、相談室へ行きましょう」
落とした声で三上は言い、目で廊下へ出ることを促した。
大介は単刀直入に、たった今の自分の心理状態と長期休暇取得や退職を望んではいないことを伝えた。
「分かります。蓮見先生が辞められてから、実は津村先生のことが気になっていました。
病院へは行かれましたか?」
「え?」
「心療内科ですよ。そこへ行けば、薬を処方されたり、カウンセリングを受けることができます」
「いえ、まだ」
大介は思いもしなかった三上の考えに、応える言葉がすぐには浮んでこなかった。
「だいたい、みなさん駅前のクリニックに通われています。そこだと、教職員互助会の枠で優先的に予約を入れてもらえるそうです」
なにかが違う。そう大介は感じているが、
「あ、ええ、はあ」
言葉にならない溜息のような受け答えしかできないでいる。
「そうですか。別に通院だけを勧めているわけではないのですが、他に何か考えでもありますか?」
三上の目がじっと大介の心を見つめるようだった。
「はい! しばらく友人の住む自然豊かな場所で精神を休めてきたいなあと、そうすれば元気になると思います」
「ほう、そういう心当たりがありますか」
三上の目にも微かに明かりが灯った。口角が上がり、頬に赤みが差した。
「学生時代から親しくしている友人が、奄美大島にいます。近々結婚すると先日連絡がありました」
「それは良い、結婚祝いも兼ねてしばらく出かけてもいいじゃないですか」
「あ、え、いいんですか?」
とんとん拍子に進む話に、三上を説得しようと身構えてきた大介は肩透かしを食らった形になった。
「ただし、期限は決めましょう。一週間で戻ってこられますか? 今わが校は人が足りない。だからこそ、なおのこと、津村先生の心と身体を大切にしなければならないのですが、一週間以上休まれるともう他の先生がもちません。それは分かりますね? ですから、津村先生には一週間しっかり療養して来てもらって、次の週からは通常通り働いてもらいたい」
三上の目は微かに潤みながらも、視線は揺れずに、大介の目を真っ直ぐに見つめている。
「はい。もちろんです。一週間お休みをいただければ充分です」




