外伝.遠い約束
ルーシーの日課は、隣の青い屋根の家まで歩いていき、その家の玄関の扉を叩くことから始まる。
「おはよう、もう朝よ。ねぇ起きて、もう次の朝がやって来ちゃったのよ」
そうして呼びかけながらトントントン、と優しげなノックを続けていると、小さな家の二階の方から、どすん、どすん、と不安になるような音が響いてくる。
それでも根気強く待っていると、やがて足音が近づいてきて……内開きの扉が、ゆっくりと開く。
そしてようやく顔を現した眠たげな少年が、ルーシーを見て――挨拶代わりに言うのだ。
「太陽よりもいつも、君の方が早いよ」
それに、「おはよう」と笑って返す。それがルーシーの日課だ。
ルーシーの母親は、ルーシーが幼い頃に死んでしまった。
もともと、身体の弱い人だったという。ルーシーを産むと決めたのは一大決心で、命をなげうつ覚悟で決めたことで――それでも五歳の冬まで、母が愛情深くルーシーを抱きしめて育ててくれたことを、ルーシーはよく憶えている。
そんなルーシーと、少年は同い年だった。
周りの大人たちによれば、隣の家同士の二人は物心つく前から仲良しだったという。二人にとって、お互いが隣に居るのはずっと昔から当たり前のことだった。
少年はぶっきらぼうで口下手なところがあった。鍛冶細工の職人である父の性質を、受け継いだのかもしれない。
それに対してルーシーは朗らかで、いつでも温かな笑顔を浮かべている愛らしい少女だった。ルーシーは村の人々から愛されて、すくすくと成長していった。
似ても似つかない二人が常に共にあることを、からかう年下の少年たちも少なからず居たのだが……揶揄の言葉なんか、ルーシーは全然へっちゃらのようだった。
むしろ、彼女はそんなことがあるたび、嬉しげにコロコロと笑った。
「あら、仲良しの人が居るってほんとうに素敵なことなのよ。わたし、彼と一緒に居るだけでいつもお腹がいっぱいなんだもの」
そんなことを言って、冗談交じりに少年の腕に抱きついたりするものだから、少年の方はどちらかというと、ルーシーと居るといつも胸がどきどきして仕方が無かった。
しかし、そんな穏やかなだけの日々は長くは続かなかった。
それは少年とルーシーが、十二歳の誕生日を迎えた後のことだ。
ここ最近、いやな噂が村中を蔓延していることに少年は気がついていた。
それは亡くなった第一正妃にルーシーがよく似ているらしい、という噂だった。
その噂は田舎の小さな村に広がり続け、影を落とし、罪のない親子を苦しめた。
ルーシーにはその身を賭して産んでくれた実の母が居ると、誰もが知っていたにも関わらず――その誰かが、ヒソヒソと声を潜めてこんな話をしていた。
――『ルーシーの本当の母親は第一正妃なのではないか』――
――『ルーシーは王妃の隠し子なのではないか』――
――『もしかしたら王宮から、盗んできた子なのではないか』――
そんなことが続く最中、追い打ちをかけるようにして、ルーシーの父親が崖から転落死をした。
それが事故だったのか、あるいは追い詰められた彼自身が飛び降りたのか……事実は未だ分からなかった。
そして、ルーシーはあっという間に独りになった。
「もうひとしきり泣いたから、涙は充分だわ。あとはのんびり笑っていようと思うの」
だが、それでもルーシーは村の人々や、自分を残して逝ってしまった父親を恨むようなことは一言も言わなかった。
真っ赤に腫れた目をしながら、そんなことを言って胸を張っていた。少年の目には、そんなルーシーの様子は痛ましいものとしか思えなかったが……同時にルーシーのことを、常以上にまぶしく感じた。
何かをしてやりたい、と少年が思うのは自然なことだっただろう。
少年は次の日から、父親に教わりながら鍛冶細工の勉強を始めた。
元より、基本は父親にたたき込まれていた。しかし鍛冶の仕事は繊細で神経をすり減らす。少年は自分には向いていないと思って、鍛冶仕事からはすっかり遠ざかっていた。
だがその他に自分の特技だと誇れるようなものは特になく、少女を喜ばす魅力ある芸や技など一つも持ち合わせていない。
少年は必死だった。
苦手な早起きをして、夜は目が充血してこじ開けられなくなるまで、作業に取り組んだ。
そんな日々は何日も、何日も続き――やがて一つの作品が出来上がってからも、少年はしばらく悩んだ。
というのも、その作品が果たしてルーシーに受け入れてもらえるかどうか不安だったから……ではない。
ルーシーは、道ばたに生えている雑草や転がっている石を差し出されたとして、「ありがとう」と無邪気にお礼を言うような少女だ。
つまり、ルーシーが喜んでくれるのだろうと分かってはいても、これが渾身の作品と言えるのかどうか、可憐なルーシーに見合う物なのかどうか――そうして延々と、悩み続けた。
「最近、遊んでくれなくて寂しいわ。最近のわたしはあなたの家の前で、待ちくたびれた犬のように歩き回るのだけが日課なのよ」
そんな少年を決断へと至らせたのは、そんなルーシーの一言だった。
少年は村はずれの丘にルーシーを呼び出した。
そこはルーシーが大好きなスズランの花がたくさん咲いた丘で、少年が何度も通い、スズランの色や形をスケッチして、勉強した場所でもあった。
「これあげる」
と、少年は不思議そうにしているルーシーに言ったつもりだったのだが、実際は緊張をしすぎて「ん!」と半ば突き出すようにして腕の中のアクセサリーをまっすぐ突き出しただけだった。
最初、ルーシーはよく意味が分からなかったのか、ぽかんとしていたが……少年と、その手のひらを何度も見比べて、やがておずおずと、
「……わたしに?」
と囁いた。少年は恐る恐ると頷いた。
そうしてルーシーは、アクセサリーを受け取った。
あらゆる角度から眺め、光にかざし……やがて、その表情が蕩けそうな笑みに変じていくのを、少年は瞬きもせずに見つめた。
「……きれい。スズランの花の髪飾り」
大事な宝物にそうするように、ルーシーは髪飾りにそっと頬ずりをした。
「ありがとう。一生、大切にするね」
「大袈裟だよ」
「そんなことない。わたし、こんなに素敵なプレゼントをもらったのは初めてだもの」
少年は照れくささを隠しながら、どうにか言ってやることにした。
それは、この丘で髪飾りを渡すと決めたときから考えていた台詞だった。
「ルーシーはスズランの花のように白くて小さいね」
「――あら。白くて小さい女の子はお好き?」
「……どうだろう」
「そこで照れるのはひどいわ。わたしが恥ずかしくなっちゃうじゃない」
ルーシーはくすくすと笑い、少年の服の袖を引っ張った。
「わたしの髪に、あなたが着けてくれる?」
「……俺、そういうのやったことないんだけど」
「やったことあったら、怒ってたわよ」
少年は首を傾げた。ルーシーが怒ることなど、それこそ天変地異が起きてもあり得ないように思う。
ああでも、少年が無茶をしたり馬鹿をやったりしたときは、目をつり上げて怒っていたっけ……謝った後の笑顔があんまり可愛いものだから、少年は怒られたこともあまりちゃんと覚えていないのだった。
そして少年は慣れない手つきで、ルーシーの光に溶けるような柔らかな髪の毛に、白いスズランの髪飾りを着けてやった。
思った通り、髪飾りはルーシーにとてもよく似合っていた。ありがとう、と彼女は頬を赤らめて囁いた。
それから、こんな話をした。
「ねぇ。これがあれば、わたしがどこに居ても迎えに来てくれる?」
「どこに居ても、は難しいかも知れない。歩いて行ける場所なら」
「歩いて行けない場所だったら、どうするの?」
「……走ってみるよ」
「走って行けない場所だったら、どうするの?」
「馬に乗って、大地を蹴って、空を飛んででも、君に会いに行くよ」
「もう。馬になんて、乗ったことないでしょ?」
「……練習すれば、あんなの簡単だよ」
「ふふ、そうかもね。それなら――わたし、何だって平気だわ」
ふたりは久しぶりに手を繋いで、夕焼けの中を帰った。
ふたり分の長い影だけが、どこまでも伸びていた。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
今回の外伝で「誰が聖女を殺したか?」は完結となります。
わたしにとっては推理ジャンルへの初挑戦作品となりました。
拙い作品でしたが、思いがけずたくさんの方に読んでいただきとても嬉しかったです。
ブクマやポイント評価もありがとうございます。本当に励みになっております。