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(6)


 ヴァルダスは半分に切ったパイのうち片方をリリィに渡し、残りは自分の前に置いた。椀に葡萄酒を注ぎ並べて乾杯する。

「新年おめでとう」

「おめでとう」

 パイには挽き肉がずっしりと詰まり、生地からは濃厚なバターの香りがした。いつものリリィなら美味しい美味しいと言って喜んで食べた事だろう。だが体調の良くない今は生地の端をつつく事すら辛かった。

「無理をしなくていい」

 ヴァルダスはリリィから皿を受け取るとピュルイの傍に置いた。

「ほら、新年祝いだぞ」

 思いがけないご馳走にピュルイは大喜びだった。

 リリィはベッドの背にもたれヴァルダスが酒を飲む姿を眺めていた。体格が良く冷静沈着な為忘れがちになるのだが、カンテラに照らされる横顔はやはり若者のそれだった。

(来年も、共に新年を迎える事ができるかしら……)


『恋なんてさあ、いつか終わるもんなんだよー。僕、しばらく独り身でいいや』

 同僚のフェントンが失恋して、そうぼやいていたのを思い出す。


 もう決して若くはない自分を、この人はいつまで見ていてくれるだろう。


「リリィ、そろそろ横になった方がいい」

 ヴァルダスの言葉にリリィは頷き、シーツを引き寄せ横になった。

 新年の祝い歌が聞こえてくる。きっと今、この街で一番静かなのはこの部屋なのに違いない。

「……ヴァルダス、今からでもお友達の所へ行ってきたら? 

 せっかくの新年なんだから、皆でお祝いした方が楽しいわ」

 リリィの提案に、ヴァルダスはとまどったような顔になった。

「俺は充分に楽しんでいるが」

「……遠慮しなくていいのに……」

 ヴァルダスは大杯を置くと立ち上がりベッドの傍に座った。ざらりとした分厚い掌がそっと柔らかな頬に触れる。

 と、突如リリィの頬肉が摘まれ、左右にふにゃんと引っ張られた。

「ふぁ、ふぁるたすぅうっ?」

「ほら、楽しい」

 口調こそ真面目だが、よく見るとヴァルダスは笑っていた。

「もう、ひゃめへよぉ」

「すまん」

 ヴァルダスはくつくつと笑いながら指を離すと、長い緑の髪を撫で梳いた。その仕草が心地良くて、リリィはうっとりと目を閉じる。

「――リリィは、城にいる女達とは全く違うな」

 何気ないヴァルダスの一言に、リリィの瞼がぴくり、と動いた。

 だが、酒が入り上機嫌の彼は彼女の変化に気付けなかった。

「……どう、違うの?」

「そうだなあ」

 ヴァルダスは機嫌良くリリィに説明をしていった。


 曰く、城の女性は皆綺麗に着飾り化粧を施す事に労を割くが、リリィはさっぱりとしていて自然体だ。

 曰く、何かにつけて恋に誘われても困る。その点、リリィは仕事に対して真面目だ。

 曰く、甘く高い声音は鈴と似ている。重なると少し疲れる。比べてリリィの声は落ち着いている。

 曰く――。


 一通り語り終えたヴァルダスはリリィを見てぎょっとした。

 横たわる灰色の瞳は揺れ、シーツを持つその指は固く真っ白になっていた。

「リリィ」

 驚いて手を取ろうとしたヴァルダスを避けるように、リリィはシーツを引き上げ頭から被った。

「大丈夫。もう、寝ます」

 どう見ても大丈夫では無いその様子に、ヴァルダスはシーツの端に手をかけた。

「見ないで」

「しかし」

「お願い」

「――俺は、何か気に障る事を言っただろうか」

ヴァルダスの暗い声にリリィが「違うの」と答えようとした、その傍で。

「ピュッ!?」

 突如、パイを食べていたピュルイがむせるような仕草で身体を曲げた。ケェーッケェーッ、と喉を伸ばし、何かを吐き戻そうとしている。

 ヴァルダスは駆け寄りピュルイを抱くと逆さまにしてその背を幾度も叩いた。リリィも慌ててベッドから飛び出しそれに続く。

 ッ、ケェーッ!

 ぽっこん!

 ピュルイの口から何かが飛び出し、床をころころと転がっていった。そうしてそのままベッドの下へと入り込んでしまったため、ヴァルダスはピュルイをリリィに任すとベッドの脇に屈み、隙間に手を入れて探った。

 リリィはピュルイが無事なのを確かめ、ホッとして両手で抱き締めた。ピュウ、ピュウ、と甲高い声を出しながらドラゴンの赤子は顔をすり寄せ彼女に甘えた。

「――すまない。俺が一旦中身を確認すべきだった」

 ヴァルダスが水を貼った皿を置く。

 目元が赤くなっている事を知られたくなかったため、リリィは俯き気味のままピュルイを降ろし、ぺちゃぺちゃと水を飲む姿を眺めていた。

 指先が持ち上げられ、そっと何かを掴まされる。薄布の感触にリリィは顔を上げてそれを見た。手の中にあるのは簡素な拭き布。中に何かが入っている。

 広げてみると、中からころりと金色の指輪が出てきた。輝きからして、おそらく純度の高い本物の金を使用しているのだろう。

「綺麗……」

 指輪をカンテラの明かりに掲げ、リリィはしばしその輝きに見とれた。本物の金を見たのは初めてだった。彼女がいつもかけている金縁メガネは塗装が施された紛い物だ。

 指輪には細かな細工が施されていた。ドラゴンが輪っか状に細長い身体を絡めて作られたモチーフ。瞳には小さな赤い石が入っている。おそらく珊瑚かルビーなのだろうが、宝石に縁の無いリリィにはこの石がどちらなのかよく分からなかった。

「――君の物だ、リリィ」

 ヴァルダスの言葉にリリィは驚いて顔を上げた。

「その指輪はピュルイの口から飛び出てきたものだ。つまり、君は当たりくじを引いたというわけだ。おめでとう」

「貰えないわ!」

 リリィは慌ててヴァルダスに指輪を返そうとした。

「これはあなたが買ってきたパイに入っていたのよ。それにこんな高価そうな宝飾品、私には――」

「リリィ」

 ヴァルダスはリリィの前に跪くと手を取った。そうして立ちすくむ彼女の指先に指輪をあて、

「貰ってくれないか」

 と真面目な声で言った。




 幸福な予感に、胸が甘く痺れる。

 気のせいかもしれない。思い込みで勝手に浮かれて、後から奈落の底まで落ち込んだりなんてしたくない。

「――きっと、ピュルイが引いてくれたのね」

 リリィは爪先でドラゴンのモチーフを丸くなぞった。

「そうかもしれんな」

 ヴァルダスはリリィの指にするりと指輪を滑らせた。彼女の細い薬指では緩過ぎたため、中指に合わせてみるとぴたりと良い具合に収まった。

 リリィはうっとりと指輪を見つめた。白い中指に金色のドラゴンがくるりと巻き付く様は、あの日、二人が出会った赤のドラゴンを思い出させた。

「いつか、その時がきたら」

 傍らでヴァルダスがピュルイを抱き上げながら言う。

「本物の誓いの指輪も贈らせて欲しい」

 

『家族みたい』


 その言葉が、本当になる日がくるかもしれない。

 リリィは何故だか泣きそうになった。


「ヴァルダス、私、あなたよりずっと年上よ」

「知っている」

「お化粧だってほとんどしないし、格好だってローブばかりで」

「知っている」

「それに、可愛い声や仕草もできないし」

「――そういう事か」

 言うが早いか、ヴァルダスはリリィの身体を持ち上げた。

「きゃっ」

「可愛いリリィ」

 病気の為キスができないもどかしさを、ヴァルダスは彼女を抱き締めることで伝えた。

「勘違いさせたならすまん。だが、俺は城のどんな女達よりも、リリィ・カーマイル、君を魅力的だと思っている。

 君が望むなら、俺はいつでも伝えよう。

 リリィ。愛している」

 たまらずに、リリィはヴァルダスを抱き締め返した。

 

 抱き抱えられ嗚咽を漏らして泣きじゃくるリリィの周りを、ピュルイがはしゃいでグルグルと駆けまわっていた。




* * * * *




 リリィ・カーマイルの朝はパンと果実と茹でた卵にベーコン、それから熱いお茶を準備する事で始まる。

 棚上の香草茶の瓶の中から手早く数種の蓋を取り、茶器の中に一匙もしくは二匙すくって目分量で調合する。たっぷりのお湯を注いで食卓と兼用の大机に置くと、洗顔してローブをまとい、癖のある緑の長い髪を念入りに梳いて高い位置でひとまとめにする。

「できたわよ」

 ベッドで眠る恋人に声をかけ、出来上がった香草茶の味見をする。――うん、これなら癖なく飲みやすい。

 暫く待ってみたものの、恋人に声は届かなかったようだ。ベッドから聞こえる深くため息をつくような寝息に、昨日まで彼が戦場にいた事実を思い出す。

 リリィは恋人の傍に近付くと、指先で触れないよう、そっと身体をなぞってみた。シーツから覗く彼の逞しい裸にはうっすらと傷跡が残っている。その殆どがもう消えかけている古傷なのだと分かっていても、見るたびにリリィの心が痛む。もっと勉強して治癒効果の高いお茶を調合しようと、改めて思う。

 指先が彼の顔に登る。鼻筋を通って唇に届こうとしたその手首が、ゆっくりと掴まれる。

 恋人が瞼を開き、優しい瞳でリリィを見ていた。

「――おはよう」

 リリィは囁き、その鼻のてっぺんに心を込めてキスをする。

「朝ごはん、できてるわよ?」


 黒髪を撫でるその手には、二つの指輪が煌めいていた。




              <リリィ・カーマイルの恋旅行 おわり>





お付き合いいただきありがとうございました。

シリーズ最終回となる『集荷チェッカーと約束の日』を投稿しましたのでそちらでもお会いできれば幸いです。

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