魔獣の森
痛いお話です。
魔獣の森に到着したのは太陽が高く昇った、恐らく昼くらい。
森は鬱蒼と草木が生い茂って、昼なのに暗く陰鬱な雰囲気だった。イメージしていた通りの森で驚いたが、特に嬉しくもない。
あたしは森の中からピリピリとした嫌な空気を感じた。まるで皮膚に細かく刺さる棘のような痛さが、空気に混ざっているようだった。
思わず両腕をさすっていると、
「感じますか?」
ヘルムートがいつもの眉間にシワを寄せた顔で近寄って来た。
「あなたは魔力量が少ないので、人並み以上に感じるでしょう?」
「感じる……?何をですか?」
「魔獣達の魔力の重圧です。あたなたと魔獣達の魔力に差がありすぎるので、痛みとなって刺さっています。本能的な危機を体が感じているという事です」
ええっ?
まだ森に入ってないのに、もうそんなことに?!
「本来なら、魔力量が平均以下なら侵入禁止です。平均以上ある者でも防護結界や防御魔法、魔道具の力を借りて入るような場所です」
そんな場所に、あたしは単身で乗り込んでいくんですか?!
あの時、腹心3人が顔を見合わせていたのが頷ける。
どう考えても正気の沙汰じゃない提案をしたんだな、ラディウス……。
あたしはもう1回文句を言いたくなった。
そんな彼はと言うと、体を大きく伸ばしてほぐしていた。呑気なものだ……。
「やっと着いたな。はやはりここは遠い……。次元魔法で移動すれば良かった……」
次元魔法……。瞬間移動的なヤツ?
「それではあまりにもすぐに到着できてしまい、ヒカリの心の準備ができません」
ええっ?!そんな心配をしてくれていたの?
驚いたけど、
「瞬時に死んで、せっかくの発動実験が失敗に終わりますよ」
この一言で感謝はすぐに消えた。
「やはり、ラディウス様だけでも次元魔法で移動されればよろしかったのに。私はそう提案しましたよ?」
「ヒカリと会話するのもいいかと思ったんだが……。まぁ、面白くはなかったな……」
なんだその残念そうな顔は……。
「考えていた以上につまらなかった。且つ《かつ》、なんとも言えない気分にさせられた」
この一言に、
「ヒカリ!ラディウス様に何を言ったのですか?」
「異世界人!ラディウス様に何をした?!」
ヘルムートとエッダが一緒に叫んだ。
グスタフは呆然としている。
「何って……話をしただけですよ」
「まぁ怒鳴るな。少しだけ腹いせをするから、それで勘弁してやれ」
「腹いせ?」
ラディウスはニヤけた顔になると、あたしに近づいてきた。
その顔を見た瞬間、あたしはすごく嫌な予感がした。
ラディウスの笑顔は良くない。
絶対に良からぬ事を思いついたんだ。
あたしは数歩後ずさったが、ラディウスはさっと寄ってきてあたしの腕を掴んだ。
「逃げても無駄だ」
そして腰を掴むと黒い羽を広げ、予備動作なしに急に空に飛んだ。
予期せぬことに、
「ぎゃーーー!」
あたしは叫びながら、体が重く沈み込むような重力を感じる。
数秒後には上空を飛んでいた。
なになになになに?!
大パニックになった。
まだ魔獣の森について5分も経ってない。上空にいても魔獣の森からは刺すような痛みをひしひしと感じる。
あたしは本能的にガシッとラディウスに掴まっていたが、足が宙ぶらりんで凄く怖い。しかもラディウスは全然しっかりとあたしを支えてくれなかった。持たれている腕と腰に全体重がのしかかり、ものすごく痛い。
「おっ、落ちる!!」
混乱してラディウスに必死にしがみつきながらそう言ったが、意地悪く笑われた。そして、信じられないことを言われる。
「どうせ落とすから気にするな」
は?
その言葉に全身の血の気が引いた。
青くなったあたしの顔に満足したのか、
「いい顔になったな、ヒカリ」
ニヤリとして少し高度を下げる。
いつの間にかヘルムート達は手のひらの大きさまで小さくなっていた。到着地点から随分と距離ができている。
「そろそろいいか?この辺りにしょう」
なにが?という前に、ラディウスはあたしをパッと離した。
あたしは声も出せないままふわっとした浮遊感を一瞬感じると、真っ逆さまに地上に落ちた。
バキバキという音。足の激痛。あちこちにぶつけながら木々の枝を折ると、最後にダン!!
全身への衝撃が走った。
少し地面を転がると、やっと体は止まる。
ぐわんぐわんと頭が回った。
自分の身に起きたことが信じられれず、ドキドキする間もなかった。
ラディウスがあたしを落とした。魔獣の森の中に。
まさかこんな形で森の中に入るなんて、思ってもいなかった。本当に信じられない行動だ。
あたしは痛みにうめいた。
一番痛いのは足で、絶対に折れていると思った。だってこんな激痛、人生で感じたことない。
下半身を見るのが恐ろしかったが、なんとか視界を滑らせる。
両足がおかしな方向に曲がっていた。とても立てそうにない。
痛みと恐怖で吐き気がしたが、そんな場合じゃない。
ここは魔獣の森。
こんな足じゃ逃げられない。
木に登るとこも崖を探すことも、田岸さんのアドバイスはどれもこれもできそうにない。
急激に恐怖が襲ってきた。
あたしは湿った冷たい地面を掴んで、何とか匍匐前進で進んだ。
じっとしていても仕方ない。
助けは来ない。
あたしが力を発動させるまでは。
まだ魔獣に見つかっていないが、きっと時間の問題だろう。さっきの音で絶対に寄ってくる。
どこか窪みがないか探そうとした。少しでも身を隠くせる所が欲しい。
でも鬱蒼とした地面しかなく、どこまでも平坦な地面しかなかった。
木や葉、地面の匂い。湿気を帯びたムンムンとする不快な熱気が体にまとわりつく。
ガサッと奥で音がした。あたしはビクリと体を震わせる。
またガサッ。
上からもガサッ。
後方からもカサッカサッ。
いちいち音にビクつき、音の主を探そうとするが何も見えない。
魔獣たちが息を殺してじっとあたしを見ている、そんな重苦しさが森の中に漂っていた。
ゴクリと緊張で喉を鳴らす。
すると後方から大きく動く音がした。音はどんどんと大きくなり、確実に近づいてくる。
何かいる。
草を掻き分けて出てきたのはイノシシのような魔獣だった。でもイノシシじゃないのは分かる。牙がとてつもなく大きい。そして目が紫だった。
目が合うと、互いに一瞬固まったが、イノシシもどきはすぐに鼻を鳴らして毛を逆立てると、態勢を低くした。
そして一気に突進してくる。
麻痺した心に悪夢のような恐怖がふくれ上がる。
なんとか力の発動方法を思い出そうとしたが、それどころじゃなかった。
跳ね飛ばされて木の幹に激突する。
衝撃で息が詰まって、呼吸が出来なくなった。
その間にイノシシ魔獣は2回目の突進をしきて、牙が深々と腹部に食い込む。
鋭い痛みが体の真中を貫いた。体が突き刺さったまま、魔獣は頭を大きく左右に振って、最後に顎を引くとぐん!と上に向いた。
反動であたしの身体は宙を飛び、地面にべしゃっ、と落下する。
「ううぅ………」
血の匂いがする……。いや、血というか鉄の匂い……。
腹部からどくどくと温かいものが流れているのが感覚で分かる。すごいスピードで出血していた。
濁った水たまりのように地面が赤くなっていく。
あっ……これは死ぬ。
あたしはそう思った。
でも……力の発動―――。
…………………。
………………………………。
……………………………………しなきゃいけないのかな?
回復魔法は死ねば使えない。それは死者の復活になるから、回復とは違う。
あたしはこの世界に来て3度も死にかけた。
2回はアザルス王国で。残る1回は今、ここで。
あんまりじゃない?
そう思うと処刑台に登った時と同じ虚無の幕が心を覆う。
目が陰って気持が閉じる。
暗く冷たい孤独な世界があたしを包んだ。
――――いいんじゃないか?このままでも……。
死ねば終わる…………。
このまま瞼を閉じてしまおうか……。
そう思ったが、次の瞬間、田岸さんの顔が浮かんだ。
――明日、夕方に来ます。無事に帰ってきてください。
昨日の手の温もり。
力強い最後の握手。
思い出した途端、涙が出た。
――――帰りたい。
そう願ったら、暗かった世界が明るくなって目に光が入ってきた。
あたしは必死に自分の中に意識を集中して求めた。
助けて。
死にたくない!
するとみぞおちのあたりに何かを感じた。
それは明らに異質な感覚。何か『ある』と分かる。
早く、早く、早く!
助けて!!
そこに向かって意識を集中させ願うと、どんどん熱くなって急に全身に広がり、隅々を駆け巡った。
次の瞬間には空気の波動のようにブワッと風が駆け抜け、辺り一帯に広がった。
目の前にいたイノシシ魔獣は「びぐっ」とおかしな声を上げるとその場にパタン、と倒れた。
他の場所からもドサッ、ガザッと音がする。
そして周囲の木や草がどんどん変色し始めた。カサカサと葉が落ち、目の前にどんどん降ってくる。
秋の落葉とは違い、なんだか変な臭いがした。悪臭とまでは言わないが、湿り気を帯びた嫌な匂い。
あたりは急に静かになり、風と葉音しか聞こえなくなる。
あとはあたし自身の呼吸音。気管が狭くなったのか、ヒューヒューと鳴っている。
まだ日は高いのに寒い……。
ガタガタ震えそうなほどに冷えていた。
出血が多くて体温保持ができないんだ……。
ぼうっとする頭でそう思った。
誰かがここから連れ出してくれない限り、このままでは助からない。
精一杯やったんたけど、発動が遅すぎたのかな……。
そう思っていると、
「やっとできたな、ヒカリ」
嬉しそうなラディウスが上から降りてきた。
「なかなかいい殺気だったぞ。確かに辺り一帯の魔獣も魔物も死んでいるな」
くぐもった声しか聞こえない。耳が正常に働いていないらしい……。
それでも念願の力を見られて、ラディウスがひどくご満悦のようだと分かった。
本当に憎らしい……。
こんなやつ、大嫌いだ…………。
「おっと、そろそろ連れて行かないと死ぬな」
ラディウスは周囲の観察をやめると、あたしの足を掴んでズルズルと引きずっていった。
「次に発動する時はもう少し早くしてみろ。連発が可能なんたから、渋ることもない」
魔法が使われ歩くスピードは断然速いが、引きずられているあたしには関係なかった。
髪が木や石に引っかかりブチブチ抜けた。土が服の中に入ってきて、ジャリジャリして気持ち悪い。
瀕死の重傷者をこんな形で移送する?
重い瞼を辛うじて開けて、ラディウスの背中を見つめながらそう思った。
今ならコイツに呪いをかけれそう……。
5分ほど歩くと元の場所に戻ってきた。かなり遠くなった意識の中でもそれが分かったのは、息を呑む複数人の声がしたからだ。
もう何も見えなくて、目を開けているのか閉じているのかも分からない。
「おい、ベルス。とっととコレを回復させろ」
辛うじてそう聞こえた。
覚えているのはそこまで。
次に目が覚めたのは魔獣車の中だった。
体がギュッと丸められ、身動きが取れない。何かに縛られていることが分かった。
どうやら座席を魔法で広げ、簡易ベッドにしているようだ。
あたしは座席から落ちないように簀巻き《すまき》にされ、魔獣車に固定されていた。出血で体が冷えたから、温める意味もあったのだろう。
ガタガタ揺れる車内にはエッダが乗っている。
「目が覚めたか?」
エッダはあたしの目が開いていることに気がつくと、声をかけてくれた。
「―――気分はどうだ」
そう言われても、分からなかった。
体があちこち痛い。
きっと助かったんだろうけど、だるくて重くて寒い。
さっきの事は夢じゃなかったんだと分かる。
あたしは自然と涙が出た。
生還したという安堵の涙ではなく、辛くて苦しくて痛くて怖くて……そういう負の感情がごちゃ混ぜになった涙だった。
エッダは何やら痛そうに顔を歪めると、
「…………さすがに気の毒とは思う」
ボソリと言った。
「――ラディウス様は偉大な方だが……。手段を選ばない時がある………」
いつもと違って目に光がないエッダは、窓の遠くを見るともなく眺めていた。
「――回復させたとはいえ、かなり強引な方法で治癒した状態だ。しばらくはろくに動けないだろう。せいぜい養生しろ」
エッダの同情的な声はあたしの記憶に残った。
そこからは記憶がない。
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