内通者
それから夕方まで調査は続けられたけど、結局足取りは王都で途絶えたらしい。
「この封筒はソルセリル南部とアルステイン国北部地方でよく使われる物です。王都での集荷場で提出されたことは掴めましたが、差出人までは分かりませんでした」
「封筒に書かれていた名は偽名、か……」
「はい。モリサライトの鳥はアルステイン国の森にしか生息していません。ちょうど不可侵の森との境ですね。鳥の死因は毒殺。人に影響はない毒でしたので、鑑定魔法に引っかからなかったようです」
「そうか……」
一通りの報告を受けたラディウスはあたしを見て、
「ヒカリ、聞いたとおりだ。テオドールには届かなかったが、あいつは一つ痕跡を残した。何か意味がある行動かもしれないが、今はこれ以上追えない」
ずっと頭を撫でて手は頬に伸び、
「調べは続けるからな。不安だろうが、時間をくれ」
力なく笑った。
「うん……」
あたしも無理やり笑い返す。ぎこちない笑顔にラディウスは顔をしかめ、
「このままここにいろ。俺も今日は城に詰めることになるから」
今度は頬を擦られながら、あたしは首を横に振った。
「家に帰るよ……。あそこなら沢山結界魔法があるし、安心でしょ?」
「そんな顔色でどうするんだ?」
ラディウスは強く懸念を示した。
「大丈夫。田岸さんを呼ぶから。ラディウスも仕事沢山残ってるでしょ?」
「こんな時に何を言ってる!」
「テオドールはあの家に入れない。ラディウスとヘルムートと田岸さんしか来れないから、平気だよ」
「しかし……」
「家の防御魔法が効かなかったことはないよ。だから安心して」
城にいてはテオドールは来ない。
なんとなくそんな気がしたから、あたしは頑なに帰ると言い張った。
「ラディウスの仕事が終わるまで、田岸さんと家にいる。前みたいに、ラディウスが帰ってきたら交代して。ね?」
「ここでは駄目か?今はヒカリから目を離したくないんだが……」
「……家がいいの。ここは……さっきの鳥を思い出す……」
「……――そうか」
暗くなった顔を見て心が痛んだが、とにかく城を出たかった。
早くしないとテオドールが来てしまう。そんな気がした。
ラディウスは額にキスを落とすと、
「ノボルに連絡を入れるから、少し待っていろ」
部屋の隅に移動していった。
風話での会話が始まると、ヘルムートが刺すような目であたしを見た。
何も言わずじっと見つめ返すと、
「………お気をつけて。風を待っていますから」
それだけ言った。
頷くと今度はイリサを見て、
「昨日お願いしたこと、よろしくね」
伝えた。
イリサは目を大きく見開いて、くしゃっと顔を歪めたが、
「……――はい」
しっかりとした返事を返してくれた。
2人にはこれで伝わった。
あとは田岸さんだが、これから直接会えるから心配ない。
「ヒカリ、直にノボルが来る。家まで送ろう」
伸ばされた手を取る。
寝台から起き上がり寄り添うと地面が光り、次元魔法で自宅へと到着する。
外は夕方で、赤々とした夕日が家を照らしていた。血に染められたようだった。
「ノボルが到着するまで傍にいる。何か飲んでおけ。気持ちが落ち着くから」
2人分のお茶を淹れ、カップに口をつけた。
2人とも喋らなかった。
風の音と鳥の声しか聞こえない。
それ以上に心臓の鼓動がうるさかった。
お茶の味なんてしない。温度も感じなかった。指の感覚も鈍く、まるで分厚い手袋をしたように鈍麻になっていた。
完全に日が落ちると火魔法のランプが灯る頃、田岸さんが到着して家に入ってきた。
見たこともない硬い顔で「お待たせしました」とラディウスを見た。
「ノボル。後は頼む」
頷く田岸さんを見るとあたしを振り返り、
「あまり遅くならないようにする……」
また額にキスを落とす。
そのまま次元魔法で姿を消した。
田岸さんと2人きりになると、とたんに肩の力が抜けた。一気に吐き気がこみ上げて、トイレに走りさっき飲んだお茶を全て吐き出した。
嗚咽する背中を撫でながら、
「ヒカリ……」
田岸さんは泣きそうな声を上げる。
「無理しないで……。怖いならそう言っていいですから……」
嘔吐した余波で生理的な涙が出ていたが、それがやがて恐怖と不安からくる涙に変わった。
トイレの床に突っ伏し、みっともなく震えた。
逃げ出したい気持ちと挑もうとする気持ちがせめぎ合って、体を真っ二つに裂いてしまいそうだった。正反対に向かう2つの力がそれぞれの方向に引っ張り合い、いたるところで血が流れ、骨が砕けてしまいそうだ……。
田岸さんはずっと背中を撫で続けてくれた。
その動きになんとか励まされて、繰り返してきた決心を今一度思い起こし、気持ちを奮い立たせる。
後戻りは出来ない。
そこまで来た。もう来てしまった。
拳を握る。爪が痛いくらいに食い込んだ。
覚悟を決めたんだ。ヘルムートにもイリサにも伝えた。田岸さんにも知らせることができた。
最低限のすべきことはした。
あとはテオドールの動きを待つだけだ。
涙と口を拭うと頭を上げた。
田岸さんと目が合うと、散らばっていた決心が寄せ集められ、固く凝固して一つの塊になった。気重だった心に重みが加わり、かなばどうにでもなれと言うような気持ちに突き当たる。
「……立てますか?」
田岸さんは悲しそうな目であたしを見るので、
「はい」
腹に力を入れてしっかりと答えた。
伸ばされた手を掴み、
「ありがとうございます」
礼を言うと「肝が据わりすぎですよ」呆れたように笑われた。
「肝が据わった人は、吐いて泣いたりしません」
「そんなことはない。ヒカリは立派に立ち向かってます。ほら、もう手が震えていない」
確かにその通りで、涙が止まると同時に体の震えも止まっていた。
恐怖も一緒に吐き出したらしいと思っていると、
トントン
扉がノックされた。
来た。
扉に目を向け、田岸さんに目配りする。
彼は頷いて、あたしの背中を軽く押した。
いってきなさい。
田岸さんはテオドールの視界に入らないよう、奥の部屋で待機するようだ。そこなら声だけは聞こえる。
あたしは扉に近づき、緊張して冷えた手で、いつもより固い気がするノブを回した。
軋む音と共に扉が開く。
星が瞬き始めた夜陰の中、目の前に立っていたのはザンバラ髪の男だった。
「…………え?」
ラディウス?
え?
え?
どういうこと?
疑問符だらけになったあたしに、ザンバラ髪の男はゆっくりと顔を上げた。瞳が見える。
銀の虹彩ではなかった。
180センチも身長があるとは思えない猫背。膝も曲げていて、凄く姿勢が悪そうに見える。
「………………ヘナン……?」
テオドールじゃない。
頭の中が真っ白になり、それが少しずつ元に戻るのにずいぶん長い時間がかかった。
たっぷりとヘナンを見つめ、やっと出た言葉が、
「……――な……んで?ヘナンがここ……に?」
だった。
「やっと話したな」
いつもの落ち着いた声で、訓練をしてくれていた時と何ら変わらない態度だった。
「今の間があれば十分に斬り殺せていたぞ」
稽古中の会話のような言葉は耳に入ってこず、
「……なんで…………ここに……?」
同じ質問を繰り返した。
衝撃から浮上できていないと踏んだヘナンは、
「俺が使いだ」
「……使い?」
「テオドールの使いだ」
「…………――は?」
言葉が頭を通過できずに、どこかで詰まっている。
使い?
ヘナンが使い…………テオドールの…………。
「し、師匠が……内通者………?」
喉がカラカラで上手く声が出なくなっていた。
内通者……
内通者…………?
ヘナンが?
呆然とヘナンを見ることしかできないあたしに、
「俺一人ではない」
淡々とした声でヘナンは言う。
「もう一人協力者がいてな。3人で来い、とテオドールから指示を受けている」
そう言うと「来い」あたしの背中に向かって声をかけた。
ギシギシと床板を踏む音が………後ろから足音がする……。
なんで…………。
家の中にいるのは……………………。
頭は真っ白で、目の前が真っ暗で、呼吸だけが続けられていた。
「田岸…………さん…………」
振り返りたくない。
そんなはずない。
そんなはずない。
そんなはずない。
すぐ真横に移動してきた田岸さんは、真っすぐにヘナンを見ていた。あたしには見向きもしない。
「ご苦労だった」
ヘナンの言葉にこくり、と頷き何も言わない田岸さんを、あたしはじっと見つめた。
何がなんだか分からなかった。
田岸さんはずっと傍にいてくれた人で…………。
家族で…………。
いつもあたしを心配してくれて……。
そんなはずない。そんなはずない。そんなはずない。
「連れてこい」
ヘナンの指示に、田岸さんはまた頷くと、あたしの肩を掴んだ。
その力と言ったら、これまでの優しい田岸さんとは全く違った。
感情の持っていき場がなくて、あたしはただ田岸さんを見つめ続けた。
内通者……?
2人目の内通者が…………田岸さん?
そんな馬鹿な!
ありえない!
田岸さんは襲撃をされたこともあった。
それに何度も何度も会話をしてきた中で、嘘を言っているような素振りは一度も無かった。
これまで見てきた田岸さんが全部演技とは思えない。
混乱し続けるあたしは問答無用で家の外に出される。ヘナンが林の中に入っていくと、田岸さんもそれに合わせて動いた。真後ろを付いていき、ガサガサと枝や木々を踏んで進み、やがて防御魔法の結界ギリギリまで歩み進んだ。
あと2歩でも進めば結界が発動する、という所でヘナンは足を止め、暗闇の先をじっと見つめる。
日が落ちて暗くなった外に目が慣れ始める前に、足音が聞こえてきた。ゆっくりと近づいてくる足音はどうやらうまく歩けないのか、びっこを引いているように思えた。
「手筈は順調でしたか、ヘナン?」
何度も悪夢で聞いた声。
「ああ。特に問題はなかった」
「予定通り、3人で来ましたね。防御魔法の境はどこです?」
「あと2歩も進めば作動する」
「なるほど」
足を止めると、火魔法が灯ったランタンを掲げる。
暗がりに浮かんだのは、人懐っこそうな丸い目に柔和な笑顔をしたテオドール•アザレインだった。




