鳥
翌日、お屋敷でラディウスと一晩過ごしてからも心の雲は晴れず、頭の中にまで雲がかかり朝からぼけっとしていた。
「どうした?ずっとぼんやりしてるぞ」
体調が悪いのかと心配され、ヘルムートに体調の鑑定魔法を使わせて調べられた。
当然問題なんてない。
ヘルムートはいつも通りで事情を知っている素振りは微塵も見せず、これが真のポーカーフェイスか、と感心した。
この日も仕事があって、あたしが考える救済処置対策の案を書面に起こし次の会議の準備をしたけど、誤字が多くて失敗を繰り返した。
すぐ隣でラディウスも別作業をしていたから、見兼ねて「ちょっとこっちを手伝え」と手紙の整理をさせられた。全く違う仕事内容で気分転換を図ろうとしてくれたんだろう。
国王に宛てて送られる手紙の数々は、封筒、紙質、装飾が凝っていて、色も様々で見ていて面白かった。筆跡にも個性があって、使われているインクも様々。色付きはもちろん、匂い付きなんてインクまであった。もともと文房具が好きなこともあり、つい見入ってしまった。
手紙の中には便箋以外にも小物が入ってる事がある。貴族だけじゃなく、商会や交易のある国々からも届くからだ。中身は危険物感知の鑑定魔法で検閲済みだから怪しい小物はないんだけど、香水や地方の民芸品のぬいぐるみ、用途がよく分からない小物、中には新商品の宣伝までしてくる場合があり、手紙というより宅配便みたいな大きな物まであった。
せっせと中身確認に勤しんでいると雑念は追いやられ、あっという間に午前が終わっていた。
「楽しそうに見ていたな」
気分転換に外のテラスで昼後のお茶をのんびり飲みながら寛いでいると、ラディウスがおもしろそうに顔を歪めた。
「荷物まであるとは思わなかったけど……。いつもあんなに送られてくるの?」
「選別されてあの量だぞ?今日は少ない方だ」
「え?」
「俺の元まで回すまでもないと判断された手紙や荷物は、ヘルムートの下の者が対応している。肩書や宛名で振り分けされ、ここまで届けられるんだ。ヒカリが正式に王妃となれば、装飾品店や衣装関連の商会からの荷物が増えるだろうな。既に届き始めているらしいし」
「うえっ……」
思わず変な声が出てお茶を吹きそうになった。
「今のところ、全て下で対応されているがな。今後はヒカリの荷物、手紙用に人員を確保しないと回らなくなるだろう」
「そ、そうなんだ……」
「さっき整理を頼んだのも、今後ヒカリ自身もやらざるを得なくなるからだ。俺より大変になるだろうな。何しろ女性貴族や王族には、専属の装飾品屋、化粧品、仕立て屋が付くのが普通だ。我こそは、という店や商会からわんさか手紙だの試供品だのが届くぞ。覚悟しておけよ?」
「ええー……」
考えてもいない方向の仕事があると知り、顔が引き攣った。女性貴族の知り合いが少ないから、対応の仕方が分からない。
深くため息を漏らすとラディウスは笑い、
「手紙の整理や仕分け自体は楽しかったか?便箋や封筒はじっくりと見ていたようだが」
これには頷いて、
「うん。見てるだけでも楽しかった。封筒や便箋って、あんなにも種類あったんだ。色も紙質も便箋の装丁も柄も装飾も、見てて面白かった」
「あんな物がヒカリは面白いのか?」
「王都の文房具店には、あそこまで種類がないから。こんなにも凝った物があるんだって、見てて飽きなかったよ」
「なら、婚約式で使う文具はヒカリが選べばいい。好きなものを特注してもいいしな。王都に行った時、ついでに見て回ろう」
王都……。
その一言で一気に現実に引き戻され、浮ついた気持ちが唐突に冷めた。
「……うん。そうだね」
手に取ったカップの中身に視線を落とす。
あたしは顔も心も艤装して、
「田岸さんに、いつも行ってる文房具店を聞いてみようかな。けっこう可愛い便箋で手紙くるからさ」
明るくそう言った。
「今までの手紙、全部取ってあるんだけど、同じ便箋も封筒も一つもないんだよ。すごいよね。仕事で地方に行った時、わざわざ買ってくるんだって。同僚達からはよっぽど手紙を出すのが好きって思われ――」
「ヒカリ、どうした?」
会話中に、いきなり言葉を挟まれた。
今までそんな事されたことがなかったから思わず顔を上げると、ラディウスが手に持ったカップをソーサーに置き、気遣わしげにこっちを見ていた。
「朝からおかしいぞ。情緒が不安定と言うか――。楽しそうに目を輝かせていたかと思えば、急に光を失ったように影って……。ぼーっとしているし」
「…………そう?」
「体調不良の前兆じゃないのか?ヒルスナイトから帰って療養が明けたら、すぐに仕事をしていたしな。テオドールも内通者の件も片付いていないが、心配していたらキリがないぞ。たまには丸一日休め」
「うん……」
見破られてしまった……。演技派女優にはなれなかったらしい。
漏れ出していた負の感情を器に収め固く蓋をし、その上にどかっと腰をおろした。
気を引き締めろ。
心配させるようじゃ駄目だ。
何事もなかったかのようにラディウスに笑いかけ、
「手紙の整理が終わったら、ラディウスの言う通り少し休むよ」
「……平気なのか?」
「平気。見てたら楽しいからあっという間に終わっちゃうよ」
「これから婚約式の準備も本格的に始まるんだからな?根を詰めすぎるなよ」
「ありがと。仕事終わるまで部屋で待ってるから、また声かけて」
「ああ。今日はヒカリの家に行こうか」
「分かった」
心配事なんてないかのように笑いかける。
気を強く持て。不安を見せるな。
あと半月もないと言ったナデアの言葉に動揺しすぎだ。
手紙の整理が終わったら、部屋に戻って田岸さんと話そう。不安とモヤモヤを話をして蹴散らしたい。
残ったお茶をぐいっと飲み干して、残り少ない午後の仕事に戻った。
天高くで輝いていた太陽が少しずつ下がってきて、部屋の中に直射日光が入ってくる。
机に向かい直すと、陽光に燦々と照らされた手紙の山と荷物が目に入る。
「……あれ?」
午前中に終わらせた量よりも増えていた。
「午前中に届いた手紙を追加しましたので、よろしくお願いします」
ヘルムートがあたしの背中に向かってにこやかに言った。
相変わらず容赦ないな……と苦笑いした。手紙を見るのが楽しいからいいんだけど。
早速上から順番に開封していく。
地方貴族の便箋は、中央に住む貴族と明らかに拘りが違うからすぐに分かる。派手派手しさよりも、控えめな煌びやかさと慎みがある封筒が多い。
中には田岸さんが送ってくれたものと同じ便箋や封筒もあり、「あ、これ見たことある」と手が伸びた。
田岸さんは本当に色んな地方に行って地図を作ってるんだ。仕事とはいえ、複数の街を見て回れるのはちょっと羨ましい。
幾つか手紙と荷物を見た後、大きめの封筒に手を伸ばした。大きさの割には軽くて、丸い何かが入っているのか封筒が膨らんでいる。あて先は地方からのようで、上品な若草色の綺麗な封筒だった。
開封して封筒を逆さまにすると、それはあたしの膝に転がって出てきた。
小鳥だった。
コロンと冷たく体を強張らせ、瞳を固く閉じた小鳥。
「きゃぁー!!」
把握したと同時に、反射的に叫んで立ち上がった。
「ヒカリ様?」「どうした?!」
隣で作業していた2人が慌てて駆け寄ってくる。
あたしの視線の先にある物を見て、
「鑑定はしたんだよな、ヘルムート」
「当然です!」
ヘルムートは改めて鑑定魔法を使い、
「呪いの類はありません。ただの死骸です」
さっと布を被せて小鳥を隠した。
ラディウスは封筒にある宛名を見ていたが、
「……心当たりはないな」
呟いた。
「嫌がらせにしては少々やりすぎですね……。急ぎ調べさせます」
ヘルムートはさっと部屋を出ていってしまう。
でもあたしはそんな事よりも、床に転がった小鳥の姿が目に焼き付き、違う意味で恐怖していた。
その小鳥には見覚えがあったのだ。
テオドールを手当てした時に、彼が使っていたハンカチのモチーフの刺繍。
鮮やかな青い羽根に、目の周りに黄色い縁取りがある顔。特徴的な胸の白いミカヅキ模様。
アザレイン家の象徴の動物。
モリサライトの鳥。
その鳥の死骸。
体に雷撃を放たれたような気分だった。
スッと心が冷えて沈んでいく感覚……。
テオドールだ。
彼が来る。
「……ヒカリ、少し休もう」
硬く強張って青ざめたあたしを抱きしめたラディウスは、そっとそう言った。
ソファに座らせようと抱きしめられたまま体を引っ張られたが、あたしは動けなかった。足が震えていたのもあるが、突然の合図に動揺していた。
「……――テオドールからよ、あれ……」
「……なに?」
不安と混乱で泣きそうになったあたしは、本当のことをこぼした。
「あの鳥……。アザレイン家の象徴のモリサライトの鳥なの……。テオドールがハンカチを見せて説明してたから、間違えようがない……」
ラディウスは唇を固く結んで、
「ヘルムート、あれはアザレイン家からの贈り物だ」
風話で即座に伝えた。
「挑発か喧嘩を売ってきたのか……。いずれにしろ、揶揄われているな……。――ああ…………ああ……そうしよう」
風話を終えると、
「封筒と鳥を調べるから、ヒカリの部屋に移動する。いいな?」
黙って頷くと、ラディウスは歩き出した。
ゆっくりと部屋を出て廊下を歩いたけど、あたしの心は全くここに居なかった。
ついに来てしまった――。
いよいよ“その時”がきた。
テオドールが来る。間違いなく今日だ……。
あたしにはその確信があった。
どうしよう……。テオドールはどこから来る?
どうやって接触してくる?
もしかしてもう城内にいるの?
ヘルムートはきっと合図と気がついただろう。
そうだ……田岸さんにも知らせなきゃ……。約束したから……。
足を動かしながらも頭の中はテオドールのことでいっぱいで、手も足も自分の物ではない気がした。動かしている現実味がない。
あんなにも覚悟したのに、いざ目の前に突きつけられると血の気が引いた。恐怖と緊張で卒倒しそうだった。
部屋につくと、ラディウスに半ば支えられるようにして入室してきたあたしを見たイリサが駆け寄り、
「ヒカリ様っ」
反対の肩を支えてくれた。
「ヒカリを寝台へ」
「はい」
たくましく返事をすると、2人がかりで運んでくれた。
「イリサ、水を頼む」
「分かりました」
さっと部屋から消えると、ラディウスが横たわったあたしの髪を撫でくれる。
「テオドールだとよく教えてくれた。手紙から足跡をたどれるかもしれない。ヘルムートがすぐに動くだろう」
ラディウスの手が髪を梳く。
手が頭の形に合わせて動く。
それでもあたしの心は落ち着かなかった。そんなことは初めてだった。
震える手でラディウスの手を掴み、目を閉じた。体の中を駆け巡る激情を抑えようと必死だった。
「――少し休め。落ち着くまでここにいるから。大丈夫だ……。あいつの手はここにはこない。俺が傍にいる……」
優しい言葉が心に刺さる。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い……。怖い。
決着が近いことも、ラディウスに何も話せないことも――。
どうか……どうか――上手くいきますように……――。




