目的地
手押し車で移動し一夜が明けると、舗装されていない道の上を進んでいた。この森に入って初めて見る道だった。
この先に村でもあるのかな?
これまで見てきた森の景色よりも、少し開けている気もする。
アナシアの家にいる間に雪は減ったようで、地面が見えている。天候まで気にしていなかったから、雪が減っているのは助かった。移動が楽になる。
毛布にくるまったあたしは震えながらそんなことを思った。
震えは気温のせいじゃなく、悪寒だった。歯がカチカチ鳴って、背筋をせり上がってくる異様な震え。外で夜を過ごしたせいか、また発熱したらしい。
重たい首を動かして荷台を見ると、アナシアが眠っている。ということは、手押し車を押しているのはラタン。分かったのはそれだけで、ガタガタと揺れる荷台から見える景色をぼーっと眺めた。
高熱独特の暑さと倦怠感。吐く吐息が熱い。
テオドールは気絶から目覚めた後、追って来るだろうか?
不可侵の森の居住区をいくつか知っていると言っていた……。もしアナシア達が向かっているのがそこなら、またテオドールと鉢合わせすることになる。そうなったらどうしよう……。
お互いに魔力が少ないのなら、魔法攻撃での争いにはならない。純粋に体力、力技の勝負になるだろう。それでも女性2人と子供1人が成人男性に勝てるだろうか……。
いや、子供のラタンを一と数えるのは良くない。
今こそ教わった護身術の出番だが、こんなヘロヘロのあたしではすぐに組み敷かれてしまうだろう。
それに心臓縛りのスキル。
ラディウスに発動させる条件が整っている。あとは目視でラディウスを見ればいいだけ……。
目視させないためには、公務で外に出ることを控えなくてはいけない。ずっと城にいるのが安全だけど、それが出来るのか……。ヘルムートと相談だけど、ラディウス本人が不審に思わないようにしなくてはいけない。
一度発動してしまえば、テオドールが解除するしか止める方法はないのだろうか……。指を犠牲にするから、手がなければいいとか、本人が死ねば解除されるとか……そんな可能性は考えられないのかな……?魔法知識がないあたしでは分からないけど、ヘルムートなら何か考えがあるかもしれない。
発熱しながらもそんなことを考えていると、頭痛がしてきた。息も上がってくるし、酷く体力がなくなってしまったと気分が下がる。
駄目だ……しばらく目を閉じておこう……。
ちょっとでも体を休めないと――。
◆
「ヒカリ様……ヒカリ様……」
何度か名前を呼ばれ、意識が戻る。
手押し車は止まっていて、まだ太陽が出ていた。目に入る範囲に家は見えないから、道の途中で休憩しているらしいと分かる。
「水と食事を摂りましょう。起き上がれそうですか?」
覗き込んでいたのはアナシアで、水とパン、果物が近くに見える。
「み……水が…………欲しい……」
またガサガサ声に戻っていた。頭はガンガン痛くて、よくこんな疼痛の中寝ていたな、と思った。
「お食事は?」
あたしはふるふると首を振る。あまり頭を動かすと頭痛が増すから、極小さくしか動かせなかった。
悪寒が治まった代わりに体が熱い。
痛み止めが欲しくて、
「あた……しの……か、鞄…………」
「鞄、ですか?」
コクコクすると、
「これ?」
ラタンがウエストポーチを掲げてくれた。手に持たせてもらうと、中をガサゴソあさって鎮痛剤を握る。
口に放り込むと水をもらう。うまく頭を上げられず、寝たままの頬に水が垂れた。
たったこれだけの動作でグッタリしてしまい、はぁはぁと息が切れる。
「ヒカリ様、そのまま聞いて下さい。あたし達が向かっているのは、あと1日ほど進んだ先にある家です。三軒程のお家があります。アザルスが敗戦してから越してきた人達が住んでいる、比較的新しい家です。そこには薬があります。あたしの家の分は底をついてしまったので、分けてほしくて移動を考えていました」
うつらうつらしながらもアナシアの話を聞く。
「不可侵の森の端っこにある場所なので、魔法が多少は使えます。風魔法が使える人がいれば風を飛ばしてもらえますから、あと少し辛抱して下さい。必ずそこまでお連れいたします。こんな車でお体に負担でしょうが、出来るだけ振動少なく進みますから……」
「まだ到着しないから、何か食べたほうがいいよ?飴は?僕、少しなら持ってる」
「飴…………いる……」
固形物は胃が受け付けそうになかったので飴を希望したら、ラタンが口に入れてくれた。これまた甘い飴で、口にじわぁとしみる。
この先の村とも呼ばない僅か三軒の家。
アナシアの話す感じだと、多少の交流があるのだろう。
風話を飛ばしてくれれば、連絡が取れる……。
そうすれば――ラディウスにまた会えるかもしれない。
その期待が生まれた途端、言い表しようもない喜びが湧いてきた。
一旦期待が生じると、心はそれに縋りついてしまった。まるで荒野で一輪の花を見つけたような気持ちだった。
心臓縛りのスキルの件があるけど……とにかくラディウスに会いたい。もうずっと声を聞いていない。きっと心配してるはず。会えたら……きっと泣いてしまう。だって今も目が潤むんだから。
あたしは目を閉じる。涙が目尻から流れ落ちた。
次に目覚めたら………目的地に到着していたらいいな――。
◆
微睡みと短い覚醒を繰り返した。
夜だったり昼だったりしたが、もう時間の感覚は全くわからなくて、何十日も移動している気がした。
体調は悪くなる一方で、頭痛、喉の痛みが激しくなり、水を飲むことも苦痛だった。
「ヒカリ様、もう少しですから……」
「出来るだけゆっくり進んでるけど、ごめんね……」
2人は何度もそう言った。
あたしは声も出せず、かすかに笑うだけで返事を返す。
2人はあたしの前で、ダナンのことを何も言わなかった。テオドールの言葉を聞いて心配なはずなのに、あたしに気を使ってそんな素振りは見せないようにしている。
ダナンがヒルスナイトに出発してどれくらい経ったのだろう……。もう到着できたのかな?テオドールの妨害にあっていれば、もう少し時間がかかるかもしれない。
でもヒルスナイトに到着しても、あたしはもうあの家にいない。迎えを寄越しても無意味になる。
目的地の家に到着したら風話を飛ばして、カルシスに連絡できればいいんだけど……。
それに早く2人をダナンに会わせてあげたい……。絶対に親子3人を再会させるからね……。
◆
ガタン
一際大きく手押し車が揺れた振動で目が覚めた。
朝なのか夕方なのか、空が赤い。
見える範囲で目を動かすと家が数軒見えたが、歪んで見えて判然としなかった。
アナシアの声がするが、何を言ってるのか分からない。耳に膜が張ったようにくぐもって聞こえた。どうやら大人と会話しているらしいとは把握でき、到着した……のかな、とぼんやり考える。
「ヒカリ様、到着しました。今、寝台にお連れしますから」
すぐ近くでアナシアの声が言う。
次には抱えられ、釣られた魚のように運ばれた。体はダランと伸びて力が入らず、体が揺れると強く目眩がした。胃に何もないのに吐きそうで、必死に口を結んで耐えた。
ドアが開く音がして人家の匂いがすると、そっと柔らかい上に下ろされる。その姿勢のまま身動きできず、されるがままに枕を入れられ体勢を直された。
「これでゆっくり出来ますから。安心して下さい」
目を開けることも頷くことも出来ず、そのまま意識はなくなった。
◆
何度か目が覚めた時、薬を飲んだ。
記憶は酷く曖昧で、夢なのか現実なのか判別がつかない。
悪寒と高熱は交互にやってきて、そのたびに部屋が広がったり縮んだりした。汗をかいたら体を拭いて着替えさせてもらい、また肌を這うような寒気が訪れたら毛布を掛けてもらう。
でも世話をしてくれるのが誰か分からなかった。手つきからして女性ということしか判断できなかった。
それでも飲み続けた薬が効果を出し、目を開けられる時間が出てきた。覚醒すると体は陸に上げられた魚のように衰弱していると知れ、また立ったり歩いたり出来るのかなと心配になるほどだった。
「お水をどうぞ。少しでも口にできそうな物を入れてください」
ずっと付き添ってくれていたのか、アナシアが盆に水飲みと砂糖漬けの果物をくれた。喉は仕事を忘れたかのように張り付いていて、ぺしゃんこに枯れ果てた食道を広げるところから始まった。
不快感を打ち消すためガブ飲みすることも出来ず、一口づつを根気強く飲み下し、なんとか潤す頃には息切れしていた。2個しかなかった砂糖漬けを1個だけ食べるとすぐに体力が尽きたが、
「……ダ…………ダナン……は……」
なんとか声を絞り出す。
夫の心配をしていると伝わったようで、
「きっとヒルスナイトに到着したと思います。薬が切れたらここで来る、とあらかじめ伝えていたので、家に姿がなければここを目指すはずです」
そっか……。待ち合わせ場所が決まっているなら良かった。
「ヒカリ様、悪い知らせが一つあります。風を飛ばせる人はここにいませんでした」
え……。
目が変わったのを読み取ったアナシアはすぐに「でも安心して下さい」と続けた。
「移動魔法を使える方がいるそうです。発動に条件があるらしいので、ヒカリ様がもう少し喋れるようになったら、すぐにでもその方に会いましょう。今はお休み下さい。事情は私からお話ししておきますから」
発動条件……。
それがどんなものか分からないが、短文も喋れない状態じゃどうすることもできない。
仕方なくあたしは目を閉じる。
焦っても無駄と分かる体力のなさだ。あと少し……せめて2文は喋れるようになるまでは、我慢しよう……。
◆
だんだんと高熱は出なくなり、悪寒を感じる事は減った。
それでもまだ体を起こすことはかなわず、半固形の物が食べられる程度だ。単語を繋げることは出来るようになったので、移動魔法が使える人を紹介してもらった。
驚くことに、その人は顔見知りだった。
「ヒカリ、覚えてる?」
「ナタリア……」
彼女はアザルスのラターナ村で何度か会ったことがあるイタリア人。思いもよらぬ顔に、久々に顔が綻んだ。
「ヒカリ……良かった。なんとか喋れるようになって……。ずいぶんと心配したのよ」
そっと髪を撫でくれる手は冷たくて気持ちが良かった。
ナタリアこそ、なんでこんな所に?
ソルセリルから出国してたの?
聞きたい質問は出来ず、ナタリアは話を続ける。
「細かなことはアナシアさんから聞いてるの。あたしは一度訪れた場所になら、瞬間移動ができる力を持ってる。ソルセリルの城は遠くて無理だけど……ヒルスナイトくらいなら飛べるわ」
瞬間移動の力。
それなら何日も待たなくて済む。
「ヒルス……ナイトの…領主の……おやし…き…行ける?」
「……ごめんね、お屋敷には流石に行ったことないわ。近くの村ならあるの」
村……。もしかして焼かれた村かな?
「村の近く……岩とか……大きな木があ……る場所……は?」
「たぶん、あると思う。そこに行けばいいの?」
首を縦に振って、
「ソルセリルの本陣……があったの。……陣がなければ……ヒルスナイトのお屋敷……に行ってみて。あた……しの手紙が届いて……るはずだか……ら」
「分かったわ。誰を訪ねればいい?」
「ラディウス陛……下か、ヘルムートを……」
うっ、と詰まった表情をしたが、口をキツく結んだ後で「……分かった」と決意を固めてくれた。
「ヘルムートさんなら鑑定の時に会った事があるわ。エルフの綺麗な人でしょ?顔は覚えてる。任せて」
ナタリアはすぐに行ってあげると、家を出ていった。
バタン、と扉が閉まると、大きな仕事を終えたかのような脱力感に襲われる。
これでやっと連絡がつくかもしれない。
――ラディウスに会えるかもしれない。
そう思うだけで切ない痛みに締め付けられた。
あとの問題はテオドールだ……。
あたし一人では力不足だから、ヘルムートの知恵を借りよう。ここに住む人にも影響が出ないようにしたい。
トントン。
また来客を告げるノックがされた。
開くと、そこには初めて男性が立っていた。しかもまた顔見知りだった。
「ダル…ニア……?」
あたしは信じられず、何度も瞬きをした。
アザルスにいた頃、診療所で声をかけてきた彼だった。心疾患がある彼は、回復魔法師がいない状況で症状が悪化し、藁にもすがる思いであたしにアドバイスを求めてきたのだ。召喚者であるあたしに誰も話しかけないあの中で、最初に言葉を交わしたのが彼だった。
ダルニアはまさか覚えてくれているとは思いもよらなかったのか、
「はい……はい……!覚えていて下さったんですね……」
感銘を受けたようにわなわなと唇を震わせた。
女性の部屋にそれ以上入ることを遠慮し、扉の位置から話し続ける。
「本当にお久しぶりです。ソルセリルに移住されてからどう過ごしているのかと、危惧していました……。あなたは私の命の恩人ですから、ずっと心配で……」
久々に見る彼はアザルスにいた時よりも健康そうだった。頬もふっくらして血色がいい。
「ヒカリ様の噂は、こんな名もない辺鄙な場所にも届いています……。ソルセリルの国主と婚約されたと聞きました。必ず安全な場所まで帰れますから、頑張って下さい。必要な物がありましたら準備しますので、おっしゃって下さいね」
あたしはまた喉が痛くなって声が上手くでず、うんうん、と頷くに留めるしかなかったが、ダルニアは、
「後ほど妻が来ますから、頼み事は妻にお願いします。お元気になられたら、息子とも会ってやって下さい。色々とお話したいことがありますから――どうかお元気になって下さい」
まるで時間制限があるかのようにまくし立てると、ダルニアは引っ張られるように扉の向こうへと消えた。
代わりに入って来たのはキリッとした聡明な女性で、大きく髪を束ねた髪型は、動きやすさを重視した出で立ちだ。
「ダルニアの妻、シーヒットと申します」
カーテンシーをすると、
「無作法な夫が大変失礼いたしました。婚約者がいる――しかも病床の女性の寝所に入るなど――失礼千万でございます。あとでしっかりと言い聞かせておきますので、どうかご容赦ください」
深く頭を下げられ、コクコク頷いた。
「ありがたく存じます」
シーヒットは真っ直ぐな姿勢で部屋に入ってくると、周りの世話を焼いてくれた。薄化粧の清楚なシーヒットは城の侍女を彷彿とさせ、あたしはひどく安心感を覚えた。
立て続く来訪に疲れうつらうつらすると、
「どうぞお休み下さい。不届き者は決して中には通しませんので、ご安心を」
さっぱりとした美しい笑顔で言う。
あたしは言われるがまま目を閉じて、体の要求する通り眠りに落ちた。




