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デフォルトネームの恋人  作者: 遠野 文弓
第2章:SUMMER

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21.甘いパフェとバグ

 駅前のカフェに入った。賑わう店内のテーブル席で、わたしはにっこりと営業スマイルを作った。


「さっき助けていただいたお礼です。ここはわたしに払わせてくださいね!」


「えっ」


 (さが)()主任が、小さく声を上げる。

 普通なら、役職がある男性に払わせるのがこの時代のマナーかもしれない。


(でもここで彼に払わせたら、デートになっちゃうのよ!)


 先ほどの「助けられた」というイベントを相殺し、貸し借りゼロのビジネスライクな関係に戻す。偶発的なフラグを、コントロール可能な取引に書き換えるためにも、ここはわたしが払っておきたかった。


 一度は断られることを覚悟したが、(さが)()主任はわたしの顔をじっと見て、微笑を浮かべた。


「……わかった。じゃあ、ごちそうになるよ」


 拍子抜けするほどあっさりとした了承に、わたしは張り詰めていた肩の力を抜いた。

 わたしの意思を尊重してくれたことが、何よりもありがたい。

 (さが)()主任がさっそくメニュー表を広げたので、わたしは口を開いた。


「あっ、わたしはもう決まっていますよ! 季節のフルーツタルトセットに、ホットコーヒーです」


「早いですね」


 彼は苦笑した。そして、メニュー表を上から下までじっくり眺めてから、小さく頷いた。


「すみません」


 店員を呼ぶと、涼しい顔で注文を告げた。


「季節のフルーツタルトセットと、チョコバナナパフェを一つずつ。飲み物は二つともホットコーヒーで」


 彼が選んだのは、写真付きで大きく掲載されたチョコバナナパフェだった。


(パフェ?)


 意外だ。てっきり、無難なチーズケーキあたりを選ぶのだろう、と思っていたが。この二〇〇三年において、男性が白昼堂々とファンシーなパフェを食べるというのは、なかなかにハードルが高い行為である。


 だが、すぐに合点がいった。


(なるほど。甘いものは食べたいけど、男一人では注文しづらい。でも今は女がいるから言い訳が立つってことか)


 わたしという存在を、パフェを頼むためのカモフラージュとして利用する。その図太さと合理性は、むしろ清々しい。わたしは「どうぞどうぞ」と心の中で頷いた。お礼として計上するなら、相手が本当に欲しいものを渡すのが一番だ。





 ほどなく、店員さんがトレイを持ってやってきた。


「お待たせいたしました!」


 店員さんは迷うことなく、タルトを(さが)()主任の前へ置いた。

 当然である。この時代に、男女の組み合わせで「パフェをご注文のお客様はどなたですか?」なんて、聞くだけでも失礼だ。甘いものは女子供が食べるものという不文律が、この社会には根強く残っている。


 大したことではない。店員さんが下がってから入れ替えればいい、と内心で結論を出した瞬間、(さが)()主任がすっと手を上げた。


「ああ、すみません。タルトは彼女の注文ですね。パフェは僕です」


 彼は恥ずかしがる様子もなく、ごく自然な手つきで、フルーツタルトをわたしの手元へ寄せた。


「し、失礼いたしました!」


 店員さんのほうが慌てて頭を下げて去っていく。

 残されたのは、チョコバナナパフェと向き合う、涼しい顔のイケメン。

 (さが)()主任は長いスプーンを手に取り、ちょっと嬉しそうに生クリームの山を崩し始めた。


「……甘いもの、お好きなんですか?」


 わたしが尋ねると、彼はスプーンを口に運びながら、不思議そうにこちらを見た。


「ええ、好きですよ」


 まったくブレない。さも当然と言わんばかりの回答に、わたしのほうが面食らってしまった。

 この時代の男性は、堂々と甘いものを楽しむことができなかった。付き合いで仕方なくといった顔を作るか、甘いのは苦手なんだけど、と断りを入れてコーヒーで流し込むのが普通であるはずなのに。(さが)()主任は「疲れてるから」「たまにはね」といった言い訳すらしない。 


 だからだろうか、「形桐(かたぎり)さんは、甘いものはあまりお好きではない?」と問われたとき、彼の率直さに引きずられるように、自然な言葉が出てきた。


「うーん。嫌いじゃないですが、どちらかというと辛党なので」


 お酒のほうが好きですね、とつぶやきながら、タルトにフォークを刺した。


 嫌いじゃないですが、なんて普段のわたしなら言わなかった。「もちろん好きですよ!」と言って、「でも、お酒はもーっと好きですね!」なんて明るく話を回すのに。


 (さが)()主任は気にしたようすもなく、堂々とパフェを味わっている。

 その姿は、どこか懐かしい。わたしの知っている令和の時代の、ジェンダーロールからほんの少し自由になった男性像に似ていた。


 そう思った矢先だった。

 ふっと、彼の動きが止まった。


「主任?」


 スプーンを戻した彼の手が、そのままこめかみを押さえる。もう片方の手はテーブルに置いていたが、その指先が白くなるほどの力が込められている。整った顔立ちに苦悶が浮かび、額にうっすらと脂汗が滲んでいるのがわかる。


「大丈夫ですか? 顔色、すごく悪いですけど……」


 声をかけながら、わたしは脳内で検索を走らせていた。


(何が起こってるの?)


 体調不良? わたしがプレイした『社内恋愛』の中で、(さが)() (とおる)というキャラクターに、こんな持病の設定はあっただろうか。


 ――ない。少なくとも、わたしは知らない。


 目の前で息を詰まらせている彼は、もはや生身の人間だった。本物の痛みに耐えている姿に見えた。彼に対して、〈攻略対象〉というカテゴリを超えた得体の知れない恐怖と、わずかな心配を抱いた。


「救急車を呼びましょうか」


「いや。大丈夫……」


 (さが)()主任は深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。

 まだ少し瞳孔が開いているように見えたが、表情は嘘のようにいつもの穏やかなものに戻っている。まだ顔色は悪いのに、声は平常運転に戻っていた。


「少し眩暈がしただけです。……それより、君は、いつも休日は一人で出歩くのか」


 強引に話題を切り替えられた。よりによって一番踏み込まれたくないプライベートな領域だ。

 わたしは警戒しつつ、遠回しに「放っておいてくれ」というニュアンスを込めて返す。


「ええ、まあ。一人のほうが気楽ですから」


「そうですね。君は一人でもうまくやるひとだ」


 理解してくれたんだ、と安堵しかけた――その瞬間だった。


「――だから、俺の目の届くところにいてくれ」


「え……」


 背筋が凍りつき、わたしは言葉を失った。論理が繋がっていない。これは上司の指示じゃない。もっと粘着質な、別の何か。しかし、(さが)()主任は、それが当然の帰結であるかのように、ただ穏やかに微笑んでいる。


 そして、不意に目を瞬かせた。


「あれ……」


 彼は困ったように小さく呟き、自分のこめかみを軽く抑えた。


「ええと……ああ、パフェ。ありがとう。では、いただきますね」


 彼は何事もなかったかのように、フォークを手に取った。

 わたしは、目の前のタルトを見るふりをして、テーブルの下で自分の手を強く握りしめた。震えを止めるためだった。


(何が起きてるの?)


 記憶が飛んだふり?

 違う。今の彼の挙動は、そんな人間らしい駆け引きではなかった。


「……頭痛、よくあるんですか?」


「時々ね」


 わたしは懐から、痛み止めを取り出して差し出した。


「あの。頭痛薬、使いますか。強い薬なので、胃になにか入れてからがいいとは思いますが……」


「……。ありがとう……」


 薬を受け取ろうと差し出された手に触れる。その瞬間、(さが)()主任がぴたりと固まった。固まったまま、薬を――いや、わたしの手を、食い入るように見つめていた。驚愕とも、呆然とも取れる表情だった。


(さが)()主任?」


 その声で硬直が解けたように、彼はハッと顔を上げた。


「あ、ああ……。申し訳ない。使わせてもらいます」


 そう言って、(さが)()主任は頭痛薬を飲んだ。


(一体、何が起きてるの?)


 矛盾した台詞の出力。脈絡のない忘却。設定にない頭痛。処理落ちしてエラーを吐いている、バグったプログラムみたいだ。


 貸しを清算するどころじゃない。わたしは今、この世界(ゲーム)の、とてつもなく歪で危険な深淵を覗き込んでいるのかもしれない。


 やはり、相果主任(せんぱい)は危ない。穏便にグッドエンドを迎えたいならば尚更、近づくべきではないのだ。


 だが、このまま見放しても、いいのだろうか。

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