【24】最後の援助(2/2)
最終回です。
ここまでおつきあい、ありがとうございます。
さらに数週間後、進との契約が満了する日、礼を伝える電話があった。
「五条さんありがとう。いろいろ手数をかけた。すべて確認したよ。遠方だから電話でしか伝えられないのが心苦しいが」
「いえいえ。見合う報酬もいただきましたから」
「その後二人はどうしてる」
「三人で住まれていた家は、結局売却されました。中がひどくて少し買いたたかれたようですけど。美香さんはそのお金で一人暮らしを始め、英美さんは実家に帰られたようです」
「結局返せなかったのか」
「借金は家を売却したお金でほぼ返したのですが、ホスト通いは直りませんでした。それで見かねて実家の親類が英美さんを引き取ったようです」
「そうか……」
「またお助けになりますか」
「いや、もういい。だが、もし彼女らが助けを求めてきたら、あんたの判断でいいから、力になってやってくれないか」
実は、美香や英美の親類からの依頼で家の売却や資産整理をしたのだが、美香から固く口止めされたこともあり、伝えないことにした。氏にとっても余計な情報だし、そのほうがよかろうと考えた。
「それはもちろん、ご依頼があれば必要に応じて受けさせていただきます」
「ありがとう。それじゃ、本当に世話になった。何かあったらまた力を貸してくれ」
「承知しました。では、失礼します」
これで、一連の離婚劇は幕を閉じた。
数年後。
六十を超えた俺は東北のとある地方都市で、引き続き町おこしにかかわっている。協力隊だった仲間が設立した法人に社員として雇ってもらった。この地域では高齢化が進んでいるためか、六十はまだまだ働き盛りだ。
地元だけでなく東北のいくつかの町のコンサルティングも引き受けている。
幸いにして、当初の協力隊よりだいぶいい待遇で雇ってもらっている。生活の心配はとりあえずない。
都心とのパイプがあることや交渉力・説明力に長けていること、そして実際に町の転入や税収が増えたことが評価されたらしい。
会社とは別に、自分の経験をもとに、夫側から家族に積極的に関わる運動も仕掛けた。そのことが広まって県内の自治体から協力を依頼されることも増えた。もちろん兼業は許可されている。
株は一応は黒字だが、取引が減ったせいか、以前ほどの収益はない。最低限の資産が稼げればいいという程度で、取引頻度は離婚当時の半分もなくなっている。
財産分与の五千万は、税金で二千万、五条との契約と最後に渡した金、株式投資で口座には二百万程度しか残っていない。
今も情報収集は欠かさない。東京ほど本屋を見つけやすくはないこの地で、電子書籍や定期購読は本当にありがたい。
その定期購読のビジネス系雑誌に、娘の美香が掲載されていたのを偶然見つけた。
最初はわからず、記事を読み写真を見返してようやく気づいた。そのくらいには変化していた。仙台で見かけた頃とは見違えるようで、しっかり商売をする女性の姿に見える。
働く女性の半生というよくある記事だったが、その内容に目が留まった。
「以前の私は、母と一緒になって、父親にとてもひどいことをした。男性は女性のためにお金を稼いでくるのが当然だと思っていたし、仕事はもちろん家事をするのも当然だと思っていたから、全部を丸投げしていた。家事が遅いことをなじり倒して、洗濯物を区別させたりもした。
離婚して長い時間をかけて、自分の愚かさを悟った。
どん底になって私は変わった。高校を卒業したあと、アルバイトをしながらファイナンシャルプランナーの資格を得て、家庭の問題を解決する会社を設立した。家族間のトラブルから家計の問題、独身の伴侶捜しや人生相談まで引き受ける会社だ。
きっかけをくれたという意味では父親に感謝している。今はもう会うことは叶わないけど、どこかで幸せでいてくれたらいいと思っている。
一時期ホスト狂いになって数千万のお金を遣って閉しまったお母さんは、実家の近くでパートをして暮らしている。私が稼げるようになってから、離婚で分配されたお金は私名義の口座に統一した。そこからお母さんに定期的に振込をする形をとっている。さすがにもうホストに行く気力もお金もないようだけど、当時より健康的に暮らしている。一時預かってくれていた親類の人たちも今は安心しているようだ。
離婚からしばらく経って、最後にお父さんかお金をもらった。お母さんと話し合って私の名義になり、出し入れして更新はしてるものの、お金は使わずずっとそのまま残している。変わるきっかけになったお金だし、自分への戒めにするために」
ひととおり読み終えたとき、涙がとめどなく出た。
静かに、二人の幸せを願った。
これにて完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
伏線は回収したつもりです。大丈夫かな。
三人の今後に幸あれ。
感想、ご意見などお待ちしています。




