【18】退職(1/2)
進の退職の経緯です。
計画を進める決意をした進は、意を決して部長席に出向く。
「勝川部長。お話よろしいでしょうか」
「中原さん? なに、おっさんの話につきあう暇ないんだけど」
「こちらを提出しますのでよしなに取り計らいお願いします」
勝川は面倒くさそうに置かれた『退職願』と書かれた封書を見て、持っていた書類を机のはしに移す。
「……ほう。やっと決心がついたんだ。いいよ。そのまま人事に持って行って」
「そうはいきません。部長の決裁を頂きませんと」
「めんどくさいなあ。ハンコ押せばいいの? じゃあ袋から出してよ。気が利かないよね」
「失礼いたしました。では書類を出しますのでお願いします」
そういって進は封書を開けて書面を出し、捺印する場所を指さした。
勝川は舌打ちしながら机から承認の印鑑を出して捺印した。
「はいどうぞ。引継もないだろうから早めに有休消化に入ってよ。次の人が早く入れるようにね。それと、それあなたが人事部に持ってってよ。どうせ暇でしょ」
「これから定時のデータ処理がありますけど」
「はあ? そんなの他のやつがやればいいから、あんたはさっさと人事部行って荷物まとめて出て行けよ。どうせ役に立たないんだから」
「わかりました。では仕事は引き継いでおきます。承認ありがとうございます。失礼します」
散々な言われようだが、予想通りの展開だ。
進は一礼して勝川の前から席に戻り、隣席の若手社員に仕事を託して人事部へ向かった。
人事部に赴き、近くにいた社員に退職願を出し、受理を依頼する。社員は驚き、お待ちくださいと言って人事部長の山本に報告を入れた。すると山本が驚いて進に駆け寄ってきた。
「中原! これはどういうことだ!?」
山本が退職願を進に見せて怒鳴りつける。
「人事部長、ご覧の通りです。有休の申請は今日からでいいから早めに行うよう勝川部長からも指示がでていますので、早急の受理をお願いします」
進は感情を表に出さず、処理を依頼する。
山本自身も急なことで驚いている。いったん落ち着く必要がある。
「……とにかく、これは預かる。まだ受理はしないからな。とりあえず部に戻ってくれ」
「承知しました。それでは」
進と山本は同期入社の仲で、時々飲みにも行っている。山本は辞めることなど夢にも思わなかった。
「山本部長、その退職願、どうされるんですか」
「このまま受理なんかしてたまるか。あいつの口から理由を聞かなければならん」
「勝川部長に聞いてもらえばいいのでは?」
「勝川さんは優秀だが職位の低い中原を見下してるからロクな聞き方をしないのは目に見えている。とにかくこれは人事部長として俺が預かる」
退職届を丁寧に折りたたむ。
その日、密かに進に飲みに行こうと連絡し、進も引き受けた。
喫茶店に行こうと思ったが個室の居酒屋に席をとり、軽く乾杯して、すぐに本題を切り出す。
「なあ中原、どうしても辞めるのか」
「ああ。再就職先もすでに探している」
「いったい何があったんだ? 俺にできることがあったら言ってくれ」
「ありがとう。なら、退職金の上乗せと、退職金を指定した口座に振り込んでほしい。それと、家族に退社のことは言わないでほしい。あと、できたら弁護士を紹介してほしい」
中原の具体的な提案に少し驚く。辞めることを本気で考えているのがそれだけで伝わる。それにしても、弁護士とはどういうことか。
「……いまうちの会社は中間層がいないのを知ってるだろう。若手へのあたりがよく、わかりやすいマニュアルが好評なお前が抜けるのは影響があるんだ」
「それは会社が、俺たちの世代を排除したからだろう。役員になったお前だって先輩後輩の首を切っただろ」
「……それは確かにそうなんだが」
「わかるよ。会社全体が潰れたら意味がない。だから高給取りから切っていく。だから働き盛りを切る」
「そう言われると反論はできない」
「理屈でわかっていても自分がされる立場になれば、今後の生活はどうしてくれると思うよ。会社は再就職支援というが、それに乗っかって再就職できた奴はいないだろ」
「いや、いないことは」
「希望する職種あるいは収入で再就職できたやつは何人いるんだ。できた奴に対して会社が直接なにか支援をしたのか」
「それは……」
思わず責め立てる言葉が次々と出てしまう。
同期や同世代を何人も見送ってきた進からすれば、その同期であっても人事部長である山本は印象のいい存在ではない。
ただだからといって責め立てるのも違うというのも理解している。
進は頼んだウーロン茶を半分飲み干し、自分を落ち着かせる。
「すまない。それについておまえを責めるつもりはまったくない。お前はお前の仕事をしただけのことだ」
「会社への不満でないなら、なぜ辞めるんだ。俺にも話せないことなのか?」
「悪い。ある程度事が運んだら全部話す」
「コト? わかるように話せ」
山本とは二十年近い付き合いがある。納得してもらうには、ある程度事情を話すしかない。観念した進は、ビールを一気に飲み干し、意を決して語り始めた。
「……絶対に他言しないでくれよ。俺は離婚して、東京を離れることにした」
「……は? 何を言ってるんだ? 離婚? いったいなんで?」
「詳しくは今は話せない」
「あの痴漢騒ぎのことか? 無実だと会社も受け入れている。家族は信用していないのか?」
「あの件がきっかけなのは確かだ。これ以上は言えない」
その言葉に、山本は納得はいかないものの、追及をあきらめた。こいつがこんな決心をするのはよほどのことだと、人事部長として人を見てきた経験から確信が持てた。
「弁護士、ってのは、その離婚に関してのことか」
「それも含む。長い付き合いになるかもしれない。おまえからの紹介なら信頼できると思った」
一定の信頼はあるらしい。少し安心して頭を落ち着かせる。
「……辞めるときか、東京を離れる前くらいには、一度会えるか?」
「いいだろう。そのときに話せることが増えていればいいんだが。それと、さっきの件は、飲んでくれるか?」
本来はこんな依頼は受けない。悩むのは進がそれほど会社に貢献していたからだ。
「……上乗せは検討してみる。振込先と家族に伝えないことは了解した」
「助かるよ。弁護士はどうだろうか。顧問とかでなく、おまえが個人的に知ってるほうがいいんだが」
「ああ、社外で動いてもらってる、弁護士資格を持つ探偵がいるから、そいつを紹介する。ただ変わった奴だから、依頼を聞いてくれるかはわからん。それでいいか」
「わかった。ありがとう」
山本は、名刺を2枚出してメモ書きのうえ進に渡した。山本本人と、五条という弁護士の名刺だった。
その日は、一時間と少しで散会した。
山本さんのような人がいると救われます。
ちなみに弁護士は、島耕作の小暮さんから発想しました。
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