闇の境目 三
―――知らない。
そんな事は知らない。だってオレがひたむきにいられたのは、白藤様がいたからで……。
だけどオレが声を上げる前に、白藤様はまた話を始めた。
「それ以来、妾は己の不遇を呪うのではなく、周りに目を向けるようになりました。目を凝らせばより深い闇も見えてしまいましたが、妾に出来る事も見つけました」
オレ達が首を傾げると、白藤様はニコッと笑って言う。
「それは、聖獣をなるべく輩出しないように働きかける事。幸い朱蘭皇帝陛下は実力至上主義で、よほどの実力の持ち主でなければ聖獣に召しあげることはしなかった。ですから妾はそこに進言し、更にそのハードルを上げました。大名達の目のある場所で“あの程度で聖獣を名乗らせるのか”と微笑みながら問い掛け、朱蘭皇帝のプライドを刺激した。―――まぁ、多くの兵が欲しい大名達は、苦虫をかみ潰したような顔を浮かべておりましたが……」
豹牙が白藤様をジトリと見ながら低い声で言った。
「郡の爺達が『聖獣への登用が先代より難しくなった』とボヤいてたのはお前のせいか」
「うふふ」
「うふふじゃねーよ」
豹牙の軽口を笑って済ました白藤様が、すっと自身の胸に手を置いてオレに問うてくる。
「さぁ、蒼狼。これでも神獣になりたいですか? これまで蒼狼の見てきた妾は全て偽物の仮面。この煌びやかな世界もまた、鍍金を剥がせば何処までも深い底なし沼です。―――先にも言いましたが、妾は蒼狼を神獣にする気はない。勿論、聖獣にもです」
オレは言葉を詰まらせ、初耳の豹牙は驚いた様にオレを見る。
「……そうなのか?」
「あぁ、言われた」
「でもさっき、あいつは“お前を渡さない”って……」
豹牙が困惑した様にオレと白藤様を交互に見る。
オレは気まずくなって目を逸らし、白藤様は悪戯が成功したとでも言うように、くすりと笑って豹牙に言った。
「ふふ、少し遊びが過ぎただけですよ。こう見えて妾には、存外に娯楽が少のうございまして」
「な……」
豹牙が何か言い返そうとしたその時、白藤様が突然くるりと踵を返した。
そして背を向けたまま、白藤様は億劫気な口調で豹牙に言う。
「さて、妾はそろそろ眠る時間ですね。豹牙もそろそろお帰りなさい。魔獣に堕ちるなら、東の山脈を越えた未開の森辺りに住むのがおすすめですよ。朱ノ三に戻りたいならば、明日妾が脱走の事実をもみ消しましょう。―――これは煌武祭の熱気に当てられ、気に入った選手を無理矢理独断で呼び出し、騒ぎを起こした迷惑な姫の遊戯。巻き込まれたそなたの家には、後日詫びの品が届けられ、何も変わらぬ日々がまた始まるでしょう」
「はぁ? ちょっと待てよ。何のつもりだ白藤」
即興のシナリオを淡々と語る白藤様に、豹牙が苛立たしげに怒気を放つが、白藤様は振り返る事すらしない。
「どうもこうも無うございます。言ったでしょう? 妾はそなた等を神獣にも聖獣にもする気は無い。蒼狼の荷物を持ってきますので、それを持って出ておゆきください」
「……」
オレは思わず目を瞬かせた。
……白藤様は今、なんと仰った? 出ていけ? 豹牙だけじゃなく……オレも?
白藤様の言葉が理解できず、じっとその後ろ姿を注視していると、白藤様はまるで感情の籠もらぬ声で語り続ける。
「今回の件は全て、未熟な姫の思い上がりの騒動として片付けます。煌武祭で舞い上がり、蒼狼の熱意に勘違いし、招きあげて告白した挙げ句、あくまでも主従の関係だといわれた事に癇癪を起こして追い出した。そして恥をかかせた蒼狼には二度と顔を向けたくないと喚く我儘な姫に、困り果てた上帝様は今回の神獣の選定を白紙に戻す。―――そういう顛末になるのです」
扉はもう目の前だ。
白藤様が引き戸に手を伸ばそうとした時、オレは唖然と固まる豹牙の手を振り払い、白藤様に駆け寄った。
「白藤様! 待ってくださいっ、何を勝手に……」
と、その時。白藤様が突然怒鳴り声を上げた。
「っ蒼狼!」
突然強い口調で白藤様に名前を呼ばれ、オレは身体をこわばらせて動きを止める。
そして白藤様は今までのしとやかな口調を崩し、震える声でまるで懇願でもするかの様にオレに言った。
「―――蒼狼、言ったろ。俺は、自由にひたむきに走り回るお前を見るのが好きなんだ。それなのにお前がこっち側に来てどうする? オレがどんだけ聖獣を出さない様に試行錯誤してると思ってるんだよ。―――頼むから……来ないでくれ」
そしてふと何かを思いついたように、首だけ回してこちらを振り向き、オレと豹牙に言ったんだ。何処か引き攣った笑顔を浮かべ、場違いなほど明るい弾む声で。
「なぁ蒼狼! 今豹牙と話してみて思ったんだが、豹牙はいい奴だな。今までの事はほら、アレだ……好きな娘の気を引く為の悪戯みたいな? だから今迄の憎まれ口は聞き流してやってくれよ。それに豹牙! 蒼狼はな、お前の事を朱ノ三きっての秀才だって褒めてたんだぞ。お前の事、嫌いじゃないんだってさ。豹牙がいちいち張り合わずにいてやれば、きっと二人は上手くいくと俺は思う。だから……」
何を言ってるんだ白藤様は。
「もう会うこともないだろうけど、お前らがどっかで元気にやってるって思うだけで、俺もう滅茶苦茶頑張れるから。そのくらい今日は楽しかったからっ」
何言ってるんだよこの人は。
今にも泣きそうな顔してる癖に……。
「っ、ま、まぁそう言う事だから。―――蒼狼の着替え取ってくるな。その格好じゃ動きにくいだろうし、紺姫殿の御着物を汚すわけにはいかないからさ。防水包も一緒に持って……」
そう言いながら慌ててまたこちらに背を向けた白藤様に、とうとうオレは声を張り上げた。
「だからっ、勝手に決めないでくださいっ! 確かに白藤様の仰る通り、豹牙は早く帰ればいいとは思います。だけどオレはここから出て行きませんからっ!!」
「……。……っ!!!???」
刹那、白藤様が凄まじい勢いでこちらを振り返り、その動きを止めた。




