闇の境目 二
白藤様の話は続く。
「豹牙の言う通り、それは朱蘭皇帝にとっても無茶な選択。謂わば諸刃の剣に御座います。性別を偽り妾を皇位に上げようなど、その暴挙が白日の下に晒されれば、朱蘭皇帝と妾は国民より弾級を受ける事になる。そうなれば大名達は勢いづき、朱蘭皇帝の権威を弱体化させ、廃位へと追いやろうとするでしょう。……とはいえ、朱蘭皇帝がそのような暴挙に出ようとした理由も分からなくはありません。大名の所へ養子に行った者達は、妾の目から見ても決して皇位を継ぐべき器ではありませんから」
豹牙が目を細めて頷く。
「第二子皇子“矯羊歯”、第三子皇姫“黑百合”、第四子皇姫“姫牡丹”・第五子皇子“翠仙”か。……どれもいい噂は聞かねぇな」
「はい。かの者らは大名達によって、都合の良い存在になるよう育てられてしまっておりますから。つまり“大名”と“物欲”に従順であるような、扱いやすい人格に。……とはいえ、妾は彼らを“時代に踊らされた犠牲者”などと擁護するつもりはありませぬ。抗えなかったとはいえ、今尚罪を罪とも思わず生きながらえる者達なぞ、いつ獣にとって食われようが妾はきっと、涙一つ零す事はないでしょう」
白藤様はそう言って一度苦笑を溢した。
「―――そうして大名達がかの皇族達を己の駒とする様に、妾もまた朱蘭皇帝の駒なのです。そして、朱蘭皇帝の望む駒とは“朱蘭皇帝に従順で、他を圧倒する可愛さを持つ完璧な姫である白藤”。だからそうでない妾は、朱蘭皇帝にとって存在する価値がない」
―――朱蘭皇帝。
オレは遠くからしかその姿を目にした事はないが、噂ではこう評されている。
“戦を好み、強さこそ至上とする苛烈なる女帝”
“気に食わぬ者は言い逃れの余地を与えず処断し、罪人を排出した護衛獣郡は跡形もなく焼き払う恐皇”
……だけど……
「……だが、恐皇とすら謳われる朱蘭皇帝が、白藤を溺愛してると言うのは帝国一有名な話だぞ」
「勿論それは全て建前ですよ。溺愛してる事にすれば、不都合な場面でも我儘という事で流す事ができましょう? 実際それで妾が窮地を脱した事も一度や二度ではございませんし」
豹牙の言葉に即答した白藤様の話が、そこで一瞬言葉を詰まらせる。
何かに思いを馳せるような沈黙の後、白藤様は頭を振りながらまた口を開いた。
「―――朱蘭皇帝と妾の間に親子の情は存在しませぬ。事実、幼い頃に勘違いした妾が愚かにも“素”を出してしまった時、あの方は即断で妾の我を消そうとしました。薬で消すか、呪いで消すか……それを選択させてくれる事だけが、唯一の妾に向ける優しさだと言って笑いながら」
白藤様はまるで他人事の様にそう語った。
語りながら浮かべる微笑は、初めて白藤様を見た時から変わらぬ、この世界で一番美しい笑顔だ。
その時やっと気付いた。オレは勘違いしてたのだと。
―――見上げれば、いつもたおやかに美しく笑っておられた白藤様。
なんの不自由もなく、全てを手にし、帝国民から愛される、幸せの象徴のようなお方だと、そう思っていたんだ。
「その時はただ消されるのが恐ろしく、朱蘭皇帝の望むように生きると約束しました。しかし友はおらず味方もいない中、ただ己の役をこなすだけの日々に希望を抱ける筈もない。やがてとうとう、妾の中にあった消失の恐怖より諦めが勝ち始め、それでも何一つままならず……妾は自暴自棄になってゆきました」
―――住む世界が違う。
泥にまみれ地を這う者と、天上で光に包まれ生きる者。
そう思い、ずっと目を向けないようにしていた白藤様が住まう世界は、まるで救いの無い“闇”の中だったんだ。
「そう。丁度その頃ですね。―――蒼狼、そなたを見つけたのは」
突然話を振られ、オレはハッと顔を上げた。
「そなたの蒼を目にした時、まるで大地に迷い込んだ空の欠片の様だと思いました」
そう言った白藤様は、この宮にやってきたオレを初めて出迎えて下さった時と同じ、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべられている。
「真っ直ぐでひたむきに自由に駆け回るその子を見て、妾は妾の憧れる物全てが詰まったその姿を、もう少し見ていたいと思ったのです。―――蒼狼は知らぬでしょうが、そなたはあの日、間違いなく妾を言葉通り生かしたのですよ」




