護りの鐘
「少し落ち着いてください、白藤様」
円慶の静かな声に、俺はハッとして袖で口元を隠して尋ね返した。
「……す、すみませぬ。……あの、それで蒼狼は?」
「はい、先程入宮致しました。今は宗麟と花梨が蒼狼の身支度を整えており、その後宮内を簡単に案内してから、こちらにやってくる予定です」
したのか! 入宮したのか!! くそぅ、手汗がヤバい!
「そうなのですねっ。の、後に今この時の蒼狼の様子を、宗麟と花梨に尋ねなければっ! ―――くぅぅ……来られているのですね……蒼狼が……妾の宮にっ……はあぁ……」
……って、落ち着け俺! いや、やっぱ無理だ。ドキドキが止まらないっ! これはあれだ。推しのメジャーリーグ選手が我が家に来るとか、そんな気分だ!
そんなことを考えつつ、手汗を乾かす為に手をパーに開いて上下にハタハタと振っていると、円慶が訝しげに尋ねてきた。
「……あの? 白藤様。一体何を興奮なさっているのですか? まさか、蒼狼とは顔見知り……?」
「ふぇ……? な、ま、まさか! あ……会った事等ありませぬ!! ……煌武祭の演武と……あとは少し、練習風景がたまに目に入ったことがあるくらいで……」
何を言ってるんだ円慶は!? 会ったことあるわけ無いだろう!
「……」
「……」
……何だろう。俺は否定したのに、二人はなぜかじっと俺を見つめてくる。―――と言うか何その目。俺何かした?
俺は念の為、二人にポツリと付け加える。
「ほ、本当よ……? 」
「信じます。……そしてその過程で、特別な思いを抱かれておしまいになったのですね?」
―――……っっ。と……と、特別……? 特別と言うかその……っなんというかっ、―――……まぁ特別と言えば、と、トクベツデす……かなぁ。
ちょっと恥ずかしくなってしまい、俺は二人から目を逸らしつつ正直に答えた。
「―――っ……はぃ……」
だがその途端、何故か円慶と唱鶏が唐突に暴れ始めた。
「そ、その顔っ! 禁・止で御座いますっ!! そんな顔でまかり間違って蒼狼の前に立ってみなさい! 直ちに過ちが起こりますよ!」
「大丈夫です! 円慶殿! 私が片時も離れず、白藤様の貞操お護り致します故!!」
「円母!? 過ちって何のこと!? あと唱鶏は来るなよ!? 俺は蒼狼と水入らずの時間を過ごすんだいっ!」
「危険です!」
「危険です!」
「なんでだよ! ホンットに来ないでくれ!!」
一通りぐだぐだと互いに怒鳴り主張をし合った後、とうとう唱鶏は折れて、深い溜め息を吐きながら懐から拳ほどの黒い巾着を取り出した。
何だろうと見ていると、唱鶏は巾着の中から掌サイズの平たい鐘を取り出し机に置いた。
「なんだ、これ?」
俺はそう言って、その鐘を取り上げた。
それは焼きが入った黒い鉄製の鐘で、揺らせばカランと音が鳴る。そして目を凝らせて見れば、鐘の表面には一羽の翼を畳んだ孔雀の絵が浮かび上がっていた。
俺がその鐘の裏表と中を覗き込んでいると、唱鶏が淡々とした口調で説明してきた。
「その鐘は私の私物です。やはり気掛かりですので、蒼狼との初会見時に私は外で待機させて頂きます。何かあればそれを鳴らしてお知らせください。直ぐ様駆けつけますので」
「……駆けつける? お茶汲み係を買って出るってことか? いいよ、そのくらい自分で出すから。俺って“姫の窘み”の一環で茶道は完璧だし」
「何を仰っているのですか。茶など今は関係ないでしょう。“何か”とは蒼狼に襲われた際の事です」
「お前が何を仰っているんだ。蒼狼に限ってそんな事するわけ無いだろう」
俺は即突っ込んだした。―――最近、唱鶏の気にするポイントがおかしくて困る。
「白藤様を前にすれば、どれ程の紳士とて獣にならざるを得ないのです」
……うん。もうこいつは無視しよう。
俺が無言で静かにその鐘を机の端っこに寄せると、円慶も呆れたように唱鶏を嗜めた。
「唱鶏殿、……仰りたいことが白藤様に欠片も伝わってはおりませんよ。そして孔雀の紋様とは、主張を忍ばせ過ぎでは?」
「……」
……なる程。やはり唱鶏の言葉には、俺の理解の及ばなかった裏の意図があったということか。そうだよな、じゃなきゃ真面目なコイツがあんな際どい台詞を吐くわけがない。……気づいてやれないでゴメンな。危うくただの変態と認定するところだったぜ。
円慶の言葉に、唱鶏は珍しく目に見えて落ち込んでいた。
とはいえ、今はいい大人の唱鶏を慰めている時間などないから、自分で立ち直ってくれ。
俺は二人に指を突きつけて釘を刺した。
「とにかく! 蒼狼が来たら俺が全部もてなすから、二人は無断で入ってこないでくれ! 用があれば、俺からこの客間の手前にある広間へ呼びに行く。唱鶏も鐘は鳴らさないから、広間から上階の私室には入ってくるな。分かったな」
だが唱鶏は首を縦に振らなかった。
「それは出来かねます」
「なんだよ、白藤宮の主の言うことが聞けないのか?」
「はい。まだ私への指示主権は上帝様にあり、下されている命の中に“白藤様を守護すべし”という指示が含まれております」
俺は内心舌打ちする。大丈夫だって言ってるのに、こんなところでクソ真面目発揮だ。面倒臭い……。
「ですからどうしても広間での待機を命じられたいのであれば、やはり鐘をお持ち下さい。その鐘が鳴れば、例え最上階の寝室におられたとて、私は馳参じさせていただきますので」
「持ち歩いたら普通に鳴るけど?」
「危急を除き、白藤様の優雅な歩みなら鐘がなる事はございませんよ」
……そうかもだけど、鳴らさないようにだとハッチャケて遊べないじゃないか。
俺はそう思ったのだが上帝様の命令がある以上、唱鶏がこれ以上譲歩することはないだろう。
俺はしょんぼりしつつも頷き、鐘を帯の隙間に挟んだ。
そして立ち上がると、鳴らさない所作のテストがてらに室内を歩き、ついでにおもてなし準備のチェックをしていく。
茶葉に湯、そして茶受けの饅頭。
準備に問題はなく、そして俺の動きで鐘が鳴る気配も無い。
俺はそれからも暫く、ソワソワと客室内を歩き回っていたのだった。




