歴史の闇
『―――俺はっ』
なんの力も無い俺が、この世界の頂点に睨まれて生き残る為の道はたった一つ。
『白藤です!』
俺が白藤になるんだ。
事実白藤なんて人格を俺は知らない。そんなものない。なら俺が白藤だ。
白藤ならこの人から愛される。―――生かされるのだ!
息巻いて声を張り上げた俺に、上帝様は冷たい声で言った。
『……倫太郎と申したではないか。何を言ってる?』
『はいっ、倫太郎の記憶を持った白藤! それこそがあなたの子です! この記憶を持った俺こそが白藤……です……。お母様っ!』
俺はこの時初めてこの人を“母”と呼んだ。
俺が“白藤”なら、この目の前の化け物だって“母”でいい筈。……いいよな? いや、いい!
俺の訴えに上帝様は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、そんな事で気分を害する余裕など俺には無かった。
一語一句聞き漏らさず、この人の望む“白藤”にならなければ、俺は消されるのだ。
『ふんっ、可愛くないのぅ。頭の悪そうな小僧の口調に加えて“俺”じゃと? 朕は白藤を可愛らしい子に育て上げるつもりじゃったのに』
……可愛い?
俺は全神経を研ぎ澄まし、上帝様の言葉に集中する。
『ちっ、……誰じゃ天は二物を与えずなどと言ったのは。イチモツくらいは目をつぶろうと思っておったのに、いらんもんばかり二物も三物も与えおって』
……シモネタ?
や、今はそれどころじゃない。俺は叫んだ。
『私の大切なお母様っ! き、記憶がある方が可愛らしさを出す事が出来る筈にございます』
『は? “私”だと? 今更取り入ろうなどと笑止千万よ、倫太郎』
『大好きなお母様っ! よくご覧になって! 私は白藤にございます! お母様っこの白藤を消さないでっ!!』
ひたすら、涙ながらに訴えた。
無様がなんだ。拷問に耐えて死ぬヒーローなんて、俺の知ってる時代からすりゃ物語かモニターの中だけだ。
……少なくとも、俺はそんな強者なんかじゃない。
―――怖い……消えたくないっ!
もう、無我夢中だった。
そして声が枯れるほど泣き叫び続け、とうとう上帝様は言ったのだ。
『―――はぁ、あいわかった。ならば朕がお前を“可愛い”と思う内はそのままにしておいてやろう。のぅ、白藤や?』
そうして、俺の【可愛い】全振り生活が始まったのだった。
あの人は平気で俺を消す。
消されない為に、俺はこの母様に認められる可愛さを身に付けなくてはいけなくなったのだった。
―――ふと、そこで俺の目は醒めた。
辺りはまだ真っ暗。
さっき見た夢のせいか、背中と額に酷い寝汗をかいている。
俺は大きく深呼吸して、夢であった事を改めて再確認して、ホッと胸を撫で下ろした。……とはいえ、昔はこのフラッシュバックの夢を見た時は、寝汗どころかよく泣いていた。
まぁここ数年、泣く事なんてなくなったが、ある意味恐怖体験だ。仕方ないとは思う。
俺は変な時間に起きてしまったせいで、軽い目眩を覚えつつ、身体を起こした。
着替えておかないと、寝汗のせいで汗疹になってしまってはいけないからな。
起き上がると、寝台の脇に蒼い着物が吊るされてあった。
俺が寝る前に吊るしたものだ。
窓から射し込む月明かりだけでは、それが何色かの判別が出来ないが、その蒼は目を瞑っててもありありと思い出す事は出来た。
ずっと、見てきた蒼。―――そうだ。この蒼を見つけてから、俺は夢で泣かなくなったんだっけ。
俺は寝台から降りると、吊るされた着物に向かって親しげに話しかけた。
「―――ほんとにお前がいてくれてよかったよ」
痛いやつかも知れないが、ここにそれを突っ込むやつは誰もいない。
誰も俺を否定する者はいないんだ。だけど逃げる事だけは出来ない。
だけどまぁ、あの自由に走り回る蒼狼を見て、こうじゃない俺を幻視すれば、この状況にも流されずにいられるんだ。
俺は寝間着を着替えると、ふと月明かりの射し込む窓に近づき、外に目をやった。
俺の、寝室は高台の上にあり、城下を一望出来るようになっている。
そして今、城下街の外の平原には、オレンジ色の灯りがキラキラと輝いていた。
明後日の入城の為、遥々遠方からやってきた護衛獣達の集団だ。
「きれーだなぁ」
涼しい夜風に髪を揺らせながら、俺はその光に見入った。
そしてまた寝台に戻ろうとした時、ふと城門を越えようとしている黒い集団が目に止まった。
その集団は、まるで闇が蠢いているように見えた。
数十名程のそいつ等はみんな背を丸くして進み、あの眩しい光より一足早く入城して行く。
あれは【黒子】と呼ばれる呪い師の集団だ。
護衛獣達にとっての役所的存在である【監獣府】と言う部署に属していて、明後日の煌武祭の準備の為に入城をしているのだ。
なぜあの怪しい集団が公務員かと言うと、この帝国の護衛獣達は、産まれるとすぐ……三日以内に監獣府へ出生届の申告をして、帝国民の証である【印】を刻まなければいけないと言う決まりがある。黒子とはその【印】を刻む者達なのだ。
そして当然【聖獣】の印を刻む者達でもあった。
俺はコソコソと進む黒子達を、睨むように見下ろす。
……眩しい光を誇らしげに放つ護衛獣達と、影を更に忍んで歩む黒子達。その様はまるで対象的だ。
だけどこれこそがこの国の真実。
この煌華帝国は“光を褒め称える一方で“闇”を優遇しているのだ。
黒子達はいつも目と鼻を隠すマスクを付けていて、頭巾をかぶり、夏でも黒い外套に身を包んでいる。
一度だけ、いつもは隠されたその外套の下を見た事があるのだが、首から足首までを包帯で巻いていた。以前唱に、なぜ包帯なんかを巻いているのかと尋ねた事があるが、“入れ墨を刻んでいるから”だと言っていた。―――とにかく、不気味な奴らだ。
そして、これは世間には公表されていない事なのだが、黒子達は魔法など無いこの不思議な世界で、唯一確実な効果を持つ呪いを使う。
そんな者達を使って、人間より遥かに運動能力の高い護衛獣達は印を刻まれる。そして刻まれていない者達は【魔獣】と呼ばれ、低知能な処分対象として狩られた。
ここまで来れば、最早この体制について疑う余地はない。
―――煌華帝国。
それは、どれ程耳障りのいい言葉で飾られていようと、皇帝を最高主とした奴隷大国に他ならなかった。
黒子達が監獣府に配属され、優遇される理由。
それはもうこの国の根底を支える為に、なくてはならない存在だからだった。
明後日、城内で開かれる煌武祭でまた新たな【聖獣】が選ばれ、黒子達はその選抜者に【聖獣】の印を刻む。
―――表向きは、新たな英雄の誕生。
だがなんてこと無い。
放し飼いにしている者達の中から、牙を剥かれては厄介になりそうな者に、先手を打って鎖を掛けておくと言うのが裏の事情。
だから選定者である俺や上帝様は、見落としなく参加者達を覚えなくてはいけないのだ。……本当に、吐き気がする。
黒子達はあっという間に城内に消えて行き、俺はそれを見送ると、またキラキラと輝く護衛獣達の駐屯地に目を向けた。
そしてその煌めきを眺めながら、俺は声に出さず心の中で小さな決意をする。
―――俺は、絶対に蒼狼を【聖獣】にはしない。いや、なんとしてもさせない。
それが俺の立場で、唯一叶えられる願いだった。
そう。俺がいくらこうして裏で騒いでようが、今迄もこの先も、俺と蒼狼の道が被る事はない。
今は煌武祭で“出場者を労う為”という名目で、業務的に声を掛けることはある。
だけど【聖獣】になれないと分かれば、いつか蒼狼も諦め、煌武祭への出場を辞めるだろう。
そしてその時、俺と蒼狼のつながりは完全に消滅するんだ。
俺はまた寝台に潜り込み、目を閉じた。
すると瞼の裏に、ふと昨年の煌武祭で見事な演武を披露した蒼狼の姿が浮かび上がる。
……年々洗練されてくんだよなぁ。超カッコイイんだけどもどうしよう? 去年以上となるとこれはもう、素が出ないように堪えるのは至難の業だなぁ……。
蒼狼を【聖獣】にはさせない。これは決定事項だ。
だけどまぁ、いつか終わるその時迄は……あの雄姿を楽しみにしたっていいだろう。




