強し!! 無双流剣術!
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さて、赤備えの群れだが、タイムを気にせず丁寧に当たるだけなので、私としては何も問題は無い相手だ。とりあえず横薙ぎに胴を払えば、敵兵は横っ飛びに吹っ飛んでくれる。それを利用して空間を作り、脳内で『上様、大活躍!』のテーマを再生してやれば、防具はことごとく剥ぐことができた。
気をつけなければいけない点は、胴や面だけを剥いだ相手だ。せっかく残っている面なり胴なり、これを剥いでからでなければキルを取りたくない。
うっかり剥き出しの急所を打ち抜いて、キルにしてしまわないことであった。
丁寧に丁寧に、防具を剥いだら手足を奪い、それから残った面や胴を剥いで、それから天国へと送り出す。私にとっての『チャレンジ♡ ステージ』は、迅速よりも丁寧。そして確実が肝であった。
イベントで浸透勁を見つけて以来、久しぶりのクリティカル連打であった。
あの血湧き肉躍った大戦闘、狂うほどに暑かった灼熱の季節が、早くも懐かしく思い出される。
ひとつの新しい技というものは、それだけ人間を変化成長させるものなのだ。
ということで、懐かしいというのなら最も懐かしい初伝技。これでバタバタとクリティカルを入れてゆく。敵兵が三〇人いようが五〇人いようが、初伝技で済ませることができるのは、それだけ熟練熟成した技だからだ。
実を言うならば無双流の奥伝技、その一本目の技は初伝で習う最初の型。その中の第一挙動である横面打ちなのである。初伝一本目では、この横面打ちは防御される。しかし奥伝ではビタリと決まることになっている。
つまり横面打ちの精度をそれだけ上げなければいけないということだ。十年十二年に及ぶ長い長い修行の道のりは、たった一本のなんてことのない横面打ちに帰結するのだ。
人生もそういうものであろう。あれこれ雑多に複雑怪奇な世の中を生き抜いて、たどり着く場所は、このなんてことのないもの。ごく当たり前にみんなが過ごしている人生と、なにも変わらない平凡な場所。じつはそれこそが至高にして究極の到達点なのである。
ありきたりな話でしかないのだが、私の剣はそこまで達してしまっていた。自分で極める部分は残り少ない。本当ならば、「ここからが本物の稽古!」と意気込まなければならないのに、師に先立たれ後をまかされてしまっては、どこにも行き場が無いというのも御理解いただけよう。
もちろん私は私なりに亡き師の背中は追い続けている。しかしそれは私ひとりの目標でしかない。
その証拠が、入っては辞め、辞めては入ってくる門人たちだ。彼らは私の師匠の背中など追ってはいない。だから道なかばでいなくなってしまうのだ。
そして追われるほど、私の背中も達してはいないということになる。だからこうしたゲーム世界で技を広めているのだ。現代社会では出番の無くなってしまった剣術ではあるが、こういう使い方もあるんだぜ、と。
独り言が長くなってしまった。
おかげで赤備えは全滅。いよいよ黒備えのステージだ。
たしかここでトヨムは、私の背中を追いかけて来てくれる者の一人は、飛ばすこともクリティカルを入れることもできなかった。より集中した一撃を入れなければいけない。
だからといって、うっかり浸透勁を入れることもできない。表面だけ、鎧にだけ衝撃を与えなくてはならないのだ。
ここでは中伝技も使う。その方が効率が良いからだ。
一般人である読者諸兄には、初伝技と比べて中伝技の方が高級に感じられるかもしれない。
しかし、答えはノーだ。無双流において初伝と中伝技は、無双流の身体を作るためのトレーニングにすぎない。もっと言うならば、無双流の技のほとんどが、この初伝中伝で学ぶことができる。
その練度を上げるのが、目録の段である。無双流が棒振り剣術から、いよいよ無双流らしくなっていくのである。技術に妙技が入ってくるのだ。
妙技の練度を熟成させるのが、奥目録の段階。ここまでくれば、ほぼすべての剣士が無双流の罠にかかる。
それを確実絶対にするのが奥伝。いわゆる極意というものだ。
奥伝技がどういうものか簡単に説明するならば、『何故かもらってしまう』『いつの間にかいただいている』というのが奥伝技だ。
この奥伝技、確実絶対と言わせていただいたが、たまにそれを破ろうとする変態がいる。
それが陸奥屋鬼組、士郎という剣士なのである。彼に対抗意識を燃やしてしまうのが、これで御理解いただけただろうか。
対抗意識を燃やしてしまった結果が、この黒備え全滅というものである。
さあ、出て来い変態仮面! 無双流剣士、和田龍兵が相手をしてやるぞ!
世間では剣術と槍、どちらが強いのか? ということが議論になることがある。しかし剣士の私が断言してやろう。
槍に勝つには我も槍を取り、なおかつ敵を凌駕する技量を持つべし、と。そうでなければ弓矢をもって敵を射殺するべきだ。
つまり剣士と槍士、比べものにならないくらい槍が強い。
剣道三倍段という言葉がある。剣道初段とまともに闘うには、柔道空手道の三段でなければ話にならない、ということである。
それくらいに間合いの長短は絶対なのだ。しかしその間合いの超短を克服して、トヨムはこの変態仮面を倒したのである。その『先生』である私が負ける訳にはいかない。
しかし、今の私にそんな邪心は無い。ただ一途に、ただ熱心に。この変態仮面を打ち据えることしか考えていない。
そのために敵をよく見てまったく見ない。よく相手の目を見ろとかしたり顔で語る者がいるが、実際には目を見ていれば目に捕らわれてしまうので、全体をぼんやりと見るのが正しい。しかしそれでも打たれてしまう場合は、まだ打たれ方が足りていない、としか言いようが無い。
打たれるという行為を繰り返しているうちに目という道具を媒体として様々な情報が脳に送られる。その情報の共通点を脳が分析して打たれる前の共通点が発掘されるのだ。その共通点を理解した脳が、様々な部署に「来るぞ!」と指令を出すから、準備ができるのである。
その準備を殺気と感じる者もいよう。とにかく槍と対峙した私は、自分の隙を自分で見つけて穴を埋めることにした。
まずは間合いである。これは槍が圧倒的に有利。こちらの優位といえば、敵が知らない技を繰り出すことであった。NPCだけど……。
まず敵は下段。トヨムのときと同じだ。私も下段に構えてジワリと間を詰める。途端に穂先が毒蛇の牙のように跳ね上がって、私の胴をねらってくる。しかし私は木刀の刃を天に向けるようにして捻り、必殺の刃を弾いた。初段技、『巻き』の一手だ。敵の槍は死に体。そこにつけこむ振りをしたが、変態仮面も槍を引き込んで構え直す。迂闊に攻め込んでいたら、カウンターを食らうところであった。
敵は中段、私は刃を天に向けて切っ先で狙いをつけた構え。読者諸兄が好きなのでは? という構えだ。ただ、これは木刀の腹で槍を弾きながら切っ先だけは相手をねらっているといういやらしい構えであった。