35話 閑話 ナツとフユ
「これは少し派手すぎるのではないかしら?」
フユは貴重なる雲蜘蛛布と、雲綿を使って作られた座り心地抜群のソファに座りながら優雅にソーサーを手に取り、カップをつまむとコクリと紅茶を飲んだ。紅茶もまた最上級の物であり、一杯で銀貨一枚する物だ。ちなみにソファは金貨300枚した。
「申し訳ございません、侯爵夫人。たしかにこれは夫人のような美しくも淑女の鑑のような方には少しふさわしくありませんでしたね」
応接室にて、ドレスを持ち込んでいた商人が恭しく頭を下げて、次のドレスを部下から渡されると、フユに見せてくる。ドレスは美しい蒼色で、意匠も凝っており刺繍が裾や袖に入れられており、芸術品のようだ。
「こちらは最近の王都での流行でして、この裾周りと布の重ね合わせが幻想的な雰囲気を与えておりまして、最近の社交界ではこの服装がよく売れています」
「あら、皆が着ているのでは少しつまらないわ。そうだわ、貴女たちが着て。私はもっと希少でこれからの流行になるようなものが良いわね」
「本当ですか、侯爵夫人! ありがとうございます。やはり侯爵夫人にはもっと良い格がございますものね」
「こんな素敵な物を下賜してくださるなんて、さすがは侯爵夫人ですわ。私たちもお側にてその審美感を見せて頂き勉強になりますわ」
サッと扇子を振り、プレゼントとしてよろしくと言外に商人に言うと、今日の取り巻きの夫人や令嬢がお礼を口にすると共にお世辞を言ってくる。
その様子をニコニコと微笑みながら観察する。人それぞれ態度が違う。こちらの意図を察して、お世辞を控え目にする人、浪費家と言われるフユに寵愛されて甘い汁を吸おうとする者、純粋にプレゼントしてもらい感動している者など様々だ。
これまで会った商人たちも多かれ少なかれ、この人たちと態度は変わらない。突然成り上がった元没落貴族からボッタクろうとする者や、フユの意図を正確に見抜き、安価な物から高価な物まで様々に揃えている者などだ。
これらはしっかりと記憶しておき、メモしておく。後々に本当に頼りになる臣下を周りに置くためだ。切れ者ではなくても、純粋に慕ってくれるだけでも良い。なにせ、今のアスクレピオス侯爵家には信用できる人材がいないので見極めている最中だからだ。
投資した分は元を取らないといけないのでとても疲れるが、これもアスクレピオス侯爵家と可愛い娘のためだ。自分たちの代でアスクレピオス侯爵家を落ち着かせたい。
「それと、召使いの数が揃ってきたのですが、制服は揃っていないのです。下女の服を新品で全て揃えてもらえるかしら? アスクレピオス侯爵家の者と分かるように刺繍を入れておいてくださいね。それと汚れても大丈夫な服ですが、最低限、アスクレピオス侯爵家としての矜持を持てるようなデザインでお願いします」
「! はっ、お任せくださいませ。全てを揃えるのであれば、メイドや侍女の服もお揃えしますが?」
「まだ貴方の商会とは初めて会ったばかり。信用できるかは、下女の服装を見て検討するわ」
「はっ! かしこまりました。では二ヶ月を、いえ、一ヶ月いただければご用意いたします」
「えぇ、お任せするわ。では今日の買い物はこれくらいにいたします」
商人が大量注文にウキウキした様子を隠さずに去っていく。この取り引きが上手くいけば、もっと大量の注文が受けられるだろうと足取りも軽い。
「あの者はあまり信用できませんね、侯爵夫人。あのように顔に出して帰るとは、商人としてなっておりません」
「そうですね、ですが品物を見て良ければ、扱いやすい商人として簡単な取り引きはしても良いかもしれません」
取り巻きの一人が立ち去った商人を見て鼻白むが、軽く擁護をしておく。付き合いをやめるときっぱりと告げて、商人が王都に帰ってもらっては困るのだ。
「では、楽しい買い物はここまでとしましょう。少し散歩をします」
取り巻きたちが頷くのを横目に立ち上がると部屋を出る。通路を歩きながら、明日のスケジュールを考える。
(明日は別の商人に会って、今度は城のカーテンの注文ね。先ほどの商人は納期を早めたと言う事は、赤字覚悟で下女の制服を用意するはず。少し凝るよう伝えたから、きっと城下のお針子さんたちは大忙しね)
フユはこの数ヶ月、傍目から見たら浪費と思われるほど湯水のようにお金を使っていた。商人から服やアクセサリーを買い、その噂を聞いてやってきた他領からの商人からも高価な品物を買い上げる。そして、さりげなくシーツや制服などの城で使う品物を大量に注文する。
そのため、城下の人々は大忙しであった。商人も大量の生活必需品の注文を受けて本店に戻る手間をかけない。現地で買い上げてお針子を雇い、刺繍をさせる。家具を作るのに職人に注文する。そして、フユに売った商品の利益は城下に落ちるわけだ。
商人も、フユに売る品物だけを持ってくるわけではない。ついでに街でも売れるような品物を大量に持ち込む。その際には護衛を雇い、村々の宿屋に泊まり、さらにお金を落とす。
落ちたお金を領民は使って商人から品物を購入する。そのような循環となったら商人の中にはアスクレピオス領都に店を作ろうと考えるものもいる。税金が他領よりも安く治安の良いアスクレピオス領都は優良物件であった。
そうしてアスクレピオス領都はこの9か月くらいで、以前の苦しい生活が嘘のように活気に溢れて、人々には笑顔が浮かんでいた。
こうして宝物庫の金は湯水のように無くなり、フユ自身は浪費家の侯爵夫人と噂されるようになったが、噂などよりも遥かに実利があったので止める気はなかった。
(それに可愛い可愛い私の娘が考えた政策ですしね。私が頑張らないと。あの子には大変な思いをさせてしまったし)
アスクレピオスの呪毒剣の力を吸収したアキは優秀だ。優秀などと表すこともおこがましい。天才を通り越して、鬼才だった。しっかり者のアキが寝る前に残してくれた手紙の中の一通、そこに今回の政策が書かれていたのだ。
曰く『金より始めよ』である。裏切り者たちの資産も没収したアスクレピオス侯爵家の宝物庫は溢れんばかりの金貨で埋め尽くされたが、そんな背景画はいりませんと、領都の発展に使うのでしゅと書いてあった。その政策は見事に嵌り、アスクレピオス領は急速に復興している。これならば、かつてのアスクレピオス領を上回る日も近いことだろう。
(でも………アキには普通の生活を送ってほしい。無邪気な今のままの方が良いと思うけど、しっかり者のアキの方はアカデミーに行きたがっていたようだし、苦労をかけたのだし願いは叶えてあげたいわ。一緒に暮らしていけるのが一番なんだけど)
世界で一番大事な我が子のことを想うと複雑な気分だ。ここまで素晴らしい政策を考えるアキは、たしかに御先祖の知識や力を持っているのだろうが、それが幸福なのかはどれほど考えても正解はでなかった。親としては子が幸せに笑顔で生きてくれればそれだけで満足なのだから。
つらつらと考えながら歩くと、いつの間にか庭園に辿り着いていた。どこからか竪琴の奏でる美しい音色が聞こえてくる。
「あら、あの音色はアムネジア様ではいらっしゃいませんか?」
「そうみたいですね。少し寄っていきましょう」
取り巻きの一人が教えてくれるので、笑みを浮かべて音色のもとに向かう。東屋が見えてくると予想通りに愛娘がいた。自分よりも大きな竪琴を手に持ち、複雑な音階を精緻なる動きで奏でている。フユも聴いたことのない超一流の音楽家がそこにはいた。
「素晴らしいです、姫。竪琴を奏でられることはポセイドン王国の作法でも重要ですが、これまで聞いた音の中でも、最高でしょう。いえ、天上の音色、歴史上最高の音色でございます」
「えへへ〜、あ~ちゃん、おんがくとくいなの。おうたもとくいなんだよ!」
アキのそばにいる女性たちが万雷の拍手で褒め称える。たしかに素晴らしい音色で褒め称えるのは当然の出来であったが、その裏にある目論見を思うと、複雑だった。
と、東屋にはもう一人座っているのが目に入ってきた。少し疲れた様子の夫だ。『血の侯爵』と渾名がつけられて恐れられるナツである。
やはりアキの残した政策を参考にして、多くの政策を成しており、その政策は成功している。
『まずは治安を百にしよう』と少し意味が分からないが、残された手紙にあったとおりに百花騎士団により山賊や魔物などを討伐し、領地を徹底的に掃除した。
『恩赦を使おう』で、多くの品物を配布した。
特に侯爵家の戻った証として、恩賜として小麦粉や鉄製の農具を無料で配布していることは有名だ。それにより鍛冶師は忙しくなり、余裕のできた農民は小麦以外にも野菜も育て、街に売っている。足りない人手は他領で追い出されて、嫌々冒険者となった農家の次男や三男を薬草集めや小魔物の討伐金を他領の数倍出して誘引し、そのまま村々に引き入れていた。
「あぁ、疲れがとれたよ、アムネジア。ありがとう。アムネジアの音色が不思議と体に染み渡ったようだ」
「あ~ちゃんがんばったよ! おとーさまのつかれとんでけーとんでけーって、かなでまちた!」
竪琴を置くと、少し疲れが見えるナツにあ~ちゃんは満面の笑顔で突撃すると膝の上によじよじ登る。愛娘のふわふわの髪を撫でて、ナツは優しい表情になる。本来は苛烈などとは正反対の性格だが、現状では苛烈にて狡猾なるフリをするしかないのだ。そうしないと付け入る隙があると有象無象が暗躍することになる。
だが、疲れはする。
「あら、あなた。お休みですの?」
「あぁ、フユか。そうなんだ、さっきまでは騎士の試験を見ていたからね」
ごっそりと失われた騎士と兵士。それにより、多くの人々が騎士になろうと他領からもやってきている。国王派から貴族派、今まで浪人をしていたものなどなど。ナツのやることはたくさんあったが、その中でも騎士の試験は身元を確認しないといけないし、なにか裏があるのではと調べないといけないし大変だったのだ。
なので、抜け出して、アキに癒されているのだった。
「はぁ、少し疲れたよ。まぁ、今日は少しは暇ではあるのだがね」
「お疲れ様です、あなた。そうしたら、久しぶりの家族団欒といきましょう」
気を利かせて取り巻きたちが一礼して立ち去ってくれたので、クスリと笑うと侍女にお茶を持ってくるように命じる。
「あ~ちゃん、あまいの! あまいのがしゅき!」
「ふふ、それじゃミルクティーにしましょうか」
「私は砂糖抜きの紅茶で」
家族が笑顔でお茶を楽しむ。下級官吏だった頃と違い、大変なことになったが………。
「こうやって皆でお茶を楽しむことができるだけ幸せだものね。頑張らないといけないわ」
今度はフユのお膝の上によじよじと登って、ニパッと笑う無邪気な愛娘を優しく撫でて、フユは微笑むのだった。
ナツがガーンとショックを受けているが、娘の一番好きな相手は母親だから仕方ないのよ。




