4章 旅行二日目・後編
「はーい、こちらがお目当ての温泉でーす。」
羞恥に耐え忍んだ昼食後、俺はクロリーにオセロ宅から少し離れた場所へと連れていかれていた。
他の場所よりも木々が生い茂る中、開けた空間に温泉があった。
「ん。服は脱ぎ脱ぎしようね。」
「…何か男として大切なものを次々と失っている様な気がする。」
手早く俺の衣服を剥ぎ取るクロリー。ズボンも奪われ、今俺の体を隠してくれているのは師匠の巻いた包帯のみだ。丁寧にアソコまで隠してくれた師匠に心から感謝する。
そして包帯だけになった俺の体を担ぎ、温泉に入れる。縁の方は浅く、頭だけ出たまま寝そべるような形だ。
温泉というのは初めて入るが、『人間作家』の代償で感覚のない体では感動がない
「不便な体だな。」
そのまま長時間浸かっていたが、やはり感覚がないため治療が進んでいるのかどうか分からない
「その温泉にずっと浸かってて何もないなんて不思議ね。」
「そんなに効能のある温泉なのか?」
「いや、ずっと浸かってて死なないのが不思議なの。」
…いま何て言った?
「この温泉───正確には温泉じゃなくてね。神獣様の力によって集められた山脈の生命エネルギー、それが溢れ出たものなの。確かに傷を癒し、病を退ける力はあるんだけど…ちょっと効きすぎちゃうんだよね。過剰な再生…その先に待っているのは肉体の死滅。お頭の許可無しじゃ近寄ることも許されないのはそのせいなの。健康な人はお湯に触れただけで危険よ。」
「じゃあクロリーのその異常な厚着も…」
「うん。防寒じゃなくて身を守るためのだよ。湯気だけでも危ないもの。」
ずっと見守ってくれていたクロリーの装いは頭の先から足の指先まで隠されていた。顔もマフラーで覆われており、外見では誰かは判断できない
「俺、いま感覚ないけど体はまだあるよな?」
「うん。よっぽど酷い状態なんだね。生命エネルギーが全部治療に使われているみたい。」
「それなら一安心だ。それで、随分時間が経ったが俺はいつまで浸かっていればいいんだ?」
「知らなーい。お頭には夜になるか変化があるまでって言われたけど。その様子じゃダメそうだね。」
「そうか。」
そのまま日が落ちるまで浸かっていたが特に変化は無かった。クロリーの魔法で引き揚げられ、丁寧にお湯を拭き取られる。それからまたクロリーに担がれてオセロ宅へ戻った
「ただいまお頭。」
「お帰りなのじゃ。」
「じゃあ晩御飯作るから待っててね。」
俺を下ろし、奥の方へ姿を引っ込めるクロリー
「先生が見当たらないがどうしたんだ?」
「先生?あぁアイリーンのことか。彼女には少々仕事をしてもらっておる。もうじき戻ってくるじゃろう。それよりも、秘湯の効果を確認するのじゃ。」
座った姿勢の俺にオセロが近付き、左腕の包帯を外す。露わになった俺の腕は、ここに来る前より少しだけ薄くなっているような気がした。そんな腕に触れ、何かを確かめるオセロ
「ふむ、秘湯の効果はあるようじゃ。これから毎日浸かれば感覚が戻り、動かせるようになるじゃろう。」
「それは良かった。」
「世話役はクロリーに任せるとする。午前はクロリーにも仕事があるため午後から治療を行うのじゃ。霊薬の方も手配しよう。」
「あー、そいつは助かるんだが。一つお願いをしてもいいか?」
「申してみよ。」
「世話役は男にしてくれないか?包帯で隠れているとはいえ、流石に恥ずかしい。」
クロリーは見た目的に俺と対して年齢は変わらないだろう。そんな子に体を拭かれたり担がれたりするのは恥ずかしい。あと何だか申し訳ない
「すまぬがそれは出来ぬ。妾の家、そして秘湯に近付いてもよいのは各種族の族長、そしてクロリーのみじゃ。おいそれとそこらの男をこの山頂付近に呼ぶことは出来ぬ。」
「流石に族長を動かすわけにはいかないか。」
「いや族長共は基本暇じゃ。」
「暇なのかよ!?」
「じゃがあやつらは一癖も二癖もある奴らじゃ。とても世話役が出来るとは思えぬ。」
まぁ流石に族長たるものが客の世話役というのもおかしな話だな。恥ずかしいが、クロリーにお願いするとしよう。
それから俺とオセロは他愛のない話を続けた。途中でアイリーンが帰り、少し後に夕食が運ばれてきた。
ずらりと並べられた料理を次々と俺の口元に運ぶアイリーン。オセロとクロリーは何とか笑いを堪えながら食事をしている。
ミストリオーレの食事は、王国のものと違ってシンプルだ。数々の調味料が使われている王国の料理に対し、ミストリオーレでは塩しか使われていない。しかしこの塩が格別に美味い。
王国の塩よりも味に深みがあり、食材の美味さを引き立てている。魚や肉に塩を振りかけ焼いただけのシンプルな料理ですら病みつきになりそうだ
「この塩すごい美味しいな。」
「分かるのか?この塩は山脈の南、海に面する魚人族の集落で作られているものじゃ。」
「市場にも滅多に並ばない、最高級の塩です。王国からも何人もの商人が交渉しにこの国に訪れています。」
「じゃが奴らは人間嫌いでのう。特別な事情がない限り人間に売ろうとしないのじゃ。」
つまりこの国でしか食べられない至高の塩ってことか。アイリーンが運ぶ料理を噛みしめ、味わう。食後のデザートに新鮮な果物を食べ、満腹になる。
「酒は嗜むかの?ジーン。」
「国の法的に一歳足りない。次の誕生日で飲めるようになるな。」
ホーファーツ王国では十六歳から飲酒ができる。俺の誕生日は来月で、まだ十五歳だから法律で飲酒は禁止されている
「ここはミストリオーレじゃ。王国の法律は関係ない。どうじゃ?一杯。」
「じゃあ貰おうかな。」
断るのも悪いので頂くことにする。盃に酒が注がれ、案の定アイリーンに運んでもらう。
口の中に甘い香りが広がる。人生初の酒はさらさらと口当たりがよく、とても飲みやすい。あっという間に盃の酒を飲み干す
「ふふふ、いい飲みっぷりじゃ。どれ、もう一杯。」
盃に新たに酒が注がれる
「初めて飲んでみるが中々美味いものなんだな。」
「この酒は特別製での。秘湯ほどではないが傷を癒し、病を殺す力をもっておるのじゃ。」
「へー、そうなのか。」
二杯目を飲んだところで頭がボーッとしてきた。これが酔っ払う、という感覚なのだろうか。三杯目が注がれ、飲んでいくうちにどんどん眠くなる
「な─じゃ?─う酔───か?クロ──、ジー─を寝──────────。」
オセロが何か言っているが分からない。思考が鈍り、意識を保つのが難しくなる。アイリーンは変わらず俺の口に酒を運ぶ。もういい、十分だ
「おやすみなさいませ、ジーン様。」
朦朧とする意識の中、ハッキリとアイリーンの声が聞こえた。そして俺はそこで意識を手放した。
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「妾の意を汲んでくれたこと、感謝するのじゃアイリーン。」
「いえ、私もジーン様に内密にしたいことがありましたので。」
アイリーンの隣ではジーンが座ったまま寝息をたてている。そんなジーンをクロリーが担ぎ、別室に運ぼうとする
「お頭、アタシもいない方がいい?」
「そうじゃな。悪いが一時間ほど外出してくれるかのう?」
「はいはい。適当にぶらついてくるね。」
ジーンを運び終え、玄関から外に出ていくクロリー。彼女が家を出て、残されたのはオセロ、アイリーンだけ。そして床にはオセロとジーンの盃が置いてある。空であるジーンの盃に対し、オセロは一口も口にしていなかった
「睡眠薬入りと気付いておりながら容赦なく飲ませるとはのう。」
「ジーン様には早めに退場してもらいたかったので。早速本題に入りましょう。」
「では妾からさせてもらうのじゃ。ベル、出てきてもよいぞ。」
オセロが名を呼ぶと一人の幼い少女がどこからともなく現れた。見ただけで分かる赤子のような柔肌、肩まで伸びる髪、穢れを知らぬ純粋な瞳。
そのどれもが色素の抜け落ちたかのような真っ白である。雪のように儚い見た目の少女。
しかし溢れでんばかりの魔力が彼女の存在を強く示している。驚くべきはその技量。幼いながらもその強大な魔力を操り、今の今まで潜んでいたのだ
「この子はベル。訳あって私が預かっているのじゃ。」
「オセロ様、この子は…まさか…」
「そなたの想像通りじゃ。ベルは────」
先に答えに辿り着いたアイリーン。彼女の顔はいつもの冷静な顔ではなく、驚きが現れていた
「人間と魔族の混血…世界でただ一人の半人半魔じゃ。」




