13章 彼の世界
ダンジョンで生まれた魔物は通常の動物とは生物として大きく異なる。
まず、食事を必要としない。ダンジョン内の魔力を取り込み活動するからだ。そして魔力から生まれるため交尾する必要が無い。そのため性別もない。そして人に対し、敵意を向ける──極一部の例外を除いて。
ソレ───性別などないが、あえて【彼】とでも呼ぼうか。
彼の目に見える世界は白と黒の二色だけだった。
魔力から生まれ、自分がすべきことは本能で理解していたが、感情がなかったからだ。
目的もなくただ存在するだけの彼、そして彼の仲間が感情を抱く機会は訪れず、ただただ時間が経過していく。
そして遂に彼に感情が芽生える時がやってきた。
初めて持ったその感情の名前は───恐怖。
彼の目の前に現れたのは三人組の人間。魔物としての本能から彼と彼の同族が襲いかかる。が、三人は同族を瞬く間に斬り殺し、彼も難なく制圧されてしまった。
死という概念すら知らない彼にとって、踏みつけられ、剣を突きつけられようとも何ら感じることは無かった。
しかし、そこから始まった行為は死を知らない彼にとっても地獄だっただろう。
叩かれ、切られ、焼かれて───三人に嬲られ、初めて触れた狂気に彼に恐怖を植え付けた。
もっとも、彼にはその感情の名前すら知らないが。
恐怖と全身の痛みに苦しむ中、口に何かをねじ込まれ、そして身体の奥から力が溢れてきた。全身が激しく熱を帯び、自分が変わっていくのを感じていた。
気がつけば三人組のうち、二人が地面に倒れていた。視線の先では最後の一人が彼を見ている。
そして、目があった時、人間の目に映ったソレを、彼は見逃さなかった。
何も知らなかった彼が唯一知っている感情──恐怖がその目に映っていた。彼が歩を進めるにつれ、恐怖は色濃くなっていく。
愉悦──それが彼に芽生えた二つ目の感情だった。
この時、彼のモノクロの世界に色が生まれた。最後の人間を傷つける度により鮮やかに、美しく世界は変化していく。
彼にとって、人間は恐怖の対象から自分を悦ばせる玩具となっていた。そして、それは新しく現れた人間も同じだった。
新しく現れた黒髪の少年。全力で振るう剣も彼を傷つけることは叶わず、玩具としての認識を覆すことは無かった。少々手間取ったものの、玩具はどんどんボロボロとなっていく。爪に伝わる肉を削る感覚が、赤に染まるその姿が彼を悦ばせる。
そして、感情の昂りが最高潮に達し、会心の一撃が玩具の身体に叩き込まれる。その感覚の悦楽に全身を震わせる。
壊れた玩具に興味を無くした彼は、更なる愉悦のために逃げた玩具を追おうとする。しかし、その彼を再び阻んだのは壊れたはずの玩具だった。
玩具の手にはうち払ったはずの剣が握られており、彼の会心の一撃を受けた身体の傷の血は止まっていた。その目に光は灯っておらずボロボロの身体を相まって不気味ですらあった。
だが彼は一切気にしない。壊れたはずの玩具が生きていようと、もう一度壊せばいいだけの話だからだ。
間合いを詰め、無造作に腕を振り下ろす。剣のガードごと玩具を壊そうとする爪と剣が衝突し、甲高い音が響き渡る。
だが、それだけだった。振り下ろされた腕は、玩具の上で完全に制止していた。
彼は玩具に力で勝っていたはずだった。だが、どれだけ力を込めようとピクリとも動く気配がない。
次の瞬間、玩具が高速で回転し、刃が彼の横腹に迫る。だが彼は焦らない。玩具の刃が自分に届くことがないと理解しているからだ。
横腹に強い衝撃が走る。切りつけるのではなく叩きつけられた一撃は彼の毛皮を突破し肉を傷つけることは無かったがその衝撃は体の芯まで届いた。
玩具の攻撃は止まらない。次々と剣が叩きつけられる。全身に伝わる鈍い痛みに彼の顔が歪む。反撃しようと腕を振るうがどれも力で打ち払われる。
玩具が繰り出す打撃はどれも彼にとって致命打にはなりにくい。しかし、確実に蓄積していくダメージを感じ、彼は玩具を敵として認識を改める。幸い、彼の速さは少年より上だった。振るわれる剣を次々と躱し、反撃の機会をうかがう。
『対象の速度上昇。出力上昇、修正します。』
剣速が一段早くなり、機会をうかがっていた彼の横っ面に強力な一撃が叩き込まれる。剣速が早くなり、更に重くなった打撃に体が仰け反る。
彼は何が起きているのか理解出来なかった。目の前の少年は彼より弱かったはずだ。実際、彼は少年を一度圧倒し、致命打を叩き込んだ。だが少年は何故か生きており、今では自分を遥かに圧倒している。
全力を出すも次の瞬間には少年はそれを超える力と速さで彼を圧倒する。既に彼の攻撃が少年を捉えることは不可能となっていた。
次々と叩き込まれる一撃に右腕が動かなくなり、続いて左腕も動かなくなった。そして脚も動かなくなり、膝をつく。それでも少年の猛攻は止まらない。彼の体は右へ、左へ、高速で揺れる振り子のようになっていた。
『活動限界を迎えました。これ以上は本体の身体《器》が持ちません。【人間作家《ゴーストライター】、権能停止します───。』
嵐のような猛攻がピタリと止まり、少年の身体が力なく倒れる。同時に、既に意識が飛んでいた彼の身体も倒れる。
静寂が再びダンジョンに訪れる。第一層へ続く道、その前で行われた戦闘。第二層で行われたものとは思えない激戦は勝者無しという形で幕を閉じた。
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イーロタニア勇者学園講師、エリックは焦っていた。彼の受け持つ地下ダンジョンでの実技演習で問題が発生したからだ。
地下ダンジョン入口で生徒の帰還を待っていた彼の元に、ボロボロの男子生徒が運び込まれ、運んできた二人の女子生徒からコボルト・キングの出現と彼女たちの班員の一人が囮になったと聞き、血の気が引いた。
すぐに魔道具で学園に報告し、単身、ダンジョンに飛び込んだ。
イーロタニアの元学生である彼は凄まじい速度でダンジョンを駆けていく。五分もかからずに第一層を駆け抜ける
「発見!」
第二層へ飛び込み、すぐに倒れているコボルト・キングとジーンを発見する。急いで駆け寄り、状態を確認する。意識を失ってはいるが息はしているようだ。ひとまず安堵するも、目に入った光景に息を呑む
「なっ…一体どうすればここまで…」
ジーンの全身が壊死しているかのように黒ずんでおり、一目で危険な状態だと分かった。『回復』をかけるが変化が見られない
「まずい…急いで誰かに見せなくては…」
ジーンを担ごうと手を伸ばした瞬間、背中に感じた気配に身を屈める。先ほどまで倒れていたコボルト・キングが目を覚まし、襲いかかってきたのだ。
コボルト・キングはエリックがいるにも関わらず、ジーンに狙いを定め、その爪を振り下ろす。だが、その爪がジーンに届くことは決して無かった。
肘から先が無くなった腕を不思議そうに見つめるコボルト・キング。自分の身に何が起きたのか分からなかったからだろうか、それとも、自分の毛皮が突破されるとは思っていなかったのだろうか、止めどなく血が吹き出ている腕から視線を逸らさない
「僕の生徒に随分と酷いことをしてくれたね?」
エリックが剣を振るう。その一閃はいとも容易くコボルト・キングの毛皮を断ち、その下の肉を、そして骨を断ち、コボルト・キングの頭と胴体が永遠のお別れを果たす。
コボルト・キングを瞬殺したエリックがジーンを抱え、走り出す。
その後、学園から駆けつけた他の講師の手により、重体の他の男子生徒二人も救出され、一年生の地下ダンジョン実技演習は中断された。
色々諸事情が重なり遅れました。申し訳ない。




