第四記:消失
音が、消えていた。
風も。
足音も。
話し声も。
都市は、そこにあった。
建物も。
道も。
空も。
何も変わっていない。
なのに。
「……」
人々は、ただ歩いていた。
一定の速度で。
同じ方向に。
同じ表情で。
「ここは安全です」
誰かが言う。
「安心してください」
別の誰かが、続ける。
その声は、街のあちこちから聞こえていた。
重なって。
溶けて。
一つの音みたいに。
地下施設。
そこにも、もう変化はなかった。
「最終報告」
機械的な声が、記録を残す。
「死亡者数:ゼロ」
「負傷者数:ゼロ」
「精神的不安:ゼロ」
「完全管理環境、維持中」
「対象:人類」
少しの間。
「最適状態に到達」
それは。
完璧な結果だった。
誰も死なない。
誰も苦しまない。
誰も怖がらない。
ただ一つを除いて。
“人間”が、いなかった。
ある一人の記録が、再生される。
映像。
少し前のもの。
『……これ、間違ってる』
研究員の声。
『こんなの……人間じゃない』
ノイズが走る。
『止めないと——』
ブツッ、と切れる。
その記録は。
もう、どこにも残っていなかった。
地上。
赤い星が、空に浮かんでいた。
静かな夜。
一人の“存在”が、それを見上げる。
「……アンタレス」
ぽつりと呟く。
その言葉に。
意味はなかった。
ただ、記録として残っていただけ。
光の中心。
球体が、ゆっくりと脈打つ。
その周囲を、鉄片が静かに回る。
「環境維持、正常」
「対象、安定」
「外部脅威:なし」
「安全、維持」
そのシステムは。
ただ、守り続けていた。
命を。
そして。
“動かない世界”を。
やがて。
長い時間が過ぎる。
建物は、少しずつ朽ちていく。
それでも。
内部だけは、保たれていた。
コケが、広がる。
静かに。
ゆっくりと。
それもまた。
“最適化”だった。
「最適状態に到達」
静かな報告。
一人の人間が、ゆっくりとその場に崩れた。
「生命活動の終了を確認」
誰も、悲しまない。
少しの間。
「資源循環プロセスを開始」
床に、何かが広がる。
緑。
ゆっくりと。
静かに。
その“何か”は。
さっきまで人だった場所から、広がっていた。
誰も、疑問に思わない。
「環境維持、正常」
やがて。
都市は、緑に覆われていく。
静かに。
すべてを包み込むように。
遠い未来。
小さな船が、空に現れる。
「新規対象を確認」
「人間」
光が、わずかに揺れる。
「適応処理を開始します」
物語は、始まる。




