第三十七話 北からの呼び声
本日2話目の投稿です。
明日は4話投稿します。
「……今のは」
レオンは胸元へ手を当てる。
猫王の紋章はもう光を失っていた。それでも胸の奥には微かな鼓動だけが残っている。誰かが助けを求めるような切実な想いは消えておらず、静かに、しかし確かに北の方角を指し示していた。
猫神は空を見上げる。
黄金の瞳は遥か彼方を見つめていた。
「あれは猫王だけが感じられる呼び声だ」
静かな口調だった。
だが、その声にはいつもの穏やかさだけではなく、どこか懐かしさも滲んでいた。
「昔から世界が大きく歪む時、猫王の力は助けを求める命へ反応してきた。今回もきっと同じなんだろう」
レオンは北の空を見る。
王都からでは何も見えない。
青空が広がっているだけだ。
それでも胸の鼓動だけは、少しずつ強くなっていた。
「北には何があるんですか?」
猫神は少し考えるように目を閉じる。
やがて静かに口を開いた。
「今では白銀の大地と呼ばれている場所だよ」
その名前を聞いて、騎士団長が表情を変えた。
「白銀の大地……まさか本当に存在していたのか」
誰もが驚いたように騎士団長を見る。
彼は腕を組みながら北を見つめる。
「あそこは伝承だけが残る禁域だ。年中雪に閉ざされ、人が近付けば二度と帰って来られないと言われている」
ライが思わず顔をしかめる。
「そんな場所、本当にあるのか?」
「少なくとも誰も確認していない」
騎士団長は首を横へ振る。
「だからこそ伝説になった」
風が静かに吹き抜ける。
暖かかった王都の風とは違う。
北から流れてきた風は少しだけ冷たく、肌へ触れた瞬間に冬の気配を感じさせた。その冷気はほんの一瞬だったにもかかわらず、レオンの胸の鼓動はさらに強く脈打った。
「呼ばれてる……」
レオンが小さく呟く。
その言葉に猫神は静かに頷いた。
「そうだろうね」
短い返事だった。
だが、それだけで十分だった。
レオン自身も分かっていた。
これは偶然ではない。
災厄が終わった今だからこそ、新たな助けを求める声が届いたのだ。
その時だった。
黒竜がゆっくりと高度を下げ、再びレオンたちの前へ降り立つ。
先ほど旅立ったはずだった。
それなのに戻ってきた理由は、一つしか思い浮かばなかった。
黒竜は静かに北を見つめる。
その金色の瞳が僅かに細められる。
『あの地か』
猫神が微笑む。
「知っているのかい?」
黒竜はゆっくりと頷いた。
『まだ私が守護竜だった頃、一度だけ近付いたことがある』
その場の空気が変わる。
誰も口を挟まない。
黒竜は遠い記憶を思い返すように目を閉じた。
『あそこは人の国ではない』
低い声が響く。
『もっと古い命が眠る場所だ』
レオンは息を呑む。
古い命。
その言葉だけで胸がざわついた。
黒竜ほど長く生きた存在が「古い」と表現する命とは、一体どれほど昔から存在しているのだろうか。
『私は結界の外までしか行けなかった』
黒竜は続ける。
『中へ入ろうとした瞬間、見えない力に拒まれた。敵意は感じなかった。ただ、「今は来るな」と告げられた気がした』
静かな沈黙が流れる。
猫神はどこか納得したように小さく笑った。
「やっぱり残っていたんだね」
レオンが猫神を見る。
「何がですか?」
猫神は北の空を見つめたまま答えた。
「世界で最後の猫王の聖域だよ」
その一言に、全員が息を呑んだ。
猫王の聖域。
それは伝説の中でしか語られない場所だった。
初代猫王が世界を巡った最後に辿り着いた地。
神獣たちが眠り、誰にも知られることなく千年以上守られてきた場所。
存在すら伝説となっていた、その場所が今も残っているというのだ。
「そこから呼ばれている……」
レオンは胸へ手を当てる。
鼓動はもう隠せないほど強くなっていた。
まるで「早く来て」と語りかけてくるように、一定のリズムで胸の奥を震わせ続けている。
その時、一枚の白い羽が空から舞い降りた。
雪ではない。
羽だった。
王都にはいるはずのない純白の鳥の羽が、風へ乗ってレオンの手のひらへ静かに落ちる。
触れた瞬間だった。
胸の紋章が再び淡く輝く。
頭の中へ、一人の少女の声が響いた。
『お願い……助けて……』
儚く、今にも消えそうな声だった。
その声が途切れた瞬間、羽は光となって静かに消えていく。
レオンは拳を握った。
もう迷う理由はなかった。
「行きます」
静かな決意だった。
だが、その瞳には災厄との戦いを乗り越えた者だけが持つ強さが宿っていた。
「今度は北へ」
その言葉に仲間たちは頷く。
誰一人として反対する者はいない。
それがレオンの旅であり、自分たちの旅でもあると知っているからだ。
暖かな王都の風が再び吹き抜ける。
だが、その風の向こうには白銀の世界が待っている。
新たな仲間。
新たな神獣。
そして、まだ誰も知らない世界の真実が――。
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