第49話 月の見た誓い
「それでも、俺たちを殺すのか」
ヴァンのそんな言葉からひと呼吸おいて、首に突きつけられた刃の力が少し緩んだ。
「ッフ」
「……?」
「フフ、はっはっはっは」
ディアナは豪快に笑いながら刃を下げ、数歩下がった。
ヴァンは咄嗟に振り向いて杖を構えた。だが、ディアナから殺気は消えていた。笑い終わると、彼女はふうと息をついてヴァンを見据えた。
「クソガキ。最初からお前らを殺す気なんてないよ。それはおれが最も忌み嫌う『理不尽な死』だ。……お役人と同類になる気はない」
それに、とディアナは自分の髪をくるくる弄びながら続けた。
「あのままお前に手をかけようとしていれば、その前に――そこの騎士サマが刺し違えてでもおれを殺しただろう」
ヴァンは反射的にレオを見た。レオは膝をついた姿勢ではあったが、呆然としていたわけではなかった。
その目はまるでグレイのように冷徹な光を宿し、懐に手を入れていた。
ディアナは眉を吊り上げて、レオに言った。
「懐に入っているものはなんだ?毒か?それともナイフかな」
レオは反応しなかった。眉一つ動かさず、ただ女頭領を静かに見つめていた。
「まあ、なんでもいいが。いたいけなクソガキ共よ。おれの言葉はお前らに届かなかったようだし――これはお互い、時間の無駄だな」
女頭領は呆れ顔で剣を鞘に収めた。レオも懐から手を抜き、傍にあった愛刀をゆっくりと鞘に収めながら立ち上がった。
――なんか言えよ!
見たことの無い友人の雰囲気に、ヴァンは困惑していた。しかしともかく、戦わないのであれば目的を達成して帰りたい。
「ディアナ――さん。薬草箱を返してほしい」
「あん?……いやだね。こちらになんの利がある?高く売れるのに」
ぐ、とヴァンは言葉に詰まった。確かに、これでは取引にならない。
「……を潰す」
レオがボソッと、何か呟いた。ヴァンもディアナもレオを見た。
「シャイロックを、潰してやるよ。それでいいだろ」
レオが吐き捨てるように言った。こんな侮蔑的な――冷たい話し方をするレオを、ヴァンは見たことがなかった。
俯いているその目には前髪がかかって、表情も見えない。
「レ――」
「ほう!それはいい」
声をかけようとしたヴァンを遮って、女頭領は大口を開けて笑った。
「まあ元々、薬草を盗んだのは気まぐれだ。シャイロックの化粧箱ってだけで高く売れるからな。返してやるよ――そこの騎士様の、勇気ある提案に免じて」
投げてよこされた薬草箱を、ヴァンは慌てて受け取った。
「にしても、取り返しにまで来るとは思わなかったなァ――中々骨のあるガキだね」
先程までの迫力はどこへやら、酒を煽りだすディアナ。突然の終戦にヴァンは戸惑いっぱなしだった。
レオはヴァンが受け取った薬草箱を一瞥すると、階段へと踵を返した。
「行くぞ、ヴァン」
「えっ……おい、待てよ」
ヴァンを待たず、レオはつかつかと歩き出してしまう。制止も無視だ、様子がおかしい。
「――ええ――その――えと――」
まだ聞きたいことが山ほどあったヴァンは、レオとディアナを交互に見て狼狽えた。
「黒いの、お前、ネロとどういう関係だ?」
ヴァンは迷った末、振り返ってディアナの質問に答えた。
「情報と交換で、薬草の知識を教えてるだけだよ」
「……取引相手ってわけか?」
「ああ、そうだ」
ディアナはその答えに目を丸くしていた。意外だったらしい。満足したように「そうか」と呟き、また酒を煽った。
ヴァンはその様子を見て、思い切って言った。
「答えたんだから、お前もひとつ教えてくれよ」
「なんだクソガキ」
「お前は、ネロとどういう関係なんだ?」
ディアナは眉を寄せ、酒を飲んでから答えた。
「おれとネロも取引相手さ。ネロは何年か前からゴミ捨て場のボスをやってるが――あれほど賢くて頑丈なやつはそういない」
賢くて、頑丈。
その言葉が引っかかって、ヴァンは語気を強めた。
「頑丈ってなんだ?危ないことさせてるんじゃないだろうな」
ヴァンの怒りに反し、ディアナは目を細めた。その表情にヴァンはたじろいだ。
――まるで、母が子に向ける微笑みだ。
「それはない。あれは小さい頃から、おれたちの目や耳になってくれているのさ。報酬だってきちんと与えてる」
"あの子らに一時の感情で施しを与えたりしていたなら、許さない。ネロたちは自分の力で生きていくためにこれまで――"
ネロたちのために声を荒げた姿を思い出して、ヴァンは納得した。
彼女は邪悪な盗賊ではない――乱暴なやり方であっても、手の届く範囲のものを守ろうとしているのだ。
「わかった」
ヴァンは薬草の箱を握りしめて踵を返し、この凶暴な兎の巣から脱出しようとした。
その背中を、不意にディアナは呼び止めた。
「おい黒いの」
「もう、なんだよ!」
ヴァンは地団駄を踏んでもう一度振り返った。早くレオの様子を見に行きたいのに――
「お前、姓はアドベントだったな」
「......?」
酒で赤ら顔の美女は、不敵な笑みを浮かべた。
「あいつも、そんな姓だったかねェ」
「なんの話だよ」
「いやァ」
ディアナは酒を飲み干してから続けた。
「お前にそっくりな男に、隣国で会ったことがあるぞ」
「は!?」
◇◆◆
地上に戻ったレオは、『BARうさぎ』の看板の横に座って星を眺めていた。
知ってた――騎士団の中に、権力を濫用してるバカがいることは。天下りの役人の所業も――何もかも、知ってた。
今更驚くようなことじゃない。
闇というのは、どの国にもあるものだ。
それに――
"お前を育て、庇護している恩を忘れるなよ"
騎士団には大恩がある。いや、命を握られていると言ってもいい。身分が明るみに出れば、俺は高確率で王家に消されるのだ。
だから、騎士団がどんなに汚くったって、今更本気で怒ることはない。でも――
"少なくとも俺たちは――俺とこいつは、誰のことも、理不尽に殺したりなんかしてない"
レオは、その言葉を何度も反芻しては、絶望を繰り返していた。
なあ、ヴァン――俺は――
「おい、レオ!」
怒ったような声に、レオはハッとしてそちらを見た。薬草箱を持って、ふくれっ面で走ってくるヴァンがいた。
「なんで置いていくんだよ! あんな危ない女と二人にすんな」
怒りながら、ヴァンはレオの隣に座った。レオは拍子抜けしたような顔でヴァンを見ていた。
「そんなに騎士団の話がショックだったのか?」
真面目な顔でそう尋ねてきた親友の、純粋な問いかけが苦しい。
――全然ショックじゃねえよ。知ってたし。
そう言ってしまいたいが、幻滅されるんじゃないかという不安で、喉が詰まる。
なんだよ。こんなナヨナヨじゃ、女みたいだ。
「あんまり気にすんなよ。お前の恩人はそんなことしないだろ?お前が信じたい人だけを信じればいいし――いや、グレイならやりかねないか」
何考えてるかさっぱりわかんないもんな!とヴァンは笑う。
気を遣われている――情けない。
そう思ったが、つられて笑っている自分に気づいた。
「でも、お前は違うだろ?」
「ああ、俺は――」
言いかけて、レオは言葉を飲み込んだ。
二度と。
もう二度と。
「そんなことしないよ」
そう言って、パン!と自分の頬を叩き、立ち上がった。
「エリィに嫌われちゃうからな。早く帰って作ろうぜ、魔法薬」
そう言ってヴァンに手を差し出した、レオの表情に迷いはない。
――なんだからしくないと思ったけど、大丈夫みたいだ。
ヴァンはほっとしてその手を取り、二人は魔法学校へと歩き出した。
星の綺麗な夜だった。
美しい月が、屋根の上から二人を見守っていた。




