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竜の番 -リュウノツガイ-  作者: 月乃詩
第五章 路地裏の盗賊編
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第47話 誰が為の月


 自分の記憶能力が憎い。

 なぜこんなにも克明に、フルネームも知らない女の下乳を覚えているのだろうか。


「……お前、騎士団で模擬戦相手だったディアナだな」

「なんだ、本当に下乳で思い出したのか。とんだ変態だなァ!」


 ディアナは豪快に笑った。


 そう、この女は――グレイからの「餞」として開催された、あの模擬戦で2回目に戦った女だった。薄布から覗く柔肌のせいで苦戦したっけ。


 ”男って、ほんとバカ”

 ”気安く触らないで”

 ”うるさい童貞”


 痛烈な言葉の数々が記憶に新しい。しかし、当時彼女はあくまで強気な女といった振る舞いで、今目の前にいる豪快な女とはまるで別人のように思えた。


「随分印象が違うじゃんか」


 ヴァンが噛みつくようにそう言うと、ディアナは眉を吊り上げた。


「当たり前だろう!清廉潔白を是としている騎士団で、豪快に笑ったりするもんか。あのお高く止まった集団は、気品のない人間を採用しない」

「なら、外面を偽ってまで騎士団に所属したくせに、なんでこんなとこにいるんだよ」


 その質問には答えず、ディアナは組み伏せていたレオの上から退いて倒れている大柄な盗賊の背中にどかっと座った。盗賊は大きないびきをあげたが、目は覚まさなかった。女は部下を気に掛ける様子もなく、葉巻を取り出して火をつけている。


「レオ!起きろ、レオ!」


 この隙にと解放されたレオに呼びかけるが、反応はない。

 完全に意識を落とされている――あのレオが?

 たかが不意打ち一発で?


 ヴァンはなんとか身をよじろうとしたが、依然として手足を動かすことはできなかった。レックスも応えない。存在は感じるのに、声が聞こえない――まるで、相棒の魂ごと縛られているようだった。


「まあ、せっかく二人っきりじゃァないか。野暮なことはするな」


 ヴァンはディアナを名乗る女を睨んだが、その顔があまりに近くにあったので面食らった。女は戸惑うヴァンの顎を二本の指でくいと持ち上げ、品定めでもするような目でじっくりと眺めた。

 葉巻の重たい匂いに、ヴァンは思わず咳き込みそうになった。無様を晒すまいと息を止めるが、苦しくなる前にディアナは離れた。


「……ふん。おれがなんでここにいるかだったか?」


 部下の背中に座り直した女は、ふてぶてしく葉巻の煙をくゆらせながら言葉を続けた。


「そもそもおれは、盗賊団『月の衆』の頭だ。自分の巣にいるのは当然だろう?騎士団には調べたいことがあったから、一時的に潜入していただけだ。……鼠が生意気に質問なんかしやがって」


 自分で質問に答えたくせに、それに対して腹が立ったらしい。ディアナは忌々しそうにヴァンを睨み、脚を組み直した。

 粗雑な作りのスカートから覗く長くスラリとした脚には、いくつもの小さな生傷や痣が見える。ヴァンは騎士団での過酷な訓練を思い出して、苦々しい気持ちになった。


「この哀れな役立たず共の生活を、少しでもマシにするために――おれも必死なんだよ、ヴァン・アドベント」


 ディアナは仏頂面で自らが腰かけている部下の背中をパンパンと叩いた。


「お前やそこの坊ちゃんみたいに、世間知らずのバカなガキを躾けてる暇はないんだ」


 葉巻の煙を吹きかけられて、ヴァンは顔をそむけた。


「俺たちはただ、盗まれた薬草を取り返しに来ただけだ」

「薬草――ああ」


 ディアナは薬草と聞いて、部屋の奥に視線を向けた。つられてヴァンがそちらを見やると、そこには壺や絵画、宝石や武器などが雑多に並べられていた。どうやら盗品置き場らしい。そしてその中にある骨董品らしきドレッサーの上に、見覚えのある化粧箱が置かれていた。


「あった――返せよ、クソ女!俺たちがどんな思いであの薬草を――」


 そこでディアナはヴァンの顔を勢いよく蹴り飛ばした。


「うっ……」


 容赦のない蹴りだった。ヴァンの身体は硬い地面に叩きつけられ、土埃が舞う。手足が動かせないヴァンは無様にも芋虫のようにその場でもがくことしかできなかった。


「ガキ。お前がバカな犬のように尻尾を振っていたあの薬屋の店主――シャイロックは、大量殺人者だ」


 カツカツとブーツを鳴らしてディアナはヴァンに近付いた。


「あんなに――あんなに、性根の腐った商人は見たことがない。あの男は流行り病の薬の商権を独占し、貧しい者には金があろうと決して売らなかった」

「ぐっ」


 髪を掴んで持ち上げられ、ヴァンは呻いた。ディアナはそのままヴァンを引き摺り、部屋の一角に設けられた酒棚のような場所に投げ捨てた。


 不自由な身体でなんとか見上げたディアナは、唇を噛み眉を寄せ、拳を握りこんで震えていた。怒りで肩さえも上下しているようだ。


「その祭壇を見ろ。お前らが『ゴミ捨て場』と呼ぶ路地で死んだ、『ゴミ』たちのためのもんだ」


 ヴァンはいつの間にか身体が自由になっていることに気づいた。それに、レックスも解放されたようだ。すぐにでも顕現しようとした相棒を宥めて、ヴァンはその祭壇を見るためにふらふらと立ち上がった。


 酒棚のように見えた祭壇には、奇妙な雑貨が一緒に置かれていた。割れかけのコップや、破れたぬいぐるみ。ボロボロの写真立てや、錆びた首飾り――そしてそれらと一緒に、丁寧にまとめられた遺髪らしきものが供えられていた。酒棚に見えたのは、未開封の上等な酒が多数そこに置かれていたからだ。


「ガキがガキのまま死んだときは、知ることができなかった上等な酒の味を教える。それがおれたちの決まりだ」


 ディアナは葉巻を壁に押し付けて消し、祭壇横の壁の傷を指差した。四本の縦線の上に、一本の横線。数を数えるときに刻むものだ。それがひとつ、ふたつと並んでいる。


「それが、シャイロックが殺した貧民街の人間の数だ。おれには何もできなかった――今は別の手段で薬を手に入れたが、ほとんど間に合わなかった」


 ディアナは壁の傷を撫でた。その傷の束は四つ――いや、それ以上あった。二十人以上が犠牲になったのだ。


「おれの知らないところじゃ、もっと何倍もの人間が死んだだろうなァ。貴族に死者はほとんど出なかったのに」

「それじゃ……シャイロックの指示で俺たちから薬草を奪ったんじゃないのか」

「そんなことをするくらいなら、自分の糞でも食って死んでやる」


 ディアナは鼻で笑った。その目に宿った鋭い怒りと悲しみに、ヴァンは言葉が見つけられなかった。


「お前らのことは、少し前から尾行していた。シャイロックに媚びを売るエリートのクソガキが、おれのお気に入りに気安くしていたもんで気になってね」

「お気に入り?」

「ゴミ捨て場で子供と歩いていただろう」

「ああ――ネロたちのことか」


 ヴァンが名前を口にすると、一瞬ディアナは驚いたように眉をぴくりと動かした。名前を知っていたことに驚いたのかもしれない。しかし敵意のこもった視線に変わりはなく、忌々しそうにヴァンを睨んだ。


「あの子らに一時の感情で施しを与えたりしていたなら、許さない。ネロたちは自分の力で生きていくためにこれまで――」


 ディアナはそこで言葉を切り、舌打ちした。


「これ以上話しても無駄だ。お前たちのようにぬるま湯で育ったクソガキに、あの子らの気持ちも、シャイロックの犠牲になったやつらの気持ちもわからない」


 彼女はそう言い捨て、太腿にくくられていた大ぶりのナイフを取り出した。見たことのない形状のナイフだった――刀身が途中で折れ曲がっており、三日月のような形をしている。


「――こう家族がやられては、ただで帰すわけにもいかん。覚悟をしてもらおうか」


 ナイフの切っ先が、ヴァンの鼻先に向けられた。


 ――俺たちは『月の衆』の何かを勘違いしていたんじゃないだろうか。


 いや、勘違いどころか何も知らない。俺たちは彼女たちのことを何一つ知らないまま、やられたことをやり返しに来てしまった。


『なぜ盗まれたのか』なんて考えもしなかった。

 金のために、価値を奪うために『泥棒』されたとしか思えなかった。


「ディアナ――話がしたい」


 ヴァンは縋るように言った。知りたかった。なぜ盗んだのか。気に食わない俺たちを、殺すでも暴行するでもなく、薬草を奪うに留めた理由を。


「問答無用!」


 彼女の紫の長髪が躍る。湾曲したナイフの切っ先が鼻先を掠めた。ヴァンは身を翻してそれを避け、第二の刃を杖で受け止めた。


 押し合いの中、紅い瞳が冷たくヴァンを見据える。その目には冷たい敵意だけが宿っていた。


「一方的に――喋りやがって」


 ヴァンはぎりぎりと腕力で女を押し返そうとしながら、ディアナを睨み返した。


「話し合い、したくなるようにしてやるよ!」


 押し返したヴァンと、宙返りで着地したディアナの後ろで、レオの指がぴくりと動いた。

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