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竜の番 -リュウノツガイ-  作者: 月乃詩
第四章 課外授業編
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第38話 金色の帰り道

 

「――ってわけ。よし、今日はおしまい!」


 ヴァンがそう言って手を叩くと、ネロは糸が切れたように切り株に座りこんだ。


「薬草、種類が多すぎる。むずかしい」

「当たり前だ。この辺りの植生だってまだ全部研究されきってないんだぞ」


 ネロはもう脳を使いたくないらしく、猫のように唸ってすっくと立ち上がった。


「今日は帰る」

「ああ、そうだな」


 ヴァンの返事を待たずにそそくさと林道を下りだすネロの足取りに、疲労はまったく見られない。険しい山道を進もうが、竜に空の旅へ連れていかれようが、彼女にとってはなんでもないことのようだ。


「俺だって毎日鍛えてるのになあ…」


 ヴァンはじんわりと重くなった両脚を恨めしく睨んだ。


 いや、ネロは獣人だからだ。

 たぶん。

 そういうことにしておこう。


 ふと空を見上げると、既に空は淡く色づいてきていた。


 一方ネロは、美しい光景になど目もくれず、金色の木漏れ日を背に受け駆けていく。その背中をヴァンも小走りで追いかけた。山歩きに慣れていてよかった――置いていかれるところだった。虫たちの声が耳に心地よく、二人は踊るように山を下りていった。


 ネロの背中を見ていると、ヴァンはなんだか複雑な気持ちになった。街を出て、森で駆け回る姿はどこにでもいる普通の少女だ。

 それでも彼女は帰るしかない。男のフリまでして――あの、ゴミ捨て場に。


 街へ着いた頃、さらに日は傾いて、空は一面金色になっていた。ヴァンは努めて明るくネロに声をかけた。


「なあネロ、知ってるか?今日みたいな空のこと、「金龍の腹」っていうんだぞ。太古の昔に、空を埋め尽くすほどの巨体を持つ龍がいて――」


 しかし彼女はぶつぶつと何かを呟きながら歩いており、まったく聞いていないようだ。


「オオヨタケ、噤草、赤い花は毒草で…えーと」


 どうやら、今日教えた薬草の名前を復唱しているらしい。


「一日で全部覚えきれるわけないんだから、あんまり気負うなよ。今日はとりあえず、解熱効果のある――」

「山青草!」


 噛み付くように口を挟んだネロは、真剣にヴァンを見つめていた。その緊張の面持ちから察するに、正解の自信はないようだ。

 問題のつもりはなかったんだけどな、と苦笑しながらヴァンは答えた。


「そう、山青草。それと、殺菌作用のある粘液を持つキノコ――」

「オオカミタケ!」

「ばっちりだな。そう、その二つだけ覚えればいいよ。いろんな場面で使えるから」


 ネロは本当に覚えが早い。それに、嗅覚や触覚はヴァンよりもずっと優れている。森で間違えやすい毒草との違いを説明しようとしたときも、「そもそも匂いが全然違うじゃん」と突っ込まれてしまったくらいだ。


「じゃあ、今日教えた薬草については、明日復習のために図鑑を持ってきてやるから」

「わかった」


 ヴァンは軽く手を振って、ゴミ捨て場の仲間たちの元へ走っていく少女の背中を見送った。


 ロウェンの家に向かう道すがら、ヴァンはぼんやりと一日を振り返った。


 随分長く感じる一日だった――


 何度も苦しい現実に打ちのめされて、ヴァンの心はどこか落ち着かず、ざわついていた。


 レックスが空の旅に連れ出した後から、ネロは少し、打ち解けてくれていたように思う。


 笑顔を見せてくれるほどではないが、少なくとも針のように尖った眼差しで射抜かれることはなくなった。

 ただ、こちらを値踏みするような、警戒心をはらんだ野良猫のような雰囲気はそのままだ。心から信用されたというわけではないということだろう。


『野良猫などと呼ぶとまた襲われるぞ』


 寂しさを覚える間もなく、考え事に割り込んでレックスがからかってきた。


「でも子供の豹って、ほぼ猫じゃんか」


 心に残ったわだかまりを振り払うように、ヴァンは相棒と軽口を叩き合いながら歩いた。


 そのうち、肉を煮込む時の芳醇な香りが鼻腔を包んだ。


「ロウェンさんの家からだ」


 夕食を作っているなら、邪魔になってしまうだろうか?そんな考えが頭を過ぎったが、レックスが鼻を鳴らすような気配がした。


『報酬だけ受け取ってすぐに戻ればいい。どの道寮の門限があるだろう』

「まあ、そうだな」


 ヴァンは頷いて、ロウェンの家のドアを遠慮がちにノックした。すぐに家の中から誰かが近づいてくる足音がして、扉が開いた。


「遅くなりました!ご依頼の報告…に…」

「…いらっしゃい」


 ロウェンに挨拶したつもりのヴァンは、妖艶な女性を前に言葉を失って硬直してしまった。大きな三角帽子に、肩のはだけた独特のローブ。丸眼鏡の向こうに覗く二つの涙ぼくろが印象的な女性だ。


 ――ロウェンの恋人?いや、それにしては若すぎる。しかし娘というにはあまりにも、顔立ちに類似点がない。共通点といえば、色気があることくらいだ。


「えっと…」


 目の前でこぼれそうになっている乳房に戸惑って、ヴァンはしどろもどろになっていた。肩をあんなに露出している女性を見たのは初めてだった。かといって下を向くと大胆なスリットから太腿が露わになっており、本当に目のやり場がない。


「そんなに緊張しないで。はいって」


 ゆっくりとした話し方や独特の間は、健全な思春期の青年の緊張をさらに煽った。


 ヴァンはさっきまでの悩みなどすっかり頭から吹き飛んで、歩くときはどちらの足から出すんだっけと必死に考えていた。


 それだけに、リビングで出迎えてくれたロウェンの柔和な笑顔に対する安心感はひとしおだった。やっとまともに呼吸ができる気がした。


「やあ、ヴァン・アドベントくん。ワッカは無事に帰って来たよ、どうもありがとう。まさか一日で見つけてしまうとはね」

「あ……その、夕食の準備中にすみません。ご報告だけでもと」


 老紳士は気にするなと言わんばかりにヴァンの肩を叩いた。


「そんな、水臭いことを言わずに。夕食を一緒にどうだい?」

「せっかくですが……寮には門限があって」

「知っているとも。しかし、抜け道もある」


 悪戯っぽくそう言ったロウェンは、リビングの暖炉に何事かを囁いた。

 すると小さな火の玉のようなものが素早く暖炉から飛び出して、一目散に窓の外へと走っていった。


「君の学校の寮監は顔見知りでね。今、火鼠に伝言を頼んだから今日は遅くなっても叱られないよ」


 エルドリア魔法学校は由緒正しい学校だ。古い校則が多く、規律は厳しい。厳格な教師たちの中でも寮監は生徒たちを徹底的に管理したがるきらいがあり、いかなる事情でもめったに例外を認めないことで有名だ。


 ――その寮監に、番の使いひとつで例外を認めさせるなんて……


『何か弱みでも握っているんじゃないか』


 ヴァンの心内の疑念をレックスが指摘した。大いにあり得ることだ。彼は前職を『国の犬』と言った――言葉選びから察するに、公にはしにくい国家直属の職業。暗部であった可能性は十分にある。


 しかし、目の前でシチューの味見をしようとして唇を火傷しているこのお茶目な老紳士からは、かけらも敵意が感じられない。危ない人ではないはずだ、とヴァンは判断していた。


「君のドラゴンには、干し肉があるよ」

『なんと!』

「おい、レックス」


 相棒が一瞬で手懐けられてしまった。やはり警戒すべきだろうか。


「あら…今日は彼も一緒に食べるんですか?足りるかしら」


 先ほどの妖艶な女性が、心配そうにロウェンの隣で鍋を覗き込んでいる。どきっとするような距離の近さだが、ロウェンは特に意識していないようだ。


「心配ない。君はいつも作り過ぎるからね――いけない、ヴァンくんは初めて会うんだったか」


 ロウェンは、またもや硬直しているヴァンのもとへ女性を連れてきて紹介してくれた。


「彼女の名前は、ヨーデル・ヴァルミラ。私の生涯で最も優秀な弟子だ」

「…よろしくね」

「よ、よ、よろしく…お願いします」


 たどたどしく握手をしたヴァンの手は汗でびっしょりだったはずだが、ヨーデルは微笑みかけてくれていた。


『発情期か?』


 ヴァンは黙ってデリカシーのない相棒の頭を小突いた。

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