7、
地獄のようなお茶会会場から、そっと抜け出す。
誰にも気づかれず庭園へ出ると、目に入ったのは白亜の大理石で造られたガゼボだった。
王城の庭園は隅々まで手入れが行き届き、そこも例に漏れず完璧だった。
ほどよく開けた立地に、天蓋付きの屋根、蔦の絡まる柱。
一人になるリスクはあったが、さきほどの空気からして追ってくる者もいないと判断し、俺はそっとその屋根の下に身を隠した。
「……つっかれた……」
深く息をついて、ベンチに腰を落とす。
全体が大理石のため、背もたれの感触は硬いが、あのテーブルを囲むよりはずっとマシだ。
──あの人選、どういう悪趣味なんだよ……。
レジナルド、ノエル、そして“攻略対象者”が勢ぞろいしているあの席。
ゲーム上でもイベント扱いされていたお茶会だが、リアムは本来、あの輪には加わらない。
嫉妬に駆られたリアムが、茶会の最中にノエルを呼び出し、嫌がらせをする──それが正規ルートの筋書きだ。
けれど、今の俺はゲームの“リアム”じゃない。
運命を回避しようとあがいて、ノエルとも平穏な関係を築いているし、家族との絆も築けている。
その影響か、確かにイベントに引き寄せられてはいるものの……どうにも立ち位置が読めない。
こんなとき、転生モノによくある“もふもふなマスコットキャラ”でもいればなぁ……。
案内役とかお助け精霊とか。癒しと情報をくれる存在、切実に欲しい。
──※──
「……いないと思ったら、こんな場所にいたのか」
どこか近くで、声がした。
次の瞬間、ふんわりと温かいものが俺を包み込む。
鼻腔をくすぐったのは、かすかな柑橘系の香り。柔らかい布の感触と、腕のぬくもり。
(……え?)
少しずつ、ぼんやりしていた意識が現実に引き戻されていく。
まぶたを上げると、目の前には──俺の顔を覗き込むレジナルドがいた。
「目が覚めたか? 無防備にもほどがあるぞ、リアム・デリカート」
そう言いながら、彼の顔がふっと近づいてきて──
口もとに、柔らかなものが触れた。
…………………………。
…………………………。
……………………ぎゃ。
ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!
完全に目が覚めた。ていうか、覚めろ俺!もっと早く反応しろ!
まさかのファーストキスが、男で、しかもこの状況って……どういう冗談なんだよ!?!
実際の俺の口から漏れたのは、「あ……」という情けない声だけ。
なのにレジナルドは、楽しげに目を細めた。
「もう一度した方がいいかな? 眠り姫」
──誰がだよ!!!!
動こうとした俺は、顔を背ける。が、その動きが間違いだった。
背けた先にはレジナルドの胸板があり、結果、俺の顔は彼の胸に埋もれるかたちに。
しかもこの体勢……横抱き、ってやつじゃねぇか?!なんで俺が姫ポジションなんだよ!
「で、殿下……はな……ひっ……」
焦りで言葉が上ずるなか、レジナルドが俺の耳元にそっと息を吹きかけた。
ぞわり、と身体の奥を撫でるような感覚が走り抜ける。
「ひゃ……!」
引きつった声が喉奥から漏れた。なのに、レジナルドは愉しげに口角を上げる。
「随分と敏感じゃないか、リアム……」
その言葉とともに、耳のすぐそばに唇を落とされた。
ちゅっ、ちゅっ、とリップ音が鼓膜を震わせるたび、体温がじわじわと上がっていく。
息が浅くなり、心臓がばくばくと早鐘を打ち始める。
「や……やめ、て……」
精一杯の抵抗だった。情けないことに、それ以上は言えなかった。
するとレジナルドは、耳元で囁く。
「こちらを向いたら、やめてあげよう」
なにそれ!? どこの乙女ゲームだよ!俺はノエルじゃねぇし、攻略されるつもりもねぇ!!
……とは思ったが、これ以上続けられるのも厄介すぎる。
意を決して、俺は顔を上げた。
視線が絡んだレジナルドは、どこか楽しげで──それでいて妙に優しい顔をしていた。
「なるほど……。侯爵家が隠したがるわけだな」
は? 何言ってんのこいつ?!
俺はもう逃げることしか考えていなかった。視線を逸らし、体を捩る。
「殿下、離してくださ──」
言いかけた言葉は、そこで止まった。
レジナルドが再び唇を重ねてきたからだ。今度は、真正面から。
…………………………。
……………………ぎゃあああああああああああああああああああ!!!
俺の──尊いファーストキスが!! ていうか、2回目なんですけど!連続で奪われたんですけど!!
しかも、去り際に舌で唇をなぞるって何!?!? それ、ほんとに18禁ゲームの所作なんだけど!!!
もう完全にパニックで、身体は硬直したまま動けなかった。
涙が、勝手に目の奥から溢れてきた。
「……え?」
レジナルドが困惑した声を漏らす。
零れ落ちた涙は止まらず、ぽろぽろと頬を伝っていった。
「い、いや……泣かせるつもりはなかったんだが……」
慌てたように、レジナルドが俺の頬に手を伸ばしてくる。
その指先が涙を拭っても、溢れるそれは止まらなかった。
(ストレスで涙って出るって言うけど……間違いねぇわ)
「……はな、はなしてくださ……い」
ようやく紡げた言葉は、震えていたけれど、それだけでレジナルドはようやく応じてくれた。
「……すまない」
低く呟くと、レジナルドは俺をそっと地面に下ろし、自分の隣に座らせた。
(これ……不敬罪になるんだろうか。いや、どうだ?なんなんだ?)
混乱したまま、俺はしばらく涙が止まらなかった。
レジナルドは何も言わず、ただ隣でじっと俺の様子を見守っていた。
貴族令息の多くは、王太子に気に入られることを光栄に思うかもしれない。
だが、俺は違う。
こいつの“結末”を、俺は知っている。いくら今が優しくても、何かが変われば──その牙は向けられる。
怯えて生きるくらいなら、いっそ……。
「リアム、本当にすまない」
レジナルドの低い謝罪が響いたその瞬間──
「レジナルド先輩っ……って、あれ!? リアきゅん!?!?」
勢いよく割って入ってきたのは、どこか聞き慣れた明るい声だった。
ノエルだ。
そのリアきゅんってたまに出るよな、おまえ。ちょっと迂闊だろうよ……なんとなく可笑しくて、俺は泣きながらも笑った。
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