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38、

ノエルの言葉に背中を押され、俺は意を決して部屋を出た。

話さなければならない。

このまま曖昧にしておくわけにはいかない。


「……兄様、リアムです」


部屋の前でノックをする。

けれど、中からの返答はない。


不安が胸に広がり、扉をそっと押し開けて中を覗く。

整えられた寝具、静まり返った空間、机の上に積まれた数冊の本。

けれど、その中にキースの姿はない。


「……どこに行ったんだろう?」


書斎か、それとも庭か。

そう思って屋敷中を探し回るが、どこにも見当たらない。

執務室も使用されておらず、温室も静まり返っていた。


ちょうどそのとき、廊下の角でアンと鉢合わせた。


「リアム様? どうなさったのですか?」

「兄様を知らない? ちょっと用があって」

「キース様ですか? キース様なら……先ほどお出かけになりましたよ」

「……出かけた?」


意外だった。

キースはいつも俺がどこへ行くにも付き添いたがるし、自分が出かけるときも必ず一言、報せてくれる。


今日に限って、それがないなんて――


「……どこに行ったか聞いてる?」

「いいえ、特には。ただ『急ぎの用事だ』とだけ仰っておりました」


急ぎの用事。

その響きに、心臓が少し跳ねた。

用事があるとしてもこんなことは初めてだ。

俺に何の言伝てもなく、なんて。


「リアム様?」


アンに呼ばれて我に返る。


「あ……うん。それならいいんだ。ありがとう」


俺がそう答えると、アンはほっとしたように微笑んで、足音も静かにその場を後にした。



自室に戻ると、ソファの上でノエルがだらしなく寝転がっていた。


「あれ? お兄? 早かったね?」


部屋には彼だけで、ナイジェルの姿は見当たらない。

俺はその向かいに腰を下ろし、静かに告げた。


「キースが、いなかった」


ノエルは驚きもせず、「へぇ」と軽く相槌を打つ。


「ま、一人で出かけたいこともあるんじゃないの?」

「……そう、だな……」


たしかに、キースにも彼自身の時間がある。

けれど、それでもなお、胸の中には釈然としないものが残る。


俺のことで、何かが起きてるんじゃないか──

誘拐事件、レジナルドとのやりとり、ディマスの存在……

頭の中に浮かぶ断片が絡まり合い、やがて不安という名の塊になってのしかかってくる。


「あー、またお兄が長考モードに入ってる」


すみませんね、考え過ぎる性格で!

心の中でノエルに毒づいたが、それを外に出す余裕もなく。

目の前のノエルは、お菓子をぽいぽいと口に運び続けていた。


そのとき、ノック音が響く。


「リアム様、失礼いたします」


扉の向こうに立っていたのは、再び姿を現したナイジェルだった。


「どうしたの?」

「実は……キース様が少し前、隣国のディマス殿下に会いに行かれました」

「ディマスに……?」


その名が口にされた瞬間、背筋がすうっと冷える。


あの男は、俺を攫い、害そうとした張本人だ。

キースがそんな相手に単身会いに行くなんて、ただ事ではない。


「……何のために?」

「詳細は不明ですが、近頃ディマス殿下が不穏な動きを見せているとの噂がございます。密貿易や、他国との非公式な取引に関与しているとも……。キース様が、それを牽制しに行かれたのかもしれません」


ナイジェルはそこで口を噤んだ。


もし、密貿易の問題が事実ならば、本来それに動くべきは父であって、兄ではないはずだ。

それでも彼は、自ら進んで単独で動いた。


……ならば、理由は一つしかない。


──俺だ。


思い出すのは、あのときのディマスの目だ。

冷たい笑みを浮かべ、俺を弄ぶように見下ろしていた、あの視線。

あれが嘘であるはずがない。あれは本物の、狂気だ。


それに、密貿易の件にしても、関与しているのがディマス本人とは限らない。

側近の暴走という可能性もある。


でも……それでも、キースが行ったのなら、それは俺のためだ。

そうとしか思えない。


「ナイジェル。馬を準備して。僕も行く」

「しかし、リアム様! キース様は、リアム様には安全な場所にいていただきたいと……!」


はあ……。そんな指示、いつの間に出したんだ、あの人は……。


「そんなの関係ない。僕が原因で何かが起きているなら、僕が止めるしかないだろ!」


言葉に強い意志を込めると、ナイジェルはしばし沈黙し、やがて小さく頷いた。


「私もついていくよ!」


ノエルが勢いよく身を乗り出す。


「……いや、お前はここにいて」


俺は首を横に振り、彼女の申し出を制した。


「二時間……、いや、三時間待っても僕からの連絡がなかったら……レジナルドに伝えてほしい」


この世界には携帯も連絡端末もない。

だが、魔術を使えば伝令を飛ばすことは可能だ。

俺には幸い、そのための魔力もある。


ノエルは不満げに唇を尖らせたが、それ以上は何も言わず、こくりと頷いた。


数十分後。

鞍の上に飛び乗り、馬の手綱を取る。


「キース……一体、何を考えてるんだ?」


頬を冷たい風が撫でる。

耳に響くのは、馬の蹄が地を打つ重たい音だけ。


胸の奥に残るざわめきが、静寂の中で鋭く脈打っていた。


読んでいただいてありがとうございます!

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