29、
俺の指先に、ちゅ、とレジナルドは唇を落とした。
騎士的な礼儀の範疇、と言えなくもないけれど──ううん、やっぱり、ない。
「……レジナルド先輩は、別に僕のこと、お好きじゃないですよね?」
俺の問いに、彼は少しだけ目を細めて、そして、くすりと笑った。
「面白いね、君は。そういうところ、好ましく思っているけれど?」
好ましく、ね。
便利な言葉だよ、まったく。
俺はそっと手を引き、自分の膝に戻しながら息をついた。
「それは光栄です……でも、こういう形で結婚とか、そういうのは無いと思うので。僕は」
仮に本気だったとしても──いや、なしよりのなしだ。
冗談なら尚のこと、乗る気にもなれない。
「ふふ、振られてしまったか。一国の後継者としては、なかなか貴重な経験だな」
レジナルドはそう言って、俺の隣へ腰を下ろす。
その笑みは穏やかで、からかうでもなく、怒ってもいない。
「本気じゃない求婚に、真顔で返す方がどうかしてますよ……」
俺がぼそりと呟けば、レジナルドは肩を揺らして笑った。
「ディマスも、君くらい冷静に周囲を見られればいいのだけれど……あれでも、本質的には悪い子じゃないんだよ」
言葉の端に、ほんの少し疲れが滲む。
……まあ、俺相手にあの調子だ。
本人に対しては、もっとすごいのかもしれない。
「まあ……僕のことは、気になさらなくて大丈夫です。いざとなれば、どうにかしますし」
もちろん、実際のところ案なんてない。
精々、ディマスを避けて逃げ回るくらいだ。下手したら退学コースも視野に入りそうだけど……!
そんな風に、妙な会話を交わしてその日は終わった。
その日はそれ以降、レジナルドが俺に対して余計なちょっかいをかけることはなかった。……いつもこうなら助かるんだけどなぁ。
──で。
七日間の療養(という名の軟禁)を終えて、学園へ復帰した俺を待っていたのは。
「リアム様! レジナルド様のご求婚、真実だったのですか!?」
「もうお妃教育は始まってるんですか?」
「婚約発表はいつ頃に……?」
こんな質問攻めである。
どうやら、あの日の翌朝──
レジナルドが非公式ながらデリカート家を訪ねてきたことが、あっという間に広まり、噂はとんでもない方向に進化していた。
曰く、俺はすでに王太子と将来を約束しているのだが、
ディマス王子という“立場ある者”を差し置くわけにはいかず、
身を引くために涙ながらに辞退を申し出た──という、美談に。
……誰がそんな脚本書いたんだよ。
ノエルやセオドアも最初は教えてくれようとしたらしいが、
あまりの広がりっぷりに口を挟むタイミングを失っていたらしく、
「ごめん、気づいたらどうにもできなかった」と、初日に謝られた。
──そして、現れるわけですよ。件の本人が。
「貴様……敗者のくせに、何をしでかしている……! 卑劣な奴め……!」
廊下のど真ん中。
教室移動の合間で人目もあるというのに、ディマスは俺の前に立ちはだかり、憎悪をむき出しにした。
いやいや、ちょっと待って。
今までこそ格下認定でそこまでではなかったけれど……今の目はガチだ。
「い、いえ、あの……」
どう言えば納得するのかわからない。
レジナルドがどんなにやんわり断っていようが、ディマスの気持ちは止まらないだろうし、俺にその矛先が向くのも当然の流れではあるんだけど。
「我が国であれば、お前など牢にぶち込んでやるものを……!」
……うわあ、こっわ。
俺、この国の庇護下にあって本当によかったわ。
でも、それでもさ。
“何もしなければゲーム通りに破滅”ルートの俺にとっては、喜んでいいのかもよく分からん……。
汗ばむ手を後ろに隠しながら、思考は堂々巡り。
いっそ倒れたらワンチャン回避できるか? ……いや、たぶん無理だな。
──そんなとき。
「リアム君」
その声に、背筋が自然と伸びた。
振り向けば、そこにはキースがいた。
「あ……」
「君、魔法学の授業準備は終わったのかい? 頼んでおいたはずだが」
ゆるく首を傾げ、あくまで穏やかに、けれど確かな声音で告げる兄──いや、教師。
あ、ああ!
そういうことね、キース!
「あ、いえ……まだです……」
慌てて合わせれば、キースは軽く目を細める。
「感心しないな。ここでは、君も“弟”ではなくただの学生だ。……ディマス君、もし差し支えなければ、リアム君を預からせてもらえますか?」
学園内では教員の立場が優先される。
ディマスも無視はできない。下手に拒めば、評価は下がる。
それはつまり、彼自身の“立場”を揺るがすことになる。
「……どうぞ」
明らかに不服そうな顔を隠しもせず、ディマスは短く応じた。
「失礼します」
一礼して、その場を離れる。
「では、行こうか。準備室は向こうだよ」
キースの背を追いながら──
俺は心の底から思った。
……助かった……!
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