13、
「先ほどは災難だったな」
書類を俺に手渡しながら、スペンサー先輩が申し訳なさそうに言った。
今はもう放課後で、生徒会室には俺と先輩のふたりきり。他の生徒会メンバーはノエルも含めて皆出払っている。
“先ほど”というのは──あの、ディマスとの一件のことだろう。
「あー……まあ、大丈夫です、よ」
すっと言葉が出てこなかったのは、最近のあれやこれやが脳裏をよぎったせいだ。
けど、別にスペンサー先輩が悪いわけじゃない。
もしも彼が裏でディマスを操っていたなんて話なら別だけど……さすがにそこまで邪悪じゃない、と思う。
とはいえ──謎は深まる一方だった。
ディマスがレジナルド先輩を狙ってるのは、誰の目にも明らかだった。
王太子だし、馬鹿じゃないし、顔も良い。
俺としては、そんな攻略対象がさっさと攻略されてくれるのは大歓迎だ。
ディマス様どうぞお幸せに、って心から願ってる。ええ、願ってますとも。
だから最初のうちは、俺がレジナルド先輩とどういう関係でもないことを、繰り返し丁寧に説明していたんだけど──
『そうやって姑息な手段を使うつもりだな?汚い奴だ』
……って、意味わかんねぇんだけど?!
むしろ俺が婚約者でも決めておけば──
あ、それ、意外といいかもしれない。
父に相談して、適当な可愛い女子でも見繕ってもらえば……!
俺がそんな現実逃避を始めたとき、隣でスペンサー先輩がふう、とため息をついた。
「ディマス殿下も、悪い方ではないんだがな……」
「え、先輩、お知り合いなんですか?」
「幼少期に一時こちらへ滞在していてな。その頃に少し、交流があった」
なるほど。まさかの幼なじみ枠か……!
もう、どんどんと設定が書き換えられていく気がして、俺は内心めまいすら覚えた。
ゲームの舞台とはいえ、これはもう“ゲーム”じゃない。歴史があって、関係があって、それぞれに事情がある──俺が知らないだけで、世界はずっと動いていたんだ。
「じゃあ、ディマス様はずっとレジナルド先輩がお好きなんですかね?」
俺の問いに、スペンサー先輩はわずかに目を伏せた。
「……まあ、そう見えるな。グラーベから正式な縁談が出るのも、時間の問題だろう」
おお、それはぜひとも!
二人がくっついてくれたら、こっちは助かる。
「ディマス様もお美しい方ですから、お似合いのお二人ですね」
そう口にした瞬間、スペンサー先輩がこちらをじっと見つめてきた。
「……君は、王太子妃という立場に興味はないのか?」
えっ、俺、男ですよ!?……って言いたかったけど、ここボーイズがラブな世界だったわ。
この世界に性別の壁はない。だからディマスも、男であるレジナルド先輩に向かっていける。
なら、俺が王太子妃候補であっても、不思議じゃない。
いや、むしろ家格的にはぴったりだ。俺がレジナルド先輩の妃になって子をもうければ、デリカート家は外戚として栄える。
……それが、元の筋書きだったんだろうな。
でも、今の父と母はそんなことは一言も言わない。
ふたりは──俺に「好きな人と生きなさい」と、いつも言ってくれる。
「……そうですね。僕には過ぎた身分ですし、恐れ多いというか……それに、恋愛結婚に憧れがあって」
王太子妃とか、絶対にない。
心の中で全力否定しつつも、外には“控えめな理想主義者”風に笑みを浮かべる。
スペンサー先輩は驚いたような顔をしたまま、何かを言いかけて──手元の書類を取り落とした。
一枚が俺の足元にひらひらと落ちる。拾い上げると、それは──絵だった。
スケッチ風の軽やかな線で描かれた風景。あちこちに蝶が飛び交い、色のない画面なのに、そこに命があるようだった。
「これ……」
俺が呟くと、スペンサー先輩はさっと立ち上がり、手元の紙を取り返した。
──あ、そうだ。思い出した。
スペンサー先輩って、実は“画家志望”っていう裏設定があったっけ。
「すみません、それ……」
「ああ、それ以上は言わなくていい。……恥ずかしいものを見せてしまったな」
そう言って絵を折ろうとしたのを、俺は慌てて止めた。
「ダメですよ!折っちゃ……勿体ないです!」
スペンサー先輩が驚いたように目を見開く。
「……勿体ない……?」
その言葉を、呟くように繰り返す。
「すごく綺麗な絵です。色が付いたら、もっと素敵になると思います」
俺の正直な気持ちだった。
正直、絵の才能は壊滅的だけど──だからこそ、なおさら羨ましい。
「先輩が描いたんですよね? 僕、絵はすごく下手なので……本当に羨ましいです」
スペンサー先輩は絵を見下ろし、それから俺をまっすぐに見た。
「……絵など、くだらないだろう?」
「どうしてですか? 好きで描いてるんでしょう?」
「……まあ……そうだ、が……」
設定を思い出す。確か、彼は画家になりたいけれど、宰相の息子としてその道を諦めかけていた。
夢と義務の間で揺れている……そんなキャラだったはず。
「先輩って、宰相様の跡を継ぐことになるんですよね?」
うなずくスペンサー先輩に、俺は無邪気なふりをして言ってみせた。
「じゃあ、画家で宰相って、すごくないですか? レジナルド先輩の肖像画とか、描けたら絶対素敵です!」
「画家で……宰相……」
その言葉を呟いた彼の目に、どこか遠くを見るような光が灯った。
そう、どっちかじゃなくても、いいはずだ。
絵を描くことは、恥でも贅沢でもない。むしろ、それで国の誰かを救えるかもしれない。
「その絵、僕にください。……ダメですか?」
少し間を置いて、スペンサー先輩は──ふっと笑った。
「……駄目だ」
「えっ……」
「色を塗ったら、君に進呈しよう。それで、どうだ?」
指で軽く俺の頭を撫でながら、首を傾げて見せる。
……この人、やっぱり変態だけど、悪い人じゃないのかもな。
「嬉しいです。……楽しみにしています」
それから、俺ははたと思い出した。
「あっ、職員室にこの書類届けなきゃ」
慌てて書類を手に取り、立ち上がる。
スペンサー先輩は頼んだ、と言って、自分の席へ戻っていった。
生徒会室の扉を開ける直前──
背中に、小さく降るような声が届いた。
「……リアム・デリカート。ありがとう」
その声音は、どこか優しくて、少しだけ──満足気だった。
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