番外編 按摩治療院『猛虎の家』営業再開!
――ミーシャ、もう、お前なしの身体ではいられなくなった。
――ずっと、待ち焦がれていた。
――こんなに気持ちいいことだとは……。
すべて、ミハイルの治療院に通う中年親父の言葉である。
遊牧から帰って来たあと、『猛虎の家』は予約と緊急患者が殺到していた。
営業再開と同時に体を痛めた者達が押しかけて来るので、狩猟に行く暇もない。
幸いなことに肉や魚、野菜、パンなど、各村から食料と施術料が交換で取引される。なので、食べることに困ることはなかった。
「いや~、やっと私の番が来ましたよお」
嬉しそうに敷物の上に寝そべるのは、緑星の村の農家チミールである。
「最近、農薬・水散布機が村に導入されて、仕事も随分と楽になったのですが、それでも、秋の農繁期は忙しくて」
農薬・水散布機とは、ラゥ・ハオが作った投石機である。戦闘に使ったあとは、平和的な利用ができるように緑星の村へ売り払っていた。
緑星の村の農家達は共同購入をしたようで、交代で使っているようだ。
「ミハイルさんがいない二ヶ月の間、体が疼いて、疼いて、苦しくて、切なくて、大変だったんですよ~」
「誤解を招きそうな表現は止めろ!」
ミハイルは施術を行いながら、ズバリと指摘をする。
こんな風に言ってくるのはチミールだけではない。他の中年親父達も、ミハイルの施術を待ち望んでいた。
二ヶ月も休んでいたので、患者達はミハイルの帰宅を大いに喜んだ。もう、過剰なほどに。
都に住んでいた時は、ここまで必要とされることもなかったので、嬉しいことには嬉しかったが、相手はむさくるしい中年男性なので、いささか複雑でもある。
「しかし、ご実家に帰られていたということなので、仕方がないですよね。今の時季にしかこの辺りは遊牧しないでしょうし」
ここでも、遊牧民であったという設定が役立った。村人達はミハイルが遊牧民であると信じ切っている。もちろん、ラゥ・ハオにも口裏合わせは頼んでいる。
パン焼きの技術を教えた草原の民達は、ミハイルは家族も同然だと口々に言っていた。
その辺の心配は皆無だった。
二ヶ月前、ミハイルは按摩を予約していた患者の施術を次々とすべて終わらせ、しばらくしたら新婚旅行で実家に帰るからと言って、新たな予約を受け付けないようにしていた。そのおかげで、大変な騒動だったが誰も巻き込まずに済んだ。
「皆、ミハイルさんが帰って来て、大喜びしていますよ」
「そうかい」
チミールの凝った部位を押しながら返事をする。
「それにしても、内戦の影響か、都が不景気のようで、出入りの商人も減ってしまいましたね」
「まあ……」
五つの村の村長が、協力してウヴァーロフ家と繋がっていた商人の出入りを禁止したという話を聞いた時は驚いた。
他の村での被害はなかったものの、ミハイルの件であったことのような裏切りがあったら困ると、話し合ってくれたらしい。
商人は、信頼が第一である。利益を優先して、裏切られたりなんかしたら、たまったものではない。情報の共有は、本当に助かりましたと、他の村の村長からも礼を言われたらしい。
おかげで、最近は安心して取引している。
すべては、マカールが働きかけたことである。
「冬は、出入りの商人を頼らざるをえないのでどうしようかと困っていましたが、青星の村の村長さんがいろいろと交渉されているようで」
マカールは直接帝都に赴き、村に商売をしに来てくれそうな商会と取引をしている最中であった。
「お若いのに、しっかりされていますね」
「ああ、まあ。ちょっと前までやんちゃをしていたが、結婚したら落ち着いたみてえだな」
ミハイルの老成したような物言いに、チミールは「ふふっ」と笑う。
一時間の施術が完了した。チミールは汗を拭い、「すごかった……」と呟いている。
ミハイルは聞かない振りをして、着替えるように勧めて部屋を出る。
台所では、オリガがスープを温めているところだった。
「オーリ、終わった」
「ご苦労様だった」
オリガは水差しから水を注いで差し出す。ミハイルはそれをごくごくと一気に飲み干した。
「疲れていないか?」
「いや、別に」
「そうか」
オリガは焼けたばかりのパンもミハイルの前に差し出した。
丸く白いパンは、チミールから貰った小麦で作ったものである。ミハイルは一口大に千切り、パクリと食べた。
「うん、美味い」
生地はふんわり、しっとり。香ばしい小麦の風味が口の中いっぱいに広がる。
「オーリ、パン焼くの、本当に上手くなったな」
「ミーシャの教え方が上手かったんだ」
「なるほど」
大真面目に返したので、オリガに笑われてしまった。
その後、チミールと共に食卓を囲む。
「いやはや、新婚さんのお昼にお邪魔するなんて、悪いですねえ」
言葉とは裏腹に、チミールは実に美味しそうに食事を食べていた。
「このスープ、すっごく美味しいですね!」
チミールが大絶賛しているのは、イノシシ肉をふんだんにつかった角煮スープ。
脂身たっぷりの肉は、じっくりコトコト煮込んで柔らかくなっている。味付けはトマトと香草。臭みはほとんどなく、脂身はとろける美味さだ。
「イノシシ肉って肉だけだと普通のお肉なんですが、脂身と一緒だと、極上の味わいになりますよね!」
それも、調理の仕方次第で、美味しくも不味くもなる。
「この角煮スープは本当に絶品です。お店があったら、絶対に頼んでますよお」
これは、オリガが『気まぐれ猫の会』で教えてもらった料理である。
「私、帰りにイノシシ肉を買って帰ることを決意しました。妻にスープを作ってもらいます」
意外なところで、青星の村の経済が動く手伝いをすることになった。
チミールが帰宅をしたあとは、家庭菜園の収穫をする。
肥料のお蔭か、立派な野菜が育っていた。
「マカールの嫁さんは畑の手入れまでしてくれていたとは」
「彼女は本当、できる女性だ」
マカールの妻、セラフィマは商人の娘で、青星の村に出入りしている父の手伝いをしている時に出会ったらしい。
ミハイルとオリガは、井戸の前で野菜を洗いながら話をする。
「嫁さんのほうが、マカールを見初めたと聞いたから驚いた。まあ、半信半疑だが。オーリ、あれ、本当だと思うか?」
「ああ、セラフィマのほうが先に好きになったらしい。磨けば光る男になると思ったそうだ」
最近、『キタキツネの会』に入ったマカールは、セラフィマとのなれそめを自慢げに語っていたのだ。向こうが好きになって、どうしてもと言うので結婚をしたと。
セラフィマがマカールを選んだまさかの理由に、ミハイルは吹き出す。
「なんだよ、磨けば光るって。面白いな」
オリガも堪えきれなかったのか、笑い出す。
いけ好かないと思っていたマカールであったが、根は悪い人ではなかった。
それを見抜いたセラフィマは、すごいという感想しかない。
「ミーシャは、最初――森で出会った時から光っていたよ」
「黒髪だから拾ったんだろ?」
「また、その話を」
黒髪好きだったら、ラゥ・ハオととっくの昔に結婚していると、オリガは言い切った。
「あ、そっか」
「見た目の話ではない」
それもそうだと思う。マカールは、村一番の男前だ。元から光っていた。
セラフィマが言っていたのは、内面の話である。
「だったら、オーリは見た目も中身もキラキラですごく綺麗だ」
話の流れで言った言葉であったが、オリガは頬を真っ赤に染める。
その様子を見たミハイルも、恥ずかしいことを口にしてしまったと、照れてしまった。
「ミーシャ、その、冗談は……」
「あ、いや、嘘じゃねえし」
誤解されたら大変なので、その辺はしっかりと伝えておく。
その後、夫婦は無言で野菜を洗い続け、手と手が触れ合っただけで顔を真っ赤にさせてしまうという、なんとも初々しい状態になってしまった。




