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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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守るもの、守られるもの

 夜の草原は酷く肌寒かった。

 地に生える草は風に煽られ、木々はガサガサと激しい音を鳴らしている。

 空に月も星もない。雲の多い夜だった。

 誰も彼も、角灯を持たずに外に出る。遊牧民は夜、ほとんど灯りを点さないで過ごす。宴の時もそうだった。

 それゆえなのか、彼らは夜目が利く。

 ウヴァーロフ家の者達は、夜の寝静まったところを襲うつもりだったのだろうが、その目論見は間違いであった。

 馬は夜行性ではないが、暗い中でも十分な活動ができる。


「夜ノ、草原を駆けるのも、いいものダヨ」


 などとラゥ・ハオは話していたが、以前、オリガを針葉樹林タイガの森へ探しに行ったことを思い出したミハイルは、ゾッとするばかりであった。


 しかも、今宵は真っ暗闇の中、馬に跨ることになった。


 ミハイルは大使夫妻よりもらい受けた鎧を纏う。オリガにも似たような鎧が用意されていた。

 二人は、後方で旗持ちを務める。

 目の前には深い堀が掘られている。草原の民達の力作であった。

 暗闇の中、駆ける馬はもれなく落下してしまうだろう。

 背後には高垣に登った弓兵が控えていた。堀に落ちる前に、矢の雨が降り注ぐことになる。

 その背後にも、別働隊がいる。戦闘開始で一番に動くのは彼らだ。

 今や遅しかと、戦いが始まるのを待ち構えていた。


 前方にはラゥ・ハオ率いる槍兵が控えている。

 皆、松明も持たずに、じっと敵を待った。


 一見して、遊牧民達は寝静まっているように見える。

 実際は、戦闘態勢で待ち構えていたわけだが。


 ふいに、風が強くなる。

 ミハイル達のほうからすると、追い風であった。

 場の空気も変わった。

 すると、草原の奥にある森のほうから、ポツポツと松明の灯りのようなものが見え始めた。


 ついに、敵がやって来たのだ。


 敵側は強い向かい風を受けている。手にしている松明が激しく揺らめいていた。


 相手の動きは慎重だった。まだ、ここで待ち構えているとはバレていない。

 だんだんと、火を持つ一団が近付いて来る。

 ミハイルは心臓のある位置を押さえた。先ほどからドッドッドッと、激しく鼓動を打っていた。


 この戦いが終わったら、憂い事はなくなる。また、オリガと二人で、青星の村で暮らせる。

 ゆっくりのんびりと、針葉樹林タイガの森で狩り暮らしをしたい。それ以上のことは望んでいなかった。


 ささやかな幸せを取り返すために、ミハイルとオリガは戦場に立つ。


 ラゥ・ハオの馬の高い嘶きが聞こえた。それが、戦闘開始の合図だった。


 まず、動いたのは、ミハイル達よりさらに後方にいる、投石部隊である。

 見上げるほどの大きさのバネ仕掛けの投石機カタパルトは、針葉樹林タイガの森の木々を組み立てた物である。薬師が設計図を描き、手先が器用な草原の民が作った。


 投石皿の上には、大量の泥団子が載せられていた。

 半円状のバネの伸び縮みを利用し、機動させる。鉤型に曲がった持ち手を回転させてバネを収縮させており、それを外すと泥団子は槍兵の上を通り越し、敵の頭上に向かって飛んで行った。


 団子の中身は小石と、唐辛子が入っている。馬に当たったら、目が痛くなって前進は不可能になるだろう。石も怪我をするかしないか程度の大きさだが、降ってきたら地味に痛いことは確かだ。


 泥団子は上手い具合に、敵の馬や頭に当たっていた。

 投石部隊の唐辛子入り泥団子の効果は絶大であった。陣形が面白いくらいに崩れていく。

 第二射、三射と続けて撃つ。前線にいた馬は錯乱状態に陥り、深く掘っていた堀へと落ちていく。

 堀も、底には藁を敷いてある。怪我をすることはない。


 暗闇の中、バタバタと敵は倒れていく。


 昼から夕方まで雨が降り、草原は濡れていた。なので、地面に落とした松明が燃え広がることもなかった。


 運良く前進することに成功した残存部隊がラゥ・ハオ率いる槍兵部隊のもとへとやって来たが、数は三十騎以下となっていた。

 激しく嘶く草原の大きな馬を前に、都育ちの馬達は恐れをなして立ち止まる。

 兵士達も、目の前の部隊の規模に気付いて進撃を止めた。


 ラゥ・ハオは敵将へと問いかける。


「ココで死ぬか、我らの捕虜となるか、選ばせてヤル!」


 馬の目が、暗闇の中で赤く光った――ように見えた。

 ラゥ・ハオも、剣呑な殺気を振りまいている。


 敵将は、首を横に振った。両手を挙げて、全員投降する。


 手を縄で縛られ、拘束された。

 列をなして連行されている。ミハイルはその様子を、オリガと共にぼんやりと眺めていた。


 すべては終わった。もう、何も憂い事はない。

 ただのミハイルとして、追っ手に怯えることなく、オリガと暮らしていける。

 しかし、まだ実感はない。フワフワしていて、不思議な気分だった。


 ここで、想定外の事件が起こる。


「――ミハイル・イヴァーノヴィチ!!」


 誰かが叫んだ。

 その刹那、手を拘束されていたはずの男が飛び出して来る。

 手にはナイフが握られていた。


「お前のせいで、お前のせいで、国は滅んだ!! だから、死ね!!」


 突然の展開に、周囲にいた誰もが瞠目する。


 ドン! と、銃声が鳴った――同時に、ミハイルは男を押し倒していた。


 銃弾を放ったのは、オリガだった。得意の早撃ちで、襲いかかって来た男を殺そうとしたのだが、ミハイルが突進することによって着弾を制した。


 すぐさま男は遊牧民達によって、取り押さえられる。

 凶器を確保しようとしたが、男の手にナイフは握られていなかった。いったいどこに。遊牧民の男が、ミハイルに視線を移す。


「ミーシャ!」


 オリガがミハイルに駆け寄り、体を仰向けにする。

 腹部の、鎧の隙間に、ナイフが突き刺さっていた。


「ミーシャ、ミーシャ!!」


 ミハイルを起こそうと体を支えたが、ぬるりと、生温かい液体に振れる。

 それは、真っ赤な血だった。

 オリガの悲痛な叫びが、草原に響き渡る。


 ◇◇◇


 空は澄み渡り、白い雲が浮かんでいる。

 穏やかな風は、サラサラと草原の草花を揺らしていた。


 女達は朝から走り回り、掃除や炊事に忙しそうだった。

 男達は、戦闘の疲れが残っているのか、眠っている者も多かった。


 戦闘による死傷者はいなかった――約一名を除いて。

 ミハイル・イヴァーノヴィチ・リューリク。腹部を損傷。

 加害者は、ウヴァーロフ家当主の末息子であった。熱狂的な皇帝の信者で、新しい皇帝――ミハイルが政権を握ることを、大いに期待していた。


 しかし、それも叶わなかった。

 即位の意志はまるでなく、ウヴァーロフ家の者達に反抗したのだ。

 ならば、もう、殺すしかない。

 ウヴァーロフ家もろとも、滅びの道を歩んでもらおうと思った。

 拘束後、隠し持っていた武器で縄を解き、捕まっている振りをして連行される。そして、ミハイルの近くを通った瞬間、ナイフを突き立て――。


 しかし、その作戦も失敗に終わった。

 幸いなことに、ミハイルは軽傷だった。ラゥ・ハオに借りた楔帷子のおかげで、刃の勢いを削いでいたのだ。

 腹部は十針縫う程度で、薬師が丁寧に処置を施してくれた。


 明け方には、意識が回復する。

 目覚めたミハイルはぎょっとした。周囲に、目を真っ赤にしたオリガと、神妙な面持ちのラゥ・ハオ、真面目な表情をしている薬師が揃って座っていたからだ。


「な、なんだ、あんたら――痛っ!」

「ミーシャ、動くな。怪我をしている」

「十針縫いました。想定よりも少ない範囲でしたが、出血がひどかったので、しばらく安静にしていてください」

「怪我?」


 ここで昨夜のできごとを思い出す。

 ナイフを持った男に襲われた。

 ミハイルはオリガが発砲しようとするのに気付き、向かってきた男に突進したのだ。その時、男の持っていたナイフが刺さってしまった。


「ミーシャ、どうしてあんなことを――」

「前にも言ったろ? 人を手にかけさせたくなかったから」


 オリガは唇を噛みしめている。ミハイルを守れなかった悔しさと、銃を撃った後悔と、誰も死ななかったという安堵と。さまざまな感情が押し寄せているようだった。


「皆、生きていました。誰も、死んでいません。喜びましょう」


 薬師は言う。ミハイルもそう思った。


「俺は、オーリを守ったし、守られた」


 襲われそうになった瞬間、横でオリガが動かなかったら、ナイフを持った男に対して咄嗟の反応はできなかったかもしれない。

 何も行動を起こさなかった場合、急所にナイフが刺さって大怪我をしている可能性もあった。


「だから、俺は助かったんだ」


 ミハイルはオリガに礼を言う。


「ありがとう」

「ミーシャ……!」


 オリガはすがるように、横たわるミハイルに縋りついた。

 ぽろぽろと、涙を流す。

 ミハイルはオリガの背を、優しく撫でた。


 ◇◇◇


 約百名の捕虜は、全員都へ護送された。

 ラゥ・ハオはユスーポフ公爵と手を組み、取引をしていたのだ。

 行方不明であったウヴァーロフ家の現当主も捕まった。勇敢にも、ミハイルを探しにわざわざ針葉樹林タイガの森へやって来ていた。

 ラゥ・ハオは捕虜と引き換えに、報酬を受け取る。そして、ウヴァーロフ家の手の者達が乗っていた百頭もの馬と装備していた鎧と武器を手に入れた。


 ミハイルは二、三日安静したら、起き上がれるようになった。あまり激しい運動はできないが、日常の生活を送ることに支障はない。


 草原の堀は埋められ、石垣は撤去された。

 投石機は、肥料の散布に便利だと言って、緑星の村の者に売ったとラゥ・ハオは言っていた。


 戦闘後の後処理は、実に鮮やかなものであった。


「いや~~、儲ケタ、儲ケタ!」

「……」

「……」


 一人笑顔のラゥ・ハオに、ミハイルとオリガは呆れた視線を向けていた。


「友情のためとか、嘘じゃねえか」

「私は怪しいと思っていた」

「ダッテ、私は草原の龍ダヨ?」


 もちろん、友情もあったとラゥ・ハオは主張していた。

 戦闘をするには、人員の消耗――戦う人の死も視野に入れなければならない。簡単に判断できることではなかったが、今回は特別だった。


「今回は老師様がイタカラ、なんとかなるって思ったンダヨネ」


 薬師の考えた唐辛子と小石入りの団子と、設計を手掛けた投石機は効果絶大であった。

 あれで、たくさんの戦力を傷つけずに削ぐことができたのだ。


「恐ろしいじいさんだよ」

「私達の味方で良かったと、心から思っている」


 敵に回したくない男、薬師ことオレーク・エゴロヴィチ・ウヴァーロフ。

 今回の戦闘で、軍師として大いに活躍してくれた。


「まあ、メデタシ、メデタシってことで」


 戦闘を経て、ラゥ・ハオと協力した者達には、大きな利益があった。

 迷惑をかけただけではなかったので、良いことにしておいた。


 ミハイルの怪我がほどよく完治すると、村に帰る日にちが決まる。

 ついに、夫婦は青星の村へと帰れることになった。


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