誓いを
戦闘の最終準備は朝から始められていた。
女達は慌ただしく、家から家の間を駆けまわっている。
子どもと若い女達は家畜や牧羊犬と共に、森に移動する準備をしていた。今晩は森に小さな家屋を建てて、過ごすことになっていた。
男達は、武器の手入れなどを行う。
ミハイルは緊張していて、朝から食事がほとんど喉を通らなかった。オリガも、いつもの半分ほどしか食べていなかった。
薬師は「気持ちはわかりますよ」と言いながら、羊肉のスープを三杯もおかわりしていた。
遊牧民の民族衣装、デールの上から、ラゥ・ハオの部下に借りた鎧を纏おうとしていたら、家屋に誰かがやって来る。
大使とラゥ・ハオであった。
「どうしたんだ?」
すでに、ラゥ・ハオは準備が整っている。鎧を纏って矢筒を背負い、腰には剣を佩いていた。
ラゥ・ハオが合図を出すと、部下がぞろぞろと入って来る。
ミハイルに木箱が差し出された。
「この者からの、お礼ダソウダ」
「え……?」
木箱の中身は、白の正装と鎧だった。
「妻を、元気にしてくれた感謝の気持ちです」
「あ、いや、俺はなんにもしてねえのに」
「姫は、あなたと共に生きていたから、ここに来たのでしょう」
「でも」
真新しい服には見えなかったが、十分立派で、仕立てのいいものである。
上着を広げる。
詰襟状で、金の飾緒が施されていた。袖や襟も金の糸で縁取られており、胸には猛虎軍の象徴たるトラの横顔が刺繍されていた。
「これは――!」
「妻が頑張って刺繍を施したようで」
「そうか」
ミハイルは上着を綺麗に折りたたみ、頭を下げた。
「ありがとう。ありがたく、頂戴させてもらう。奥方にも、お礼を」
「はい、妻にも伝えておきます」
鎧は都の兵士達が装備しているようなものだった。
ラゥ・ハオが知り合いの商人と取引をして、集めてくれたらしい。
「ねえ、ミハイル、着テミテ!」
大使が帰ったあと、なぜかミハイルの家に残ったままだったラゥ・ハオが謎のリクエストをする。
「きっと、似合ウカラ!」
「なんであんたに見せなきゃいけねえんだよ」
「お願い! 一生ノ、お願い!」
ラゥ・ハオには世話になっている。無下にもできない。
深い溜息を吐き、ミハイルは大使夫妻から受け取った正装を身に纏った。
「うわ~~、カッコイイね! よし、ミンナにも、見せヨウ」
「はあ!?」
ラゥ・ハオはミハイルの腕を掴み、ぐいぐいと引っ張る。
「おい、こら! やめろ、恥ずかしいだろ!?」
「大丈夫、大丈夫。男前ダカラ」
「何が男前だ!」
外に出たが、先ほどまで慌ただしくしていたのに、人の姿がなかった。
首を傾げつつ、ミハイルは引っ張られて行く。
謎はすぐに解けた。
ラゥ・ハオの家の前に、人だかりができていた。
ミハイルの姿に気付くと、ワッと沸く。
「な、なんなんだ?」
「イイカラ!」
中に何かがあるのか。ラゥ・ハオが近付くと、人垣が割れる。
人々の中心には――何もなかった。
「なんじゃそりゃ」
拍子抜けとなり、ぼそりと呟く。
なぜか、ミハイルを見て喜んでいた。正装姿を見て、というわけでもないようだった。いったいどうしたのか。
遊牧民達の様子に気を取られている間に、ミハイルは家の出入り口の前に連れて来られた。
『本日の主役である、ミハイルだ!』
ラゥ・ハオが草原の民の言葉で、遊牧民達に語りかける。歓声は一層強まった。異常な盛り上がりである。
「おい、何を話して――」
『そして、もう一人の主役!』
ラゥ・ハオはオリガの名前を呼んだ。すると、家の中から出て来る。
「――え?」
ミハイルは瞠目する。目の前に現れたのは、美しい花嫁だった。
「オーリ!?」
思わず名を口にすると、花嫁オリガは照れたようにはにかむ。
華やかな婚礼衣装に身を包んで、森で摘んで集めた野花を手にしていた。
オリガが纏うのは、針葉樹林の森の雪の美しさをすべて集結させたような、純白のドレスであった。
襟や袖のない流行りの意匠で、胸元から胴にかけての蔓模様の刺繍が見事である。腰から広がるスカートは、体の線に沿ったもので、魚の尾のようであった。
草原の小花で作った冠を被り、長く美しい髪は三つ編みにして、後頭部で纏めている。結んでいるのは、大使の奥方が作った白いリボンだ。ドレスによく映えている。
純白の装いは、オリガの美しさをより際立たせていた。
そんな女性を目の前にしたミハイルは、ぽつりと呟いた。
「世界一綺麗だ」
オリガは緊張を滲ませる表情から、満面の笑みへと変わっていく。
ワッと、遊牧民達は拍手喝采をした。
ここで、ミハイルはハッと我に返る。
「いや、これ、なんなんだよ」
「結婚式ダヨ」
ラゥ・ハオが答える。
「大使の奥方が、結婚式をシテイナインジャないかって、気付イテ、老師様に聞いたら、ソウダト答えたから」
秘密裏に、結婚式の企画が立てられ、準備が執り行われていた。
遊牧民も森の民同様、結婚式は行わない。他の部族はするところもあったが、ラゥ・ハオ達は宴を催すばかりであった。
よって、大使の奥方の指示で、ドレスや正装などの手配が行われていた。
短期間であったが、婚礼衣装は見事な品が用意された。
「牧師はイナイガ、薬師はイル! どうぞ!」
「僭越ながら」
どこで手に入れたのか、牧師の装いに身を包んだ薬師が前に出て来た。
「ご結婚おめでとうございます。今日は牧師です」
「似非じゃねえか」
「はい。ですが、お二人を祝福する気持ちは、誰にも負けません」
こうして、結婚式の誓いの言葉が読み上げられる。
「私達は今、ミハイルさん、オリガさん、お二方の結婚式を挙げようとしております。ここで、本来ならば、結婚についての説教を読み上げるのですが――すでに結婚生活をしているので、言わなくてもわかっていることでしょう」
収容所へ連行されそうになっていたミハイルは馬車から脱出し、逃げ切ったのはいいものの、獰猛な野生動物が生息し、極寒の気候の中の針葉樹林の森で、気を失って倒れていた。
そのままだったら、確実に死んでいただろう。
しかし、オリガがミハイルを助けた。
偶然が重なり出会った二人は、互いの利益のために契約結婚を果たす。
違う環境で育った者同士であったが、欠けていたものがぴったりと嵌るような生活を送っていた。
思いの外、平和に暮らしていた夫婦であったが、問題もちらほらと発生する。
しかしそれも、二人で力を合わせて乗り越えてきた。
「それでは、誓約をしていただきます」
まず、ミハイルの名が読み上げられる。
「あなたは、オリガさんを病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、愛し、敬い、また慰め、その命が続く限り、かたく節操を守ることを、誓いますか?」
迷うことなく、はっきりと答える。
「はい、誓います」
オリガにも、同じことを問いかけた。返事は一つしかない。
「私も、誓います」
愛を誓いあったあとは、最後の儀式となる。
「では、誓いの口付けを」
「は?」
「誓いの口付けを、どうぞ!」
薬師は大切なことなので、二回言った。
結婚式に参列したことのないミハイルは、誓いのキスをすることを知らなかった。
「ささ、遠慮なくどうぞ。神聖な儀式の一つですので」
薬師の目はキラキラと輝いていた。遊牧民達からも、期待の眼差しが向けられる。
「見せものじゃねえか」
「神聖な儀式の一つですので、どうぞ!」
これも、大事なことなので、二回言っておく。
場の雰囲気を壊してはいけない。ミハイルはそう思い、一度、深い溜息を吐くと――オリガの肩を掴んで、唇にキスをした。
今日一日の中で、一番の歓声を浴びる。
こうして、ミハイルとオリガは、たくさんの人の祝福の中で夫婦の誓いを立てた。




