戦い
薬師は狼狽する大使に、一度家に戻って診療道具を取りに行ってから向かうので、先に帰っておくように言った。
シンと、静かになった室内で、ミハイルは薬師の服の袖を掴み、ボソリと呟く。
「俺、女王を、オリガの婆さんを見たことがあるんだ……」
遠目だったが、すっと伸びた背筋や、金の髪、高貴な佇まいなど、似ている箇所があった。
祖母と孫である女王とオリガの姿を重ね合わせてしまうのは、おかしな話ではない。
「もしかしたら、若かりし頃の姿を見間違えてしまったのかもしれないですね」
大使の妻は女王の侍女を務めていたらしい。そして、シャルロッテ王女の乳母に抜擢された。
「奥方は、ずっと精神状態がよくなかったらしいです」
女王から託された幼い王女を攫われてしまい、生きる目的を失くしてしまったのだ。
「私のせいですね」
「じいさん……」
ぼんやりとしている場合ではない。薬師は診療をするため、家屋を出て行った。
残されたミハイルとオリガは、大きすぎる問題に、どうすればいいのかわからなくなっていた。
◇◇◇
ある日、突然ラゥ・ハオがやって来る。
「ミハイル、オリガ、ここを発つヨ」
この地での滞在は、あと一週間ほど残っていた。なのに、ラゥ・ハオは移動を始めると言い出す。
「どうしたんだ?」
「とある一団が、コチラに、ヤッテ来テイる」
数は百から二百。正確な数字はわかっていない。
「ミハイルを狙って、来たんダト」
恐らく、ウヴァーロフ家の者だろうと、ラゥ・ハオは話す。
「噂話デハ、都ニ、ユスーポフ公爵家率いる新政府が成立したラシイ」
「帝政は終わった、というわけか?」
「ウン、ソウみたい」
長年君臨していた皇帝が崩御した翌日に、ウヴァーロフ家と繋がりが深い皇弟が即位したが、反乱軍の手によって、すぐに手にかけられた。
「残ルハ、どこかで生きているでアロウ、ミハイル大公だけである、ト」
「大公、ね。そんな称号、初めて聞いた」
「向こうが、勝手ニ、呼ンデイルだけダロウネ」
この前の追っ手は殺しておくべきだったと、ラゥ・ハオが呟く。
「まさか、コンナ所まで、追ッテくるとは、思わなカッタヨ」
「ああ、そう、だな」
ウヴァーロフ家の最後の足掻きであった。
「デモまあ、こちらも、やられてバカリじゃ、ナイカラ」
森の中に入ったら、相手を攪乱できる。
大自然の中では、都の者は敵わない。戦うならば、森の中がいい。ラゥ・ハオはそう思っていたが――。
「すぐに、移動ようと思ったけれど、ウ~ン、やっぱ止メタ! ここを拠点にして、真っ正面から戦オウ」
「は? それ、大丈夫なのか?」
「ウン。なんか、逃げるみたいで、悔しくナッタから。知り合いにも協力をお願いシテミルネ」
ラゥ・ハオが用意する兵士は百五十。相手と同等か、それ以下か。
ウヴァーロフ家の兵士達が、正規軍の者であれば、勝ち目はない。
「デモ、これから対策はデキル」
草原の地理を利用して、さまざまな妨害を行う。
「大丈夫、上手くイクカラ」
「でも、あんたにそこまでしてもらう理由が……」
「あるよ。友達ダカラ」
そう言って、ラゥ・ハオはミハイルの肩をどんと叩く。
「任セテ!」
こうして、遊牧民の男達を集結させ、オリガとミハイル、薬師を交えた話し合いが始まった。
薬師が草原を活かした陣形を提案し、ラゥ・ハオは採用する。
話はトントン拍子に決まっていった。
最後に、大使一家にもウヴァーロフ家との戦闘が起こる可能性が伝えられた。
そこに、全身をすっぽりと覆う外套を纏ったオリガも同行した。
奥方の容態は、だいぶ落ち着いていた。
大使と何度も話し合い、オリガの正体を伝えることになったのだ。
奥方は話を聞きながら、顔色を青くしていたが、大使は大丈夫だろうと、ラゥ・ハオの目配せに頷く。
「ソレデ、最後に、話がアルんだけど」
オリガは外套を脱いだ。
その姿を見た、奥方の目が見開かれる。
「ああ、ああ、信じられない……!」
奥方は立ち上がり、ふらふらとオリガの前にやって来ると、片膝を突いた。
涙を流しながら、話しかけてくる。
「お会いしとう、ございました、姫様……!」
一目で、オリガが王家の血を引く姫君であると、わかったようだった。
「生きて、いらっしゃったの、ですね」
「ああ」
オリガの三つ編みに結ばれたリボンを見て、さらに涙を流す。
「ああ、なんということでしょう……!」
それは、収容所で没収された奥方のリボンだった。どこぞの貴族が持ちだしていたらしい。それが偶然、青星の村の者へと渡ったものであった。
「リボンは、わたくしが、刺したもので、姫様の、お誕生日の贈り物にと、仕立てたものでございます」
奇跡が起きて、オリガのもとへと渡っていた。
「こんなことが、あるのでしょうか……」
オリガは奥方と視線を合わせるべく、床に膝を突く。
「夫が見つけたものなのだが、気に入っていて、ずっと身に着けていた」
オリガは礼の言葉を伝える。奥方は感極まった様子だった。
その後、大使の奥方は元気を取り戻す。
外にも出るようになり、せっせと働き始めた。
言うか、言わざるべきか。迷ったことであったが、事態は良い方向へと進んで行った。
その後、遊牧民は総出で戦闘の準備をする。
『パンの先生を狙うなんて、とんでもない奴らだわ』
『絶対に、許さないんだから』
本来ならば、守られるべき女性達のほうが、やる気に満ちていた。
木で馬の侵入を妨害する防柵を作り、穴を掘って堀を仕かける。
集落の周辺は、石垣を築いた。
どんどん、草原を遊牧民達が戦うために有利な場所へと作り変えていった。
ミハイルとオリガは、遊牧民達と協力して、パンを焼いたり、ビスケットを作ったりと、日持ちする兵糧食を量産する。
完成したものは木箱に詰めて、運ばれる。
お昼過ぎ。
鷹を肩に乗せたラゥ・ハオがやって来る。
ニコニコ顔でやって来て、ミハイルの耳元である情報を囁いた。
「――明日の夜ニハ、ヤツラは、ここに到着スルラシイ」
「!」
表情とは反する、重要な情報である。
先ほど、報告を受けたらしい。遊牧民の情報網は広い。鳥を通じて、すぐに拡散されるのだ。
ラゥ・ハオは警戒態勢を取るよう、部下に命じた。
『もうひと頑張りだ。警戒に当たれ!』
『はっ!』
部下達は散り散りになっていく。
手には布の巻いた槍を持っているかと思ったが、違った。はらりと広げられたそれは――赤い布地に、金色のトラの横顔が刺された軍旗であった。
「これは?」
「我らガ、猛虎軍の旗ダヨ」
大使の奥方が中心となって、刺したらしい。
力強いトラの横顔は、今にも吠えかかりそうだった。まさしく、猛虎なのである。
話し合いの結果、遊牧民とその他の協力者が集った一団は、猛虎軍と名付けられた。
最終的に、二百以上の軍勢となった。
「戦場の旗は、お守りナンダヨ。これを、ミハイルとオリガに、託すカラ」
馬に跨り、戦場の後方で旗を掲げる。これが、ミハイルとオリガの役割だと言われた。
「大丈夫。絶対に勝テルヨ」
「ああ、そうだな」
「私達も、信じている」
とうとう、決戦は明日の夜となった。




