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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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ミハイルのパン教室

 朝。寝間着を脱ぎ、昼間に着るデールを纏う。

 夜のものは絹で体にぴったりと沿うような意匠であったが、昼間の活動時間のものは綿で動きやすくするためか大きめに作ってある。


 ミハイルとオリガは揃って湖で顔を洗い、歯を磨く。

 天気はいいが、風は強く肌寒い。同じ針葉樹林タイガの森の中にあるというのに、不思議なものであった。


 家屋に戻り、朝食の準備を行う。


 まず、パンをどうするか、オリガと話し合った。


 平たく丸い細工パンは美しい。けれど、味はなく、食感は布のよう。


「そのままでは食いたくねえ」

「そうだな」


 悪いなと思いつつも、本音を漏らす。

 どうすれば美味しくなるのか。

 ここで、オリガが何か思いついたのか、着想を口にする。


「一度、失敗したパンで作った、スープに浮かべるクッキーみたいな……」

「ああ、クルトンだな」


 クルトンとは、小さな四角形に切りわけたパンを、加熱してカリカリに加工したもの。

 そういえばと思い出す。オリガの失敗したパンを、いろいろアレンジして食べていたのだ。


「じゃ、パンはクルトンにして、羊の乳のスープに浮かべて食べよう」


 ミハイルはクルトン作りを、オリガは羊の乳のスープを作ることになった。さっそく、作業に取りかかる。


 パンは細かく切り刻んで炒める。圧倒的に香りや風味が足りないので、羊のバターを絡めてさらに炒める。

 これだけではカリカリ感はいまいちなので、鉄板に並べて暖炉の火で加熱する。


 オリガは鍋に皮を剥いて切ったジャガイモ、羊の乳に燻製肉、水を入れて、じっくりと煮込む。

 羊の乳は癖があるので、香草をたっぷりと入れた。具がやわらかくなるまで煮込み、最後に塩胡椒で味を調えたら羊の乳のスープが完成。


 スープとクルトンだけでは物足りないだろうと思い、ミハイルは暖炉の火で串に刺した羊の燻製肉を炙った。

 脂身が多く、熱を受けて透明になっていく。途中で脂が滴り、火に落ちる。

 表面がカリカリになったら、皿の上に置いた。

 続いて、羊のチーズも串に刺して焼いてみる。

 じわじわと溶け、表面に焼き色がついていく。串から落ちる前に、先ほどの燻製肉の上に置いた。仕上げに、先ほど草原で摘んだばかりの香草――ディルを散らす。

 スープは深い皿に装い、パラパラとクルトンの実を浮かせた。


 以上で朝食の準備が整った。森の神に祈りを捧げて、食事を始める。

 残念なパンはクルトンへと姿を変え、スープの中へ。匙はないので、器に口を付けて飲む。

 カリカリという食感と、香る豊かなバターの風味。味気なさは解消されていた。

 乳のスープともよく合う。汁気を吸って、ふやふやになったものも美味しい。

 作戦は大成功であった。


「そういえば、大丈夫なのか?」


 食後、オリガに問いかけられた。


「何がだ?」

「パンについてだ」


 パンには酵母が必要になる。ここにはないので、パンは作れないだろうという心配だった。


「酵母の作り方から教えるのか?」

「いや、う~~ん」


 何を作ろうか、ミハイルは迷っていた。酵母なしのブルヌイ――パンケーキにすべきか。


「ブルヌイくらいなら、知ってそうだもんな……」


 酵母なしのパン。中が空洞になっていて、肉などを挟んで食べる『ピータ』。

 挽き肉を包んで焼く『サムサ』。チーズ入りのパン『ハチャブリ』。といろいろある。


 悩んでいるところに、ラゥ・ハオがやって来た。


「ミハイル、一緒ニ、蒸し風呂入ろ!!」


 空気も読まずに、蒸し風呂に誘って来る。薬師も一緒らしい。

 どうやら、朝の時間が族長であるラゥ・ハオの入浴時間のようだった。


「今日は忙しいんだ。断る」

「ソンナ~~」


 パンについて考えなければならないので、さっさと手で追い払った。

 と、ここで、ある着想が浮かんでくる。


 オリガにも相談してみたら、「いいかもしれない」という返事をもらった。


 その後、夫婦は二手にわかれる。

 ミハイルは女性陣にパン焼きを教え、オリガは男性陣に狩猟についてのアレコレを教えることになっていた。


 双方の間には言葉の壁があるので、ミハイルには薬師が、オリガには村の女性が数名、通訳として付くことになる。


 野外のかまどの前には、二十名ほどの女性が集まっていた。


「いやはや、華やかですねえ」


 薬師は嬉しそうに言う。

 ミハイル達の姿を発見すると、笑顔で手を振ってくれた。薬師は満面の笑みを浮かべながら、手を振り返す。


「今日は楽しめそうです」

「それはそれは、よかったな」


 集まっているのは、下は十代の少女から上は老齢の女性まで。幅広い年齢層が集まった模様。

 女性陣の前に、一度咳払いをしたミハイルは名乗る。


「俺は青星の村のミハイル。元パン職人だ」


 薬師が通訳すると、女性陣はワッと沸く。拍手喝采されその熱狂ぶりに、ミハイルは目を剥いた。


「お、おい、変なこと言ってんじゃねえだろうな?」

「そのままの言葉を伝えただけですよ。皆、美味しいパンを焼くのは悲願だったようなので」


 ラゥ・ハオ同様、明るい者が多いようだった。

 青星の村人達は、比較的大人しい性格の者が多いので、驚いてしまう。


 もう一度、咳払いをして、本題へと移る。


「パンには、酵母というものが必要になる」


 酵母は作るのに十日前後かかる。しかも、保存をするのに一定の温度を保つ冷暗所が必要だ。

 地下部屋のない遊牧民達は管理が大変だろう。


「なので、草原暮らしでは、パンを焼くのに適していない」


 女性陣は落胆の表情を浮かべる。肩を落とす者もいた。


「しかし――」


 酵母なしで作れるパンがあった。遊牧民の、乳製品をたっぷりと使った料理との相性も抜群だと、ミハイルは思っている。


「なんですか、それは?」


 薬師も気になったのか、質問してきた。


「蒸しパンだ」


 朝、ラゥ・ハオに蒸し風呂に入ろうと誘われた時に思いついた。

 ふわふわとした蒸しパンならば、簡単に作れる上に子どもも食べやすい。


『ふわふわのパン?』

『どんな味なのかしら?』

『気になるわ』


 女性陣は興味津々のようだった。


「期待が高まっているようです」

「そうかい」


 味には自信がある。

 ミハイルはさっそく、説明を始めた。


「材料は小麦粉、卵、砂糖、牛乳……羊の乳でも可。あと、ふくらし粉」


 ふくらし粉は遊牧民の料理に使わないので、彼女らは知らなかった。ミハイルは家から持って来ていた物を使う。


「まず、卵と砂糖、羊の乳を混ぜる」


 家から連れてきていた鶏は、今日も元気に卵を産んでいた。野に放っていたので、卵探しは大変だったが、朝から良い運動になった。


 遊牧民も、鶏を飼育している。卵は生活に欠かせないもののようだった。


「次に、小麦粉とふくらし粉を入れて混ぜ、生地がなめらかになったら器に入れて蒸す」


 スープを飲む器にバターをたっぷりと塗り、生地を流し込む。


 野外のかまどは使わずに、石を積んで簡易かまどを作った。そこに、二つの鍋を重ね、簡易蒸し器を作る。一つ目には、水を張った。

 生地を流した器を並べ、しっかりと蓋をする。

 十分から二十分ほどで、完成だ。


 蓋を開くと、生地はふっくらと蒸し上がっていた。

 ほんのりと、甘い匂いも漂う。


『うわ、すごい!』

『美味しそう!』

『食べたいわ』


 笑顔を浮かべながら、女性陣は蒸しパンを見ている。


「期待が高まっているようです」

「さっきと一緒じゃねえか」


 薬師の雑な通訳はさて置いて。女性陣に食べてみるよう勧めてみる。

 十個蒸したので、一人半分ずつ。

 薬師が悲しそうな表情を浮かべていたので、あとで作る約束をした。


 女性陣はあつあつの蒸しパンを頬張る。


『美味しいわ!』

『すごい、ふわふわ!』

『こんな美味しいパン、初めて!』


 通訳してもらわなくても、表情を見ていたらわかる。どうやら、美味しかったようだ。


「期待通りだったようですよ」

「そうかい」


 とりあえず、ミハイルのパンは気に入ってもらえた。パン作り教室は、大成功だった。


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