遊牧民の暮らし
ラゥ・ハオは食事を振る舞ってくれると言う。一族の女性達が、準備をしてくれたらしい。
「デハ、ワタシの家に、移動シヨウ。老師様も、ご一緒ニ」
「おやおや、私まで。ありがとうございます」
薬師の家の斜め前にある、ひと際大きな家屋があった。ここが、ラゥ・ハオの家だという。
中に入ると、数名の女性に床の上には料理がずらりと並べられていた。
「普段、昼食は食べないンダケド、特別に作ってもらったヨ!」
ラゥ・ハオの一族は、夜が正餐となる。昼はほぼ食べないと言っていた。
「でも、前、昼にうちに来た時は、腹が減ったと言ってすげえ食っていたじゃねえか」
「ああ、アレハ、朝食を食べていなクテ、お腹がペコペコダッタンダ」
ラゥ・ハオは世話役の女性達に、ミハイルの料理は美味しいから習うといいと言っていた。
「余計なこと言うんじゃねえ。出された料理が一番美味いんだよ」
ぼそりと呟かれたミハイルの言葉に、ラゥ・ハオは深く感心していた。
「なるほど! ウン。イイねえ。なんか、オリガがミハイルを選んだ理由、すっごくワカルヨ。本当、イイ男だ」
「いや、あんたにわかられたくねえけどな」
勧められた位置に座ると、普段スープを飲むような深い器が手渡される。そこに、細い壺の中に入っていたものが注がれた。
それは、真っ白な飲み物であった。羊の乳かと思ったが、漂うのはほんのりとした酒の匂い。
「なんだ、これ?」
「馬乳酒ダヨ」
馬乳を発酵させたもので、酒の成分はほんのちょっと。普段、大人だけでなく、子どもまでもゴクゴクと飲んでいるらしい。
ラゥ・ハオは器を高く挙げて言った。
「デハ、新しい客人に、乾杯!」
ミハイルとオリガは、複雑な表情を浮かべつつも、器を掲げる。
一口飲んでみると、強い酸味に乳の濃厚な風味が口の中いっぱいに広がった。毎日食べている発酵乳のような味わいである。
これも癖があるように思ったが、二口目、三口目と飲んでいるうちに、だんだんと美味しく感じる不思議な飲み物だ。
料理は村で食べるものとまったく違った。
まず、どんと中心に置かれているのは、子羊の丸焼き。遊牧民の一番のごちそうである。他に、皿のように平たいパンが積み上げられ、羊の腸詰に、ジャガイモと香草を茹でたもの、羊の骨で出汁を取った白濁した塩のスープ、羊のチーズなど。豪勢な食事の数々であった。
匙やフォークなどはない。ナイフで突き刺して食べるらしい。スープは、器に口を付けて飲む。これが、遊牧民のマナーであった。
羊の丸焼きは世話役の女性達が切りわけてくれた。
一番やわらかく肩から背にかけての肉を、薄く切って木皿に載せてくれる。
ソースは白いものと、茶色っぽいものと、二種類あった。
「これ、こっちが美味しいヨ!」
ラゥ・ハオはミハイルの羊肉に茶色いソースをかける。
早く食べろと言うので、ナイフに刺して食べた。
子羊の肉は癖がなく、驚くほどやわらかい。ソースはねっとりしていて、独特の癖があるものの塩味と香草の味が利いており、肉との相性も良く、なかなか美味しい。
「ドウ?」
「いや、初めて食べる味だが、美味いな。これ、なんのソースなんだ?」
「羊の脳ミソ」
「は?」
ラゥ・ハオは、頭をトントンと叩きながら答える。
「だから、脳ミソ」
狩猟で肉を得て生活するミハイルとオリガであったが、さすがに脳みそまでは食べない。
そもそも、頭部は銃弾が残っていることが多いので、破棄していた。
まさか、脳みそがこんなに味わい深いものなのかと、ミハイルは信じられない気分になる。
一方で、オリガも口にしていたが苦手だったようで、発酵乳のソースを肉にかけていた。
「脳ミソは、嫌がる人、多いネ。一番のごちそうナノニ」
遊牧民は家畜から得るもの――皮、肉、骨とすべてを使う。脳みそも例外ではない。
ミハイルはしみじみと呟く。異国の文化は面白く興味深い、と。
「脳ミソはね、羊の肉や、ジャガイモにかけても美味しいヨ」
「……いや、もう、いい」
脳みそと聞いてしまった以上、手は伸びなくなってしまった。
女性達はどんどん、ミハイルとオリガの皿に料理を装ってくれる。
薬師は遊牧民の味に慣れているようで、料理を次から次へとパクパク美味しそうに食べていた。
ミハイルは羊肉の腸詰をナイフに突き刺して食べる。しっかり焼き色が付いていて、表面はカリカリしている。中は香草の味が強く、噛むと肉汁が溢れてくる。これもまた美味。
手の平よりも大きい、平たく丸いパンはナイフで切りわけられる。
「これ、綺麗だな」
パンの縁には、三つ編み状の生地が縁取っていて、中には花の判が押されている。
初めて見る、美しいパンであった。
ただ――。
「ん?」
何も付けずにミハイルはパンを頬張った。
食感はパサパサで、口の中の水分を持っていかれてしまう。小麦の味もしなかった。
例えるならば、布を噛んでいるとか、そんな感じ。
なんだこりゃ、と言いそうになって、慌てて口を閉ざす。
見た目は綺麗であるが、味は正直に言ってイマイチだ。
オリガも同じことを思っているのか、目を伏せながらモソモソとパンを食べている。
ラゥ・ハオは二人の異変に気付いたのか、話しかけてきた。
「ミハイル、脳ミソ、パンに付ける? 美味しいヨ?」
「いや……いい」
どんなジャムやソースを付けても、このパンに合うとは思えなかった。
「いつも食っているものと違うから……その、すまん」
「ううん、大丈夫ダヨ。パンは普通に不味いから!」
ラゥ・ハオはあっけらかんと言う。
見た目が綺麗なので、客をもてなす時には必ず出されるが、正直に言うと美味しくない。
パンは商人から買うことが多いと話す。
「このパンはあまり美味しくないけれど、パン焼きの技術を失わないために、月に一度焼くんだ」
パンを焼く組み立て式の石窯も持ち歩いている。一ヵ所、大きな石窯を作り、順番でパンを焼く。
保存が利くので重宝しているが、美味しくないので、好きな人はあまりいない。
そんなパンなので、好きになってもらうように女達は趣向を凝らし、さまざまな細工を施していたというわけだ。
「白星の村に、パンの作り方を教えてって、言ったけれど、ダメって」
「そりゃそうだろ」
美味しいパンがあったら、遊牧民の暮らしも豊かになる。
けれど、技術を大事にしている白星の村のパン職人は首を縦に振らなかった。
「だったら、俺が教えようか?」
「エ!?」
誰にも口外しないようにと言ってから、ミハイルがパン職人だったことを語った。
「ダッタラ、あそこで食べたパン、ミハイルの手作りダッタ?」
「正確に言ったら、あれは白星の村のパンに似せて作ったものだが」
「エエ、スゴイ!!」
ラゥ・ハオはミハイルの手を握り、ぶんぶんと手を振っただけでは満足できなかったのか、そのまま体を引き寄せて抱きしめた。
「うわっ、馬鹿、何すんだよ!」
「ダッテ、嬉しい!!」
ミハイルが嫌がった瞬間、オリガが二人を引き放す。
乱暴に肩を掴まれ、力いっぱい引かれたラゥ・ハオは、コロリと後ろへ転がっていった。
「ウッ! オリガ……ヒドイ!」
「嫌がることをするからだ」
ここで、薬師が「まあまあ」と仲裁する。
「仲良くシヨ?」
ラゥ・ハオは笑顔で手を差し出してくる。
オリガは渋々と言った感じで、手を握り返していた。
◇◇◇
ここに滞在する間、村の女性にパンの焼き方を教えることになった。
オリガは狩猟の技術を伝授することになる。
とりあえず、明日から。
今日はゆっくり過ごすように言われた。
オリガとミハイルのために、家屋が用意される。
中には羊の毛を縮絨させて作ったフェルト生地が敷かれており、かまどと衣装箱、布団など、生活に必要なものは揃っている。
調理器具や食料などもある。
鍋に茶器、木の皿、羊のチーズに乾燥麺、燻製肉。野菜はジャガイモのみ。平たい丸パンもある。
食生活はまったく違っていた。
春から夏にかけて乳製品を食べ、冬は家畜の肉を食べる。
野菜はほとんど食べない。栄養豊富な乳製品と肉が暮らしの要となっている。
「なんつーか、異文化だなあ」
「ああ、私も驚いた」
食事は一日二回。昼は茶と菓子を楽しむばかり。夜が正餐となる。
ラゥ・ハオは、昼が正餐であるミハイルとオリガのために、歓迎の意を込めて豪勢な料理を準備してくれたのだろう。
ここには一ヶ月ほど滞在する。その間に、家畜たちが草原の草を食べ尽くしてしまうらしい。
現在、二十日ほど滞在しているので、残りは十日。
「転々とするのは好都合かもしれねえ」
「そうだな」
ここは入り組んだ針葉樹林の森の奥地にある草原である。
しかし、相手の出方がわからない以上、一ヵ所に留まらないほうがいいとミハイルは思った。
今はできることをしよう。
夫婦は新たな目標を立てた。




