遊牧民と都の今
草はサラサラと揺れ、陽の光が優しく大地に降り注ぐ。
ラゥ・ハオは部下に水を用意するように命じた。
「ソーンツェ、良かったな、水がもらえるって」
ミハイルが鼻先を撫でながら声をかけると、ぶるると鳴いて返事をしていた。
「水が一番必要ナノハ君ダヨ?」
ラゥ・ハオに言われて、ハッとなる。指摘されてから、喉の渇きを思い出した。
樽の中に入った水をオリガが深い器に掬ってくれる。
ミハイルは一気に飲み干した。
「まだいるか?」
「あ、うん。いや、オーリは?」
「私は大丈夫」
その後、三杯の水を飲みほした。オリガと二頭の馬も水分補給する。
ホッと息を吐き出し、草むらに腰を下ろす。
ラゥ・ハオも目の前に座った。
「落ち着いタ?」
「ああ……」
ミハイルはラゥ・ハオに頭を下げる。
「助かった。ありがとう」
「イエイエ~」
運が良かったと、心から思う。
しかし、この救援もミハイルの下準備があってこそだった。
「薬師のじいさんに、会えたんだな」
「ウン。すっごく元気ダヨ」
「そうか……よかった」
ミハイルはラゥ・ハオへの救助を求める手紙を書いていた。オリガの狩った、とっておきのユキヒョウの毛皮とともに薬師に荷物を託して。
友人の危機に、ラゥ・ハオは大挙をなしておしかけるという、大袈裟な行動に出ていたが、今回、追っ手を脅すのに大いに役立ってくれた。
「あの、お爺サン、前から思っていたケレド、相当のキレ者ダヨネ」
「まあ、そうだな」
元皇帝の間諜である。切れ者でないはずかない。
どうやら、各地の遊牧民と接触し、ボケた老人を装ってさまざまな情報収集をしていたのだとか。
「お蔭サマで、たくさんの情報料を支払うコトニ、なったヨ。マ、役立つことだから、助かったケドネ」
薬師があまりにも有能なので、ラゥ・ハオは一族の一員にならないかと誘ったが、「遊牧は老骨に辛い」と、あっさり断られてしまったらしい。
「お爺サン、お茶をすすりながら、子守をシツツ、のほほんしているヨ。環境適応力もスゴいヨネ」
「そっか」
手紙を届けさせたことを悪く思っていたが、案外楽しそうに過ごしていると聞いてホットする。
「デモ、実際、あの人、何者ナノ?」
「さあな。俺とオリガにとっては、祖父みたいなもんだ」
「ソッカ」
現在、ラゥ・ハオは針葉樹林の森の南部に移住区を構え、女達は家畜の世話をしながら家庭を守り、男達は狩猟と交易活動を行っている。
「ココから一時間くらいダカラ、移動しよう」
代わりの馬がいるというので、借りることにした。
ルゥナとソーンツェは、ラゥ・ハオの部下が引いて来てくれるらしい。
皆、馬も含めてくたくたなので、お言葉に甘えることにした。
昼頃には、ラゥ・ハオの遊牧地に辿り着く。
地平線まで続く草原に、ただただ驚きの一言だ。針葉樹林の森の一部に、こんな場所があるなんて、と長年暮らしていたオリガも呟いていた。
広大な草原に、半円形の家屋がいくつも建てられていた。
「あれはパオ、ダヨ」
木を組み、上から羊の毛で作ったフェルト生地を被せた移動式の住居である。大人数名で、一時間ほどで組み建ててしまうとのこと。
内部には二本の柱があり、屋根を支えている。
中は絨毯が敷かれていて、天井には太陽の光が差し込む窓がある。簡易的なかまどに寝台などもあり、立派な住居だった。
「へえ、すごいな」
「でしょ?」
ミハイルの反応を見たラゥ・ハオは鼻高々、という様子であった。
続いて、薬師のもとへと連れて行ってもらう。
「――んん?」
何やら、家屋の前に子ども達が大勢固まっている場所があった。
二十人くらいいるだろうか。
「ああ、あれね。老師ハ、みんなに物語を、語ってイルンダ。それが、子どもニ、大人気」
「へえ」
ラゥ・ハオが「老師」と、薬師を呼ぶ。
『あ、ハオ様だ!』
『おかえりなさ~い!』
『今日は早かったね!』
ラゥ・ハオを取り囲むようにわらわらと、子ども達が駆け寄って来る。
『あれ、この人は?』
『すご~い。きれいなおねえさんとおにいさんだね』
『老師さまのお友達?』
子ども達の前にしゃがみ込んだラゥ・ハオは、優しく話しかける。
『そうだよ。ちょっとお話したいから、向こうで遊んでくれる?』
『わかった!』
『またあとでね!』
『行って来る!』
二十人もの子ども達は、風のようにぴゅうっと走り去って行った。
子ども達がいなくなると、薬師の姿を確認することができた。ミハイルは思わず駆け寄り、無事を確認した。
「じいさん……」
「ミーシャさん、よかったです」
ミハイルは薬師の体を抱きしめ、耳元で礼を言った。
「いいですよ。お気になさらず。小旅行みたいで、楽しかったです」
家屋の中へ移動し、これまでの経緯を話すことになった。
ラゥ・ハオも同席する。
部屋の中にテーブルはない。床に敷物を敷いて、飲食するらしい。
薬師はかまどに火を入れる。
草原は夏とはいえ、風が強く少々肌寒い。
じんわりと、温かくなる。
薬師は火口に鍋を置き、壺の中に入れていた羊の乳を注いだ。
途中で、布に包んだ紅茶を投下する。仕上げにパラパラと振りかけたのは岩塩。
「どうぞ。お疲れでしょう」
おたまからカップに注がれた、乳白色の茶が差し出される。
「ここでよく飲まれている、乳茶というお茶です」
ミハイルは礼を言って受け取って、口にする。
強い乳臭さと、薬草の濃い味が主張しあっている。少々癖があるが、飲んでいくうちに美味しく感じた。汗が引いて冷え切っていた体も、ポカポカしてくる。
「あ、お菓子ももらったんですよ」
近所の奥方が作って持って来てくれたお菓子を、薬師は出す。
練った小麦粉を一口大に千切り、揚げたあと砂糖をまぶしたものだった。
「小麦揚げという名前らしいですよ」
ほのかな甘みのある、素朴な味わいのお菓子だった。
ひと息吐いたあと、ミハイルは現状を語った。
「村に出入りしていた商人に売られそうになった」
「さようでございましたか……」
薬師もある程度予想していたのだろう。神妙な面持ちとなる。
今回、緑星の村で聞いた情報によって、いろいろと準備を整えることができた。
「チミールのオッサンには感謝をしないとな」
「ああ、そうだな」
村に帰ったら、礼を言いに行こう。そう呟いて、ミハイルとオリガは顔を伏せる。
果たして、村に帰れるのかと。
「大丈夫です。帰れますよ」
薬師はミハイルとオリガを励ますように言った。
「これは、元気付ける言葉ではありません。本当のことです」
薬師は語る。
都は現在内戦状態にあり、反乱軍と国は共倒れ寸前であると。
「ウヴァーロフ家は、ミーシャさん、あなたの出生についてどこからか嗅ぎつけたのかもしれません」
ここで、驚くべき事実が判明する。すでに皇帝は崩御していると。
皇族も反乱軍の手によって処刑され、国は傾く一歩手前だった。
「商人には、相当の金を積んだのでしょうね。一大事ですから」
傾いた国を立て直すための駒として、皇帝の血を引くミハイルを捕えようとしていたのだ。
「その情報はどこから?」
「半月ほど前に、収容所から逃亡したお貴族様から聞いたのですよ」
その者は反乱軍側ではなく、皇帝を支える宰相一家であった。
隙を見て逃亡しているところ、遊牧中のラゥ・ハオに出会い、現在保護しているとのこと。
「私がウヴァーロフ家の裏切り者だと言えば、ペラペラと話してくださいました」
近い未来、国は滅びるだろう。薬師は断言する。
「ウヴァーロフ家は没落寸前。ユスーポフ公爵家は、あなたを死んだものとして、処理しているようです」
なので、上手い具合に身を隠していたら、国は勝手に滅び、ミハイルを狙う者もいなくなる。
「問題は、ラゥ・ハオさんが私達を匿ってくれるか、ですが……」
皆、視線をラゥ・ハオに向けた。
厄介事を抱える一行なので、ここを出て行くように言われる可能性があったが――。
「イイヨ! 友達ジャン!」
ラゥ・ハオは笑顔を浮かべつつ、答えた。




