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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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時は迫る

 自由市に出す虫刺され薬と虫除けを作るために、森の中でせっせと薬草を採集する。


 虫除けの材料は薄荷の葉。

 虫刺され薬の材料は魚腥草ぎょせいそう


 犬を引き連れ、野生動物に警戒しつつ、採取を行う。半日もしていたら、手が草色にそまってしまった。

 ミハイルとオリガは互いの手先を見て、笑い合う。


 帰りがけ、川に寄る。先日ここに、仕かけ罠を沈めていたのだ。

 罠は網を重ね、入り口は大きく出口は小さく作り、一度入ったら出られないようにしておく。

 ミハイルは紐を掴んで、一気に引いた。


「重たっ!」


 ザバリと、川から上がったのは、体長七十センチほどの『シェーカ』と呼ばれるカワカマスである。


「うっわ! すげえ、でかい! なんだこれ」

「たまに、大きな魚もかかるんだが、今までの中でも一番だな」


 餌はミハイル特製のパンだった。


「ミーシャのパンに誘われたのだろう」


 他にも、小魚が数匹かかっていた。稚魚は川に放ち、成魚は持ち帰る。

 魚を獲ることは、商売にしない限り許されている。ただし、家庭菜園同様、必要最小限というのは暗黙の了解だ。


 ビチビチと跳ねるシェーカを網から出し、ミハイルは体を押さえつける。

 オリガはナイフを取り出し、エラ部分にサックリと刃を入れた。一撃で息絶える。その後、血抜きをして内臓を抜き取り、頭と尾を切り落としてから持ち帰った。

 食べない部位は川に流す。そうすれば、他の魚の餌となるのだ。


 帰宅後。昼食の準備に取りかかる。

 身は厚く輪切りにした。大きい魚なので、一人一切れずつ。

 鉄板に身を置き、周囲に香草、スライスしたタマネギ、キノコ、ジャガイモを並べた。


 塩胡椒を振りかけ、ここで一回かまどの中で焼く。

 その間、ソースを作る。

 器に卵黄、酢、塩を入れて混ぜた。白っぽい色合いになるタイミングで油を少量ずつ垂らして混ぜるを繰り返す。黄色みがかったら完成。塩胡椒で味を調える。

 これは『マイアニェース』という子どもも大人も大好きなソースである。

 それに、刻んだ茹で卵とタマネギを入れて混ぜ、かまどの中の魚と野菜にかけてさらに焼く。

 ソースに焼き色が付いてきたら、『シェーカと野菜のかまど焼き』の完成だ。

 鉄板ごと食卓に運ぶ。

 オリガの焼いた、クレープ状の薄いブルヌイに巻いて食べる。

 皿に魚と野菜を移した。

 食事の準備が整ったので、森の神に祈りを捧げる。


「よし、オーリ、食おう」

「そうだな」


 オリガはナイフで器用に身を裂き、一口大に切りわけた。野菜と身をブルヌイで巻く。

 器用な手つきでくるくると巻く様子を眺めていたら、完成したばかりのブルヌイ巻きが口元に差し出された。


「ミーシャ、どうぞ」

「え!?」


 どうやら、オリガが手ずから食べさせてくれるらしい。

 そういうつもりはなかったので、ぶんぶんと首を振ったが、最初からミハイルにあげるつもりだったと言われ、素直に食べることにした。

 あまり大きくはなかったので、一口で食べる。


 オリガ特製のブルヌイの生地はもちもち。ほんのりと塩味が利いているのが良い。

 中の野菜は甘味があって、シェーカの身はふっくら。ソースに刻んで入れたタマネギと卵が、味わい深いものにしてくれる。


「どうだ?」

「美味い」


 その感想に、にっこりと微笑みを返してくれた。

 オリガは二個目を作ると、パクリと口にする。

 食べた感想は、聞かなくても表情を見ていたらわかるものだった。


 じっくりと川魚を堪能し、昼からは薬作りを行う。


 ミハイルは虫除けを作り、オリガは虫刺され薬を担当する。

 各々わかれて、作業開始となった。

 ミハイルは薬師から譲ってもらった大きな蒸留釜で、精油を取る。

 連日、大量の薄荷を摘んできているが、精油はほんのちょっとしか得られない。

 基本、薬作りは屋外で行う。室内ですると、薬草の匂いが染み付いて大変なことになるのだ。

 外に作った石かまどに蒸留釜をかけて、精油を抽出している間、ミハイルは薪割りや犬小屋の掃除、愛馬のブラッシングなどを行う。


 薄荷の精油、酒精、精製水と材料が揃ったら、煮沸消毒した瓶に入れて混ぜるだけ。

 本日は三本ほど完成した。

 オリガは五本分、虫刺され薬を作ったようだ。


 毎日森に行っては薬草を摘み、昼から薬作りを行う。

 自由市前日までに、虫除け三十本。虫刺され薬五十本を用意した。


 ◇◇◇


 自由市当日。


 人混みの中を、ミハイルとオリガは荷物を手にした状態で進んでいた。

 天幕は村の色によってわかれていたが、青星の村の青い色は少ない。


「うちともう一つしかねえじゃねえか」

「本当だな」


 冬に向けて、靴や帽子を作る毛皮を求めにくるかもしれないと、マカールから聞いていたので、キツネとリスの毛皮を少しだけ持って来ている。


 天幕の下に辿り着くと、見知った顔がひょっこりと顔を覗かせた。


「あ、ミーシャだ」

「おう。ロージャじゃねえか」


 ミハイルとオリガの他に出店していたのは、『仕立屋 愛しきヴェローニカ』の一人息子、ロジオンであった。

 数ヶ月に一度、店にある売れない商品を持って来ているのだと話していた。

 商品台の上に並んでいるのは、分厚い本に絹の白いリボン、クマのぬいぐるみ、木彫りのリス、大きな弓矢など。


「祖母ちゃんがなんでも交換しちゃうから、いろいろ集まっちゃうんだよねえ」

「大変だな、ロージャも」

「そうなんだ」


 視線を商品台に移す。すると、絹のリボンが目についた。一言断ってから手に取る。


「これは?」


 田舎の村にあるのは珍しい、白い生地に白い糸で花の刺繍が刺された絹のリボンである。

 一見無地に見えて、実は刺繍が入っているという、なんとも小洒落たものであった。


「ああ、それはオルスのおじいさんが、一年前にお貴族様の収容所を見に行った時に、すれ違った貴族から口止め料としてもらったものなんだって」

「約束守ってねえじゃねえか」

「まあ、だよね」


 絹のリボンは一年間誰も交換を申し出なかったので、今回持って来たらしい。

 つるりと手触りがよく、薔薇のような花の刺繍は繊細で美しかった。


「ロージャ、これ、交換してくれないか?」

「え、いいの?」

「ああ」


 リスの毛皮三枚でいいと言うので、ミハイルは絹のリボンと交換した。

 ロジオンから受け取ったリボンを、そのままオリガに手渡す。


「はい」

「え?」


 差し出された絹のリボンとミハイルの顔を交互に見ながら、オリガは驚きの表情を浮かべる。


「オーリの金の髪に合いそうだと思って」

「あ、ありがとう。ミーシャ」


 オリガはリボンを受け取った。


「でも、似合うだろうか」

「似合うに決まってんだろ」


 ミハイルはオリガの手からリボンをするりと取り、三つ編みの結んでいる紐の上から、絹のリボンを巻いて結んだ。


 リボンを結んだその様子をじっと眺め、コクコクと満足げに頷く。


「うん。やっぱ、すげえ似合う」


 オリガは恥ずかしそうに、頬を染めていた。嬉しそうにも見える。

 そんな幸せいっぱいな夫婦の隣で、ロジオンは小さな声で呟く。


「いいなあ、仲良しだなあ……早く結婚したくなる」


 そんなロジオンの羨望の眼差しに気付くことなく、夫婦は店の準備を始めていた。


 そして、自由市の開店時間となる。

 出店する人々が行き来するだけで大混雑をしていたが、店が開かれると、さらに人混みが激しくなっていった。


 始まって早々、見知った顔が訪れる。


「ミハイルさん、オリガさん!」


 元気よく現れたのは、結婚を夢見る少女ニーカであった。


「わあ、オリガさん、そのリボン、可愛い!」

「あ、ありがとう」


 お喋りなニーカは、早速オリガのリボンを似合うと大絶賛していた。オリガは照れながらお礼を言う。


「私も野菜を売っていて、よかったら来てね」


 一方的にそう言って、いなくなる。

 ここで、そろそろとミハイルに近づいたロジオンが話しかけてきた。


「ねえ、ミーシャ。今の子、誰?」

「ニーカだ。サーヴァの親戚の子だよ」

「そ、そうなんだ。可愛いなあ」


 どうやら、ロジオンはニーカを気に入ったように見える。


「サーヴァに紹介してもらえよ」

「え、でも~」

「遠慮すんなって」

「そうかな。だったら」


 その後、ロジオンは上の空だった。ニーカのことを考えているのだろう。大丈夫なのかとミハイルは心配になる。

 しかし、彼を気にしている場合ではなかった。

 チミールが宣伝していたからか、薬は飛ぶように売れる。客が絶えなかった。

 たった半日で、薬は完売となる。


 ミハイルとオリガは、ロジオンの羨望の眼差しを浴びながら撤退する。


「オーリ、売り上げを交換に行こう」

「そうだな」


 ここでは、物々交換をしない。

 商人が管理しているお金代わりの札でやりとりするのだ。


 まず、自由市で買い物をしたい人は商人に野菜や魚、肉などを持って行き、査定してもらう。そこで、品物の価値に応じた、金、銀、銅などの札をもらうのだ。

 店側は商人に札を持って行くと、品物と交換してもらえる。

 商人は自由市主催の黒星の村より、商品を査定し、札に交換する仕事の報酬を受け取れる以外にも旨味がある。

 例えば、ジャガイモ十個に対して、銅の札を三枚発行する。

 札をジャガイモに交換したい者が来た時に、三枚で八個交換するのだ。うちの二つが、商人の取り分となる。

 札は自由市に来ればいつでも交換できるので、食べきれない量の食料に困ることもない。

 札を持ち帰って、次の自由市で交換するものいい。

 また、自由市で札を交換する商人は何人もいて、選べるのがいいところだろう。

 これが、自由市の仕組みであった。


 ミハイルとオリガは、売り上げを金と銀の細工に交換した。これならば、持ち運びに便利だし、どこでも換金ができる。


 家にあった毛皮も持ちこんで、交換してもらう。

 夏なので、相場が低くなってしまったのはもったいないが、今は金になる物が必要だった。

 宝石や漢方薬にも交換する。


 帰宅後、金細工と銀細工は柔らかな布に包み、宝石は服に縫い付けて厩に持って行く。

 先日ミハイルが作った地下収納に入れて、上から藁を被せた。


 夕食はパンと野菜の酢漬けと、燻製肉。

 スープは朝の残り。ささやかな食卓を囲む。


 その日は疲れているのに、ミハイルとオリガはなかなか寝付けなかった。


 翌朝。

 オリガはスープを作り、ミハイルはパンを焼く。

 家畜の世話をしなくてもいいので、朝はずいぶんと楽になった。


 朝食を食べながら、話し合う。

 議題は一つしかない。逃亡準備は整った。タイミングはいつがいいのか、である。


 なるべく、ここは離れたくない。しかし、それもウヴァーロフ家の追っ手が許してくれなかった。


「薬師のじいさんの帰りは待っていられないな。今日か明日か、なるべく早いほうがいい。だが、俺は――たぶん、この村に未練があるんだと思う」

「ミーシャ……」


 ミハイルは自分のせいで村を離れることになったことを、謝罪した。


「いや、構わない。私はミーシャのいるところならば、どこでも幸せだから」


 オリガのほうが、腹を括っていた。

 ミハイルも、決心しなければならない。


「だったら、今晩にでも――」


 最後のパンを呑み込んで、続きを言おうとしたが、それと同時に、ドンドンドンと扉が叩かれる。

 ミハイルは喉にパンが詰まりそうになり、果実汁で流し込んだ。

 こんな時間に、人が訪れることなどありえない。来るとしたら――。

 ミハイルとオリガは顔を見合わせ、さっと顔色を青くする。


 もう一度、ドンドンドンと扉が叩かれた。


「すみません、旦那様!」


 聞こえて来た声は、顔馴染みの商人のものであった。


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