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移動

 緑が輝く森を、ミハイルとオリガは馬に跨り、常歩で進んで行く。

 まだ日も沈んでおらず、時間に余裕があった。

 なので、ゆっくり話しながら、青葉の季節を迎えた並木道を進んで行く。


「そーいや、こうしてルゥナとソーンツェを並ばせて走るのは初めてだな」


 ラゥ・ハオより譲り受けた馬、額に三日月模様のある葦毛のルゥナと、白地に灰のブチ模様のあるソーンツェ。ミハイルとオリガが互いに名付けあった愛馬である。

 今日まで忙しく過ごしていたので、二人で出かけるという機会もなかなかなかった。


「たまにはどっか行ったりしないとな」

「そうだな。もう少し落ち着いたら、ミーシャと自由市に行ったり、湖に行ったり、したい」

「いいな。自由市に出店するのもいいかもしれねえ。毛皮は今の時季に出品するのはもったいないから」


  夏季の間、毛皮はあまり売れない。なので、青星の村の住人は白樺の木で皿やカップを作ったり、森で採れた木の実やキノコを売ったりしている。

 青星の村は森の一番深い場所にあるので、白樺の木も多く、キノコやベリーの種類や量が豊富。素材はたっぷりと揃っているのだ。


「問題は何を売るか、だが……」


 オリガは眉間に皺を寄せ、真剣に何を店に並べるか考える。


「ミーシャのパン屋は――ダメだな」

「一番ダメなやつだ」

「本当にもったいない。世界一美味しいパンなのに」


 ミーシャは思う。パン屋に関しては、何も未練がなかったなと。


「しかし、都に住んでいた頃はパン屋になるために、仕事を頑張っていたのだろう?」

「う~ん、どうだろ。やっぱ独立したいって気持ちが強かったんだと思う」


 その時のミハイルには、パンを作る以外の働く術を知らなかった。なので、毎日一生懸命、パンを焼いていた。


 ここに来てから、パン屋を開きたいと思ったことは一度もない。


「確かに、客にパンが美味しいって言ってもらったり、同じ人がパンの味を気に入って通ってくれたりするのは嬉しかったけど……」


 また、その気持ちを味わいたいとは思わなかった。


「俺、気付いたんだ。オーリがパンを美味いって言ってくれるだけで満足なんだって」


 なので、ミハイルはオリガのためだけに、毎日パンを焼く。

 最近は二人でパンを焼くことも多くなった。失敗することもあったが、変な形のパンが焼けたりするもの面白い。また、大失敗の真っ黒になったパンも、食材の消臭効果があり、利用価値がある。

 新しい発見や楽しみがあった。

 以前よりも、ミハイルはパンを焼くことが好きになっていた。


「ミーシャ、ありがとう」

「あ、いや……」


 言ったあとで、恥ずかしくなる。

 照れ隠しをするように、大きな声を出す。


「急ぐぞ!」

「ああ、わかった」


 次第に陽も傾いて来たので、馬の足を常歩から速足に変えた。

 ミハイルとオリガは緑星の村まで移動する。


 ◇◇◇


 青星の村から緑星の村まで、馬の常歩と速足で二時間半ほど。

 辿り着いた頃には、すっかり夕焼け空だった。


 昼間は人でいっぱいだった緑星の村も、閑散としている。

 馬から降りて、出入りの商人が利用する厩にルゥナとソーンツェを預けた。

 ミハイルとオリガは茜色に照らされた村を並んで歩く。


「おい、オーリ。チミールのおっさんの家、わかるか?」

「ああ、そこの道をまっすぐ行って――」


 依頼主であるチミールの家に向かおうとしたその時、背後からミハイルの名を呼ぶ者が現れる。


「わ~い、ミーシャだーー!」


 ミハイルとオリガが振り返ると、三つ編みにそばかすのある少女がぶんぶんと手を振って走って来ていた。


「ミーシャ、あれは誰だ?」

「ニーカ。サーヴァの親戚の娘だ」

「ほう?」


 オリガは目を細め、駆けて来るニーカを見つめていた。


「わ~。びっくりした。どうしたの? サーヴァ叔父さんは?」

「いや、サーヴァは来てない。今日はチミール・レナートヴィチの依頼のために来たんだ」

「あ~、太っちょのチミールおじさん。いつもにこにこしていて、良い人なんだよ」

「だな」


 ニーカは隣に立つオリガに気付いていないのか、どんどんミハイルに話しかける。


「お仕事って、もしかして夜の猟?」

「まあ、そんな感じだ」

「ええ、すご~い!」


 ここで、ニーカは何かを思い出したのか、ポンと手を打つ。


「そうだ! 今日、私がスープを作ったの。ミーシャも食べて行ってよ!」

「あ、いや」

「大丈夫、い〜っぱい作ったのよ」


 腕を掴み、グイグイと引っ張る。が、ここで、オリガがミハイルとニーカの間に割って入った。

 猛虎の目で、ニーカを見下ろす。そして、低い声で話しかける。


「すまないが、これからチミール・レナートヴィチのところへ行かなければならない」


 オリガを見上げたニーカの動きがパタリと止まる。口をポカンと開け、頬を赤く染めていた。


「……どうした?」

「す」

「す?」


 パッと両手を広げて、ニーカは大袈裟な様子で驚いていた。そして、その理由を口にする。


「すっごい美人さんだ!! なんだろう、すっごい美人さんだ!!」


 オリガの美しさに当てはめる言葉がなかったのか、ニーカは同じ言葉を二回繰り返した。


「こんなに綺麗な人、見たことな~い!」


 手放しで褒められたオリガは、すっかり毒気を抜かれたようだった。


「ねえ、ミーシャ、この綺麗な人は?」

「妻のオリガだ」

「え、嘘! オリガって、猛こ――もがっ!」


 ニーカが余計なことを言う前に、ミハイルは口を塞ぐ。

 何やらもごもごと言っていたが、聞き取れなかった。


「ミーシャ、くるしい~!」


 オリガは二人の様子を見て、親しいなと呟く。


「いや、親しくねえし」

「だが、ミーシャと呼んでいるだろう」

「あ!」


 ここで、ミハイルは気付く。


「そーいや、名前、きちんと名乗っていなかったな。俺の名はミハイル・イヴァーノヴィチ・リューリク」

「あれ、ミーシャは名前じゃなかったんだ!」

「そうだよ」

「知らなかった。ごめんなさい、ミハイル」

「ミハイルさん、だ!」


 ミハイルはニーカの耳を引っ張りながら、忠告しておく。


「す、すみませんでした、ミハイルさ~ん!」


 パッと手を離すと、ニーカはえへへと笑うと、「また今度」と言って、走って去って行った。

 嵐のような少女だと、オリガは思う。


 それはともかくとして、早くチミールのもとに行かなければ。

 けれど、どうしてか去りゆくニーカから目が離せない。


「オーリ、どうした?」

「いや、ちょっと、いろいろびっくりして」

「びっくり?」


 オリガはしどろもどろと話しだす。


「なんか、ミーシャって、親し気に呼んでいたし、すごく、触れ合っていたし、なんだか、モヤモヤして」

「いや、サーヴァの親戚だし、あいつは子どもだし」

「でも、私は……あまり、というか、すごく、面白くなかった」

「そう、か。あ、だったら、悪かった」


 その後、黙ったまま薄暗くなってきた道を歩く。オリガはこの気持ちはなんなのかと、物思いに耽る。

 五分ほど歩き、チミールの家に到着した。


「こんばんは、お待ちしておりました!」


 チミールはパンと塩、スープでミハイルとオリガを歓迎してくれた。

 持って来ていたサンドイッチは、夜食にしようと、小声で打ち合わせをする。

 奥方は背の低い、細身の美人で、三歳くらいの可愛らしい子どもと共に紹介してもらった。


「妻のアンヌと、三男のジールです」


 チミールには子どもが三人いて、長男と次男は成人している。久々にできた子どもが、ジールであった。


「はじめまして、ミハイルさん。オリガさんは久しぶりね」

「ああ、息災のようで何よりだ」

「ええ、私と子ども達はみんな元気。でも、主人がねえ……でも、今日の治療でだいぶ良くなったみたいで。ミハイルさん、主人の体を治してくださり、ありがとうございました。本当に、助かりました」

「いえ、それほどでも」


 チミールは作業小屋での仕事があるようで、出かけてしまった。

 根菜の入ったスープと、丸いパン、塩が食卓の上に並べられる。

 神に祈りを捧げ、食事を取ることにした。

 オリガは食事が進んでおらず、アンヌがどうかしたのかと声をかける。


「いや、先ほどからわからなくて……」


 モヤモヤした気持ちのすべてを、オリガは淡々と語った。


「この胸のすっきりしない感じは、いったいなんなのかと」

「それはね――」

「!」


 耳元で囁かれた言葉を聞いたオリガは、合点がいったような表情となる。


「でも、うん。夫は……大丈夫だと思う」

「あらあら、羨ましいこと」


 オリガの耳元で囁かれた言葉は――嫉妬。

 若くて可愛いニーカがミハイルをミーシャと呼び、親しげに話をしている様子を見て、気持ちが向こうに靡いてしまうのではないかと、やきもきしてしまったのだ。


 この感情は初めてのことだったので、いったいどうしたのかと悩んでいたが、深いようで単純な気持ちだった。


 オリガが嫉妬をしているなんてことを夢にも思っていないミハイルは、女性陣の秘密話に首を傾げていた。


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