お仕事のあれやこれ
緑星の村にいる、オリガの知り合いがミハイルの按摩を受けにやって来た。
薄い茶色の頭髪に、ずんぐりとした体つきをした初老の男で、名をチミール・レナートヴィチ・コチェルキン。広大な畑を所有する小麦農家である。
「いや~~、今年は忙しくてですね!」
体を痛めてしまい、動くのも辛い。そんな状態にまで体を酷使していた。
「人伝いに按摩の噂を聞きましてね、これはもう、試さなければと」
しかし、気付いた時には遅かった。予約が殺到していた状態で半月待ち、ようやくチミールの番が回って来た。
「あんまり知られていないけれど、特に酷い患者に限って、午後からも施術受付をしているんだ」
「あ~、それは存じませんでした」
ぐっ、ぐっと、体を親指で押しつつ、ミハイルは思う。豊満に見えるチミールのその体は、筋肉がしっかりついていた。彼もまた、仕事で鍛えられた働く男の肉付きをしている。
しかし、ありえないほど凝っていた。筋肉がガチガチに固まっている。辛かっただろうと、優しい言葉をかけた。
「ありがとうございます。本当に、今まで痛くて、痛くて……」
「猫背にもなっているから、矯正しなきゃなあ」
猫背は、体に悪影響を及ぼす。
筋肉は血行が悪くなり、重心が前に行くので、肩や首に負担がかかる。
また、内臓にも負担をかけると、薬師は話していた。
「恐ろしいですねえ。しばらく、通わせていただきます」
「ああ、それがいい」
そんな話をしながら、施術を続ける。
ミハイルが居間で按摩をしている時オリガも一緒にいて、自分で染めた布で小物を作ったり、リスの毛皮をやわらかくする工程を行っていたりしている。
今日はいらなくなった布で雑巾を縫っていた。
そんな彼女に、チミールが話しかける。
「しっかし、オリガさんが結婚したって聞いて、驚きました」
独身時代のオリガは孤高のトラのような空気を纏っていた。剣呑さがあり、他人を近付けることを許さない凄みと迫力があった。
「でも今は、なんだか猫みたいに穏やかになっています」
「なんだ、トラとか猫とか」
「言われたことありません?」
「いや、ないな」
ミハイルは吹きだしそうになるのを、唇を噛んで耐える。
クマ殺しの狩猟の腕から呼ばれるようになった『猛虎のオリガ』の異名を、当の本人は知らないのだ。
「それに、前よりもずっと綺麗になりましたね~」
それは、ミハイルも心の中で同意する。時折、ハッと見惚れることもあった。
出会った当時は強い眼差しと、凛とした姿に魅入ってしまう瞬間が何度もあった。
けれど、今は色っぽいというか、儚げというか、女性らしい美しさがある。
チミールの言う通り、トラというよりは、猫のようだった。
『気まぐれ猫』のご婦人方と交流するうちに、いろいろと感化されたのかもしれない。ミハイルはそんな風に考えていた。
「やはり、旦那様のために、綺麗になったのでしょうね、イタタタタ!」
「あ、悪い」
一番凝っている患部の血流を良くするために親指でぐっと押したら、チミールは悶絶し始める。我慢してくれと言ってから、もう一度同じ箇所に力を込めた。
はあはあと、チミールの息遣いが荒くなる。
初めは気持ちいいばかりであったが、凝った場所の治療は痛みを伴うものであった。
「ああっ……す、すごい、こんな痛くて気持ちいいの、初めて……です」
じっとりと汗をかき、息を整えながら小さな声でチミールは呟く。
その物言いは、初夜を迎えた少女のよう。口にしているのは、初老のオヤジであるが。
「変な声出すなよ……」
「す、すみませぇん」
仕上げに、薬師から教わった薬草湿布を背中に塗る。
これは最近習ったもので患者からも気持ちが良いと評判であった。
作り方は簡単。森で採れた苦ヨモギ、オオバコ、サルナシの葉など、数種類の薬草を乾燥させ、乳鉢で粉末にしたものを酒と共に煮詰め、ドロドロになったら完成。
「ひゃあ、冷たい。こ、これが、薬草湿布、なんですね」
「薬師のじいさん直伝のな。しばらくそのままで」
「わかりました」
オリガはミハイルのために、濡れ布巾を用意してくれていた。まず、湿布が付着していた手を拭い、二枚目で額や首の汗を拭く。
外の井戸から汲んだ水に浸していたので、冷たくて気持ちが良い。
「オーリ、ありがとう」
お礼を言うと、オリガはふんわりと優しい表情になる。あまりの可愛さに、その場で悶えそうになったが、仕事だと思い出して顔をキリリと引き締めた。
そんな二人の様子を眺めていたチミールが、寝転んだ体勢で目を細めながら言う。
「ふふふ、『オーリ』ですかあ~~。いいなあ、新婚さん。仲睦まじいご様子で」
他人の前ではオリガを「オーリ」と呼んでいなかったのに、ついついいつものようにうっかり口にしてしまった。ミハイルは振り返り、にやにやしているチミールに、「こっち見んな」と叫ぶ。顔を真っ赤にしながら言うので、照れているのを隠しきれていない。
施術後、チミールはオリガの作ったスープとミハイルのパンを食べながら、ある話題を振る。
「ああ、そうだ。オリガさん、今年も例のものをお願いしたいのですが」
「そうだな……」
例のものとはいったい? ミハイルはオリガに視線で問いかける。
「害獣退治だ。チミール・レナートヴィチの畑には、シカやイノシシが夜間にやって来る」
「ああ、なるほど」
チミールは毎年、オリガに退治を頼んでいたらしい。今年も頼めないかと、通院ついでに依頼しようと思っていたのだと話す。
「ご結婚されたと聞いて、夜はお忙しいかなと思い、別の猟師に依頼をしたのですが、その日に限って現れなくて」
夜は忙しいの意味がわからず、ミハイルとオリガは目をパチクリと瞬かせる。
「夜? 別に忙しくねえけど」
「おや、では、朝も昼も関係なく?」
「昼と夜は、まあ、そうだな。今は禁猟期だから」
「そ、そうですよね。いやはや、お若い……」
忙しくないのならばいいかと、チミールは一人納得したように頷いていた。
「それで、話を戻しますね」
ほとんどの農家が成功報酬であるが、人の良いチミールは来てくれただけでありがたいと言い、成果のなかった猟師に礼として小麦一袋与えた。
それを何回か繰り返していたら、奥方に文句を言われてしまったようだ。
「すみませんがオリガさん、夜の害獣退治をしていただけたらなと、思っているのですが」
オリガはちらりとミハイルを見る。どうしようか、迷っているらしい。
「俺のことは気にするな。オリガはどう思う? それを教えてくれ」
今の生活は、ミハイルの施術院のおかげで安定している。危険な夜の狩猟など、する必要はなかった。
しかし、長年オリガを頼って害獣退治を依頼するチミールの申し出を無下に断るのもどうかと思う。
考えていたことを、そのままミハイルに伝えた。
「ああ、すみません。もちろん、無理にとは言いませんので」
ミハイルは横目でオリガを見る。表情を見る限り、依頼を受けたいような感じがしていた。
しかし、以前、夜の狩りのことで揉めたことがあった。なので、行きたいとは言えないのだろう。
ミハイルは瞼を閉じ、一瞬で腹を括る。
「オリガ、引き受けよう」
ハッとするように、オリガはミハイルを見る。
「ミーシャ、いいのか?」
「ああ。だが、俺も一緒に行く」
「ミーシャも?」
夜の村に、オリガ一人で行かせるわけにはいかない。なので、ミハイルも共に行くことにした。
「わあ、ありがとうござます!」
チミールは感激しきった様子で立ち上がり、頭を深々と下げている。
「糞を見る限り、今年はシカではないのかと、青星の村の猟師さんは言っていました」
「シカ、ね……」
以前聞いた『キタキツネの会』の組合員の言葉を思い出す。
シカは草食で、春の若い芽や色濃く染まった夏の葉をたくさん食べているため、しっかりと脂が乗っていて美味い。
さらに、栄養豊富な緑星の村の草花を食べているのであれば、さらに肉質は良いだろう。
香草をしっかり揉み込んで串焼きにしたり、やわらかくなるまで煮込んだスープにしたり、塩胡椒で焼いて、赤葡萄酒のソースをたっぷりとかけたり。
ミハイルはまだ見ぬ初夏のシカ肉に思いをはせる。
「それで、いつくらいがよろしいでしょうか?」
オリガは再度、ミハイルを見る。判断は任せたと言いたいのだろう。
「あ~、なんだったら、今晩からでも?」
まず、オリガの顔を見ながら言ってみる。問題ないと頷いていた。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
被害はわりと深刻なようで、チミールは喜んでいた。
こうして、ミハイルとオリガは夜のシカ退治の依頼を受けることになった。
◇◇◇
チミールと別れたあと、夜の狩りに備えて、仮眠を取る。
三時間ほど眠り、そのあとは銃やナイフの準備に取りかかった。これは、ミハイルが担う。
オリガは台所に立ち、弁当を作っていた。
丸いパンを真ん中から二つに切りわけ、潰したジャガイモにみじん切りにしたタマネギ、チーズ、燻製肉、スメタナを混ぜたものに塩胡椒で味付けしたものを挟んだ。
パンを籠に入れたら、準備万端。
外に出ると、ミハイルがオリガの分のライフル銃を背負っていた。
「オーリ、行くぞ」
ミハイルの言葉に、オリガは頷いた。




