オリガのために
生きていたことを喜ぼう。オリガはそう言ったが、実際は落ち込んでいた。
目を伏せ、物思いに耽っている。表情から、後ろ向きのことを考えていることは、ありありとわかった。
ミハイルは美味しいものを食べて元気になってもらおうと、腕によりをかけて夕食を作る。
一昨日買った鮭はバターで焼いて、ホウレンソウとチーズのソースをかける。続いて作ったのは、ビーツにスメタナと香草を加えたサラダ。
ジャガイモとイワシの塩漬けでグラタンを作り、ミルクをたっぷり使ったスープも作った。
最後にパンを焼く。スメタナとキャラウェイを練って混ぜ込んだ『バラブースキー』というもの。簡単だが、酸味とプチプチの食感が癖になる美味しいパンだ。
食卓にズラリと料理を並べて、居間にいるオリガを呼びに行った。
「おい、料理できたぞ」
「あ、ああ。すまない、手伝いができなくて」
「気にすんなって。言ってたろ? 春はゆっくりしろって」
冬はほぼ毎日、狩猟に出かけていた。元々、働き過ぎだったのだ。
オリガはテーブルに手を突き、立ち上がる。が、足が痛むのか顔を歪め、ふらりと、体が傾いた。
「危ない!」
ミハイルはオリガの体を受け止める。そのまま離れず、体を横抱きに持ち上げた。
「え、ちょっと、ミーシャ!?」
「食堂まで運んでやるから」
「いや、私は歩ける」
「俺が心配だから運ぶだけだ。勝手にさせてもらう」
そう言ったら、オリガは大人しくなった。顔を背け、頬を赤くしていた。可愛かったのでからかいたくなったが、怪我人なので止めておいた。
「今日もミーシャの料理は美味しそうだ」
オリガは食卓を見て、頬を緩める。表情が明るくなったので、ミハイルの張り詰めていた心もいくぶんか和らいだ。
向かい合って座り、食事を始める。
オリガはスメタナのパンを手に取り、一口大に千切って口に運んでいた。
「これは――初めて食べるパンだ。プチプチとした食感が面白いし、香草の爽やかな風味がスメタナに合う」
「だろ?」
ミハイルも食べた。久々に作ったパンだったが、うまく焼けていた。
この辺りで採れる小麦は、都で食べていた物よりも美味しく感じる。土壌がいいのか、水かいいのか、はたまた、特別な作業を経て作られているのか。今度、農作物で生計を立てる緑星の村にも行ってみたいと思った。
スメタナのパンはミルクスープにも良く合う。春なので、乳の出も良いので、贅沢に使って作った。
今度は焼いた鮭を食べる。ベルトからナイフを引き抜き、身を切りわけた。
フォークを刺して、ソースに絡めて食べようとしていると、オリガの動きが止まっていたことに気付く。
「おい、どうした?」
「あ、いや、どうやら、ナイフを森の中に落としてしまったようだ」
おそらく、クマから逃げる時に紛失してしまったのだろう。
一心不乱だったので、わき目もふらず、何を失ったかもわからなかった。
そういえば、採集したキノコ、モリーユもどこかで落としたことにも気付く。
今日のことについては、命があっただけでもよかったことにしている。
だから、気にしないようにしなければ。しかし、オリガはしょんぼりと肩を落としていた。十年ほど使っていたナイフだったらしい。愛着があったように見える。
ミハイルはオリガの皿を引き寄せて、手にしていたナイフで鮭を切りわけた。
「ミーシャ、あの、鮭はやわらかいから、フォークでも……」
「俺がしたいからするんだよ」
フォークにソースを絡めた鮭の身を刺し、オリガの口元へと持って行った。
「ほら」
「え?」
「食ってみろよ」
いわゆる、「あ~ん」というものを、ミハイルはオリガにした。
躊躇う様子を見せていたが、口元に差し出された鮭を観念して食べる。
「どうだ?」
「……美味しい」
全部食べさせようかというミハイルの提案に、慌てて首を振っていた。
二口目を食べたオリガは、再度「美味しい」と呟く。
そんな彼女を見ながら、ミハイルは二人共、無事とは言い難いが生還できてよかった。そう、しみじみと思ってしまった。
◇◇◇
足を負傷したオリガは風呂もひと苦労したようだった。
ミハイルは手伝おうかとも言えず、なんとも心苦しくなる。
風呂上りのオリガが、ポツリと呟いた。
「私もミーシャみたいに、村の婦人会に入ろうかと思っている」
青星の村には、婦人会『気まぐれ猫』という組合がある。
そこでは、月に二、三度『仕立屋 愛しきヴェローニカ』に集まって、料理を持ち寄ってお茶会をしたり、手芸をしたりと、情報交換をしつつ、さまざまな活動を行っている。
こうして怪我をした中で、家でできることは何があるだろうかと考えたが、何も浮かばなかったので、教えを乞いに行きたいと思ったのだと、オリガは話す。
「でも、人付き合いは苦手なんだろう?」
「そうだな。でも、独り暮らしが精一杯で、結婚なんてできないと思っていた私が結婚をして、こうして幸せに暮らしているのだから、これも無理だと思い込んでいるだけかもしれない」
一度、挑戦してみたいと、オリガは決意を口にする。
「どう、だろうか?」
「いいんじゃね? 無理だったら止めればいいし」
「そうか……そうだな」
オリガは今まで、できないことは必要に迫られない限りすべきではないという考えのもとで暮らしていた。なので、「もしも上手くいったら儲けもの」というミハイルの気楽な考えに、感銘を受けていた。
「いや、そんなに感心するようなことでもねえだろ」
「そうだろうか?」
「そうだよ」
話し込んでいたら、日付が変わるような時間帯になっていた。
疲れているはずなのに、どうしてか会話が盛り上がってしまい、今に至る。
「よし、寝るそ」
「ああ」
ゆっくりと立ち上がるオリガを、ミハイルは抱き上げた。
「ミ、ミーシャ、私はもう大丈夫だ」
「はいはい。わかった、わかった」
そう言いながらも、ミハイルはオリガを寝室まで運び、優しく寝台の上に寝かせた。
自らも、隣に横たわる。
やっと、長い長い一日が終わろうとしていた。
ミハイルはぎゅっと、目を閉じる。
しかし、なかなか眠れない。まだ、クマの顔が、脳裏に焼き付いていた。
ふいに、放り出していた手を、ぎゅっと握られる。
「オリガ、どうした?」
「眠るまで、手を繋いでいてくれ」
「別に、いいけど」
オリガの手はぬくぬくしていて心地よい。
手の平の皮は厚く、女性らしくなかった。森暮らしをする中で、いろんな道具を握ってきたからだろう。
本来ならば、華やかな都で大切に育てられ、国民に愛される存在であるはずだった。
なのに、オリガはたった一人で、針葉樹林の森の中で生きていた。
残酷な運命だろう。
大人の都合で、今、ここにいる。
「ミーシャ」
「!」
オリガが声をかけたので、思考が中断された。
「な、なんだ?」
オリガはミハイルの手を、口元に持って行って話しだす。
「今日は、ありがとう。私を見捨てないでくれて、本当に、嬉しかった」
本来ならば、喜んではいけないことだとわかっていると、オリガは呟く。
ああやって命の危機に陥った場合、共倒れするような行動を取るべきではない。
「でも、ミーシャは私を助けてくれた」
「うん」
「だから、ありがとう」
「いいよ、別に」
ミハイルは安心させるように、空いているほうの手でオリガの頭を撫でる。
「おやすみ、オリガ」
「おやすみなさい、ミーシャ」
こうして、夫婦の大変だった一日は幕を閉じた。
◇◇◇
ミハイルはスープとパンを仕込んだあと、『仕立屋 愛しきヴェローニカ』に、馬と犬を連れて買い物に行く。
購入する品はすでに決まっている。
オリガがナイフを紛失していたと言っていたので、店に取り置きしてもらった、黒トナカイのナイフを買うのだ。
按摩の仕事のおかげで、毛皮も貯まりつつあった。
生活に余裕ができたと、オリガも喜んでくれている。
今日も昼前から予約が入っているので、早めに切り上げて帰らなければならない。
途中で『キタキツネの会』の組合員である、サーヴァと出会った。
モリーユ狩りに出かけていたようで、大量だったと自慢される。
「すごいだろ?」
「ああ、すげえな」
「お前さん達は採りに行かないのか?」
「あ、いや、行ったんだが、クマに遭ってしまって」
「ついてねえな」
サーヴァはクマに遭遇したと言っても驚かなかった、針葉樹林の森の中では、珍しくもないのだろう。
「大丈夫だったのか?」
「オリガがちょっと、怪我をしてしまって」
幸い、足を数針縫う程度だった。しかし、サーヴァは深く同情してくれた。
「そうか、気の毒なこって」
サーヴァは見舞いの品だと言って、モリーユを差し出してきた。
「いいのか?」
「ああ。これ食って、栄養付けろ」
「ありがとう。恩に着る」
オリガはモリーユを食べたがっていた。これを使って料理を作ったら、喜んでくれる。
ミハイルはありがたく、受け取ることにした。
「ありがとう、サーヴァ!」
「いいってことよ」
ここで、サーヴァとわかれる。
予定よりも少し遅れて『仕立屋 愛しきヴェローニカ』に到着した。
犬と馬を木の幹に繋げ、店内に入る。
すると――。
「おや、ミハイルじゃないか!」
声をかけてきたのは、村長。『輝ける黄金のトラを射止める会』の組合員でもある、マカール・イサーコヴィチ・エフレモフであった。
ミハイルは顔を強張らせながら、マカールと対峙していた。




