按摩治療院、開店します!
紆余曲折を経て、ミハイルは按摩治療院を開くことになった。
一回の施術代はリスの毛皮三枚。また、それに充当する物。
決して安くない。薬師と同じという、強気の価格設定である。
『キタキツネの会』の組合員達に報告し、他の人にも教えてもらうようお願いをした。ロジオンの店にも治療院の案内書を置いて宣伝したが――客は知り合いしか来ない。
オリガに治療院の看板などがないので入りにくいのではないかという指摘を受けたので、この前折れた白樺の木を使って看板を作ってみる。
――按摩治療院 猛虎の家
木に文字を彫り、墨でなぞっただけの物であったが、なかなか上手く仕上がった。
塀の外に置き、自画自賛する。
「よし、いい出来だ!」
オリガもミハイルの隣に立ち、うんうんと頷いていた。
「ミーシャは手先が器用なんだな」
「そうか?」
「ああ、上手い。しかし、なんで猛虎の家なんだ?」
「……」
ミハイルは問いかけには答えず、空を眺めた。
オリガも深く追及せずに、自身も空を見上げる。
実にいい天気であった。
開店から数日。売り上げはリスの毛皮十八枚。六名の客に施術をしたことになる。
評判は上々であったが、問題は患者のそのすべてが知り合いだということ。
これから一日一人くらい来店するが、ある日客足はピタリと途絶えた。
どうすればいいのか。ミハイルは考えるが名案などすぐに浮かばない。
上の空で夕食を食べていると、オリガに焦るなと言われる。
「最初から上手くいくことなど、何一つない」
「……そう、だな」
思い返すと、ミハイルが都で行っていた路上のパン屋もそうだった。最初はほとんど売れなかった。
「初めのころは、店で人気のパンを三種類売っていたんだ」
細長くハードな食感のパンと、黒パン、それから、丸くやわらかな白パン。
都一おいしいパンだと、かつて勤めていた店では評判で、焼くのはミハイルの仕事だったから、誇りに思っていた。しかし、店を離れたら、見向きもされなかった。
「たぶん、店の評判も味に上乗せされていたんだ。だから、店を離れたら売れなかった」
「なるほど」
ミハイルの店もまだまだ実績が足りない状態だった。
ならば、どうすればいいのか。
「老師からも、宣伝をしてもらうとか」
「いいかもしれない。それか、家に、宣伝を書いた板を置いてもらうよう頼むとか」
さっそく実行する。
すると、ちょこちょこと客足が増えた。しかし、それでも一週間に二、三人と収入としてはいささか心細い結果であった。
「う~~ん」
「ミーシャ。何度も言っているが、焦るな。老師のところだって、按摩の客は多くなかっただろう?」
「そうだけど」
「気長に頑張ろう」
ミハイルは眉間に眉を寄せた険しい顔で返事をした。すると、オリガに眉間の皺を伸ばされてしまう。
「伸ばすな」
「私はミーシャの笑った顔が好きだから」
そう言われると、強張っていた顔は自然と解れる。
みるみるうちに顔を真っ赤にさせて、わなわなと震え出した。
「ちなみに、その顔も好きだ」
「どんな顔だよ!」
顔が燃えるように熱い。
だんだんと気恥ずかしさに耐えきれなくなり、ミハイルはオリガに背を向けた。
◇◇◇
ミハイルの店の評判は、『仕立屋 ヴェローニカ』の客の間で噂になっていた。
ロジオンは店番をしていた母親や祖母から聞いた話をミハイルに話す。
「あのね、施術後に出てきたパンとスープが美味かったとか、パンとスープが最高とか。それから、パンとスープをもう一度食べたいとか」
「全部パンとスープについてじゃねえか!」
ミハイルは頭を抱えて叫んだ。
施術後、ちょうど昼辺りの時間帯になることが多く、昼食に作っていたスープとパンをおまけとして振る舞っていたのだ。まさか、それが評判になっていたとは。
ミハイルはどうしてこうなったと、消え入りそうな声で呟く。
「いや、ミーシャ。むしろ、これを売りにしたらどう?」
「パンとスープを?」
「そう。やっぱり、按摩ってこの辺りではあまり聞かないし、気になるけれどちょっと怪しいな、なんて思うけれど、パンとスープのおまけ付き、みたいな特典があったら、行ってみようかなってなるかもしれないよ」
「ああ、なるほど。そうだな……」
ちなみに、パンは以前『キタキツネの会』の組合員に大絶賛されてから、白星の村のパンを研究し、味を似せることに成功していた。
なので、ふるまったとしても心配はない。
「わかった。一度オリガに相談して、やるかどうか決める」
「うん、わかった」
引き続き、宣伝の協力をしてくれるというので、お礼を言って店を出た。
帰宅後、さっそく相談する。
オリガはパンとスープのおまけに関して、賛成してくれた。
「いいのか?」
「パン一個とスープ一杯くらいならば、問題はない」
「そっか。ありがとう」
こうして、ミハイルの店はパンとスープをおまけにした商売を始めることになる。
結果、これが受けて、一日に一人か二人来店するようになった。
他の村からも、評判を聞いてやって来る。
しだいに顧客も付いてきたので、週に二度の休みを入れて、予約制にした。
収入は安定しつつあった。
普段の家事に加えて、按摩の施術も一日に二、三人行っているので、ミハイルは毎日くたくたになった。
寝台に入ると、疲れているのですぐに眠ってしまう。
◇◇◇
すうすうと眠るミハイルを、オリガは見下ろす。
目にかかっていた前髪をかき上げると、出会ったころよりも顔立ちが大人っぽくなっていて驚くのと同時に、胸がドキンと高鳴る。
もう、少年とは呼べないだろう。
ミハイルがここにやって来て、早くも半年が経っていた。
針葉樹林の森は、ミハイルを一人前に育ててくれた。
そういえば、最近目線の高さも同じだったことに気付く。以前までオリガのほうが高かったが、ミハイルの背はぐんぐん伸びていたようだ。
腕や肩なども、前よりがっしりしているような気もする。
来たばかりのころのミハイルは、周囲を警戒し、オリガのことも信じていいのかわからない、背中の毛を常に逆立てた小グマのようだった。
その姿に、オリガは自分が守らなければと、庇護欲を掻き立てられていた。
けれど今は、ぜんぜん違う。
力仕事は率先してやってくれるし、さまざまな面において、オリガはミハイルを頼るようになっていた。
守る立場から、いつの間にか守られる立場に変わっていた。
そのことを寂しく思うのと同時に、嬉しくもなる。
今まで感じたことのない、フワフワとした感覚であった。
これからどうなるのか、オリガにはわからない。
でも、二人で力を合わせて頑張ったら、どんな困難も乗り越えられるような気がしていた。
そして、いつか本当の夫婦になれるのだろうか。
眠っているミハイルに、オリガは低い声で問いかける。
もちろん、答えはない。
本当に夢のような話ではあるが、叶うならば、子どもがほしい。
今でも十分満たされた日々なのに、オリガは望んでしまう。
家族が増えたら、強くならなければならない。なのに、最近優しい顔になったと言われることがある。
それは嬉しいことだった。
変化はそれだけではない。
だんだんとミハイルに依存し、なくてはならない存在となっていることに気付く。
心身ともに頼り、甘えることもあった。
オリガは、前よりも弱くなってしまった。
どうして、そうなってしまったのか。自問するが答えは出てこない。
もっともっと強くなって、この幸せな日々を守らなければならないのに。
そう思うと、どうしてか涙が溢れてくる。
そもそも、幸せなど永遠のものではない。
父親との暮らしも、そうであった。
人と人の間に、別れはいつか訪れる。運命も、死も、避けられない。
ミハイルと過ごす日々を大切にしよう。感謝の気持ちも忘れずに。
いつか、別れがくるその日まで。
オリガはそんなことを考えながら、眠りにつく。
◇◇◇
――雪は解けつつある。
氷の花を咲かせていた樹氷の花は散り、緑が顔を覗かせていた。
針葉樹林の森に、暖かな風が訪れる。
季節は巡り、春が近付いてきていた。




