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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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19/85

オリガの『狩り』

 ラゥ・ハオはオリガの接近に気付いていない。

 毛皮が並ぶ店を嬉しそうな表情で覗き込んでいる。

 部下は二人。交易品の入った包みを抱えていた。

 オリガは周囲の様子を探り、慎重に行動する。

 もちろん、人混みの中で刃を抜き、襲うことはしない。

 今日は楽しい自由市だ。

 関係ない人々を騒ぎに巻き込もうとは、考えてもいなかった。


 オリガは天幕の裏に回り込む。

 向かい合った位置に立つが、相手は買い物に夢中で気付いていない。

 ラゥ・ハオが進んだら、オリガも進む。

 その様子は、野生のトラの狩りのようでもあった。


 店から店へ移るごとに、ラゥ・ハオの部下達の腕の中は毛皮でいっぱいになる。

 自身の交易品と毛皮の交換を、順調に行っている。しかし、最後の店に辿り着いた頃には、手持ちの品も尽きてしまったようだ。

 部下に馬のある場所へと戻るよう命じたのか、散り散りになる。ラゥ・ハオは、まだ自由市を見て回るようだった。

 ミハイルを抱えたまま、特に問題もなく歩き続けている。大した力持ちだと思うのと同時に、もう少しミハエルを太らせなければと考える。

 ――ここでぼんやりしている場合ではない。

 部下がいなくなった今こそ、最大の狙い時であった。

 オリガは動き出す。

 速足から駆け足へ、ラゥ・ハオが天幕と天幕の間を通った瞬間に、急接近してナイフを引き抜く。

 シャキンと、刃と鞘が擦れ合う音が鳴った。しかし、それもこの喧騒の中ではかき消される。

 オリガは迷うことなく、ナイフを握る腕を振りかぶり――ラゥ・ハオの首に切っ先を突き付ける。

 そして、低い声で命じた。


「――止まれ。大声をあげず、黙ってこちらに来い」 


 オリガの言葉にラゥ・ハオの顔は引き攣り、重々しく頷いた。


 オリガとラゥ・ハオは、人混みを避け、閑散としているほうへと向かった。

 静かな場所へと歩いて行く。


「……オリガ、ネエ、ソノ物騒なノ、しまってクレナイ? ゾワゾワするヨ」

「黙れ、盗人」


 オリガはナイフの切っ先をラゥ・ハオの首に向けたまま。

 約百名の部族を率いる遊牧民の長の額には、脂汗がじんわりと浮かんでいた。


 二人は村を離れ、牛や羊を放牧してある平原に出てくる。


 本日は晴天。風は凪いでいた。

 白い雲は青空に浮かんでゆっくりと漂っている。

 牛は草をみ、羊はメェと鳴く。平和な光景が広がっていた。


 オリガはどうしてこんな日に、人に向かってナイフを突きつけているのかと悲しくなった。


 ラゥ・ハオは一瞬の隙を読み取ったのか、ミハイルを抱えたままオリガの体を突き飛ばして走り始めた。

 しかし――逃げた瞬間に響く銃声。

 オリガはベルトに差してあった短銃で、得意の早撃ちを披露した。

 銃弾はラゥ・ハオの足首に掠めたのだ。


 ミハイルごと、転倒するラゥ・ハオ。


 毛皮に包まれたミハイルは、少し離れた位置に転がって行った。


 続けてオリガは背中からくるりとライフルを回し、手元へと持ってくる。

 素早く遊底を操作して、初弾を膨張室に押し込んだ。

 銃身を体にぐっと当てて、安全装置を外す。引き金に指先を引っかけ、オリガはまっすぐに構える。

 ここまで、十数秒だった。

 ラゥ・ハオが起き上がり、背後を振り返った瞬間には、ライフルの発射準備が終わっていたのである。


 逃げの姿勢を取ったので、オリガは叫んだ。


「ラゥ・ハオ、動いたら脳天を撃つ!」

「!」


 ラゥ・ハオは両手を挙げ、降参の姿勢を取っていた。

 一度話し合おうと、提案してくる。


「では、夫から離れてもらおうか。変な行動をしたら、その瞬間に撃つからな。さっきは、わざと外してやったんだ」


 銃の腕を体感したラゥ・ハオは、コクコクと頷きつつ、ミハイルから離れていった。


 逆に、オリガはライフルの銃口を相手に向けつつ、ミハイルのほうへと近付いていく。

 視界にしっかりと敵の姿を捉えつつ、確認をする。少し乱暴であったが、毛皮に包まれたミハイルを足先で転がした。幸い、コロリと転がって全身が露わとなったミハイルの体に、外傷はない。

 もぞりと動いているのを見て、単に眠っているだけだとわかった。


 オリガは再度、ラゥ・ハオをジロリと睨みつけた。


「質問に答えろ」

「ナンデモ」

「なぜ、夫を連れ去った?」

「美シイダカラ、国ノ、皇帝に献上スルタメ、ダヨ」


 オリガの家に、大量の交易品を置いてきたではないかと、必死の形相で主張する。


「交渉をせずに、勝手に持ち出すのは盗人のすることだ」

「ゴメン、ゴメン! 絶対なる至宝、ダッテ、思ったカラ」

「お前の命を引き換えでも、応じなかった」

「酷イナ」


 家族とは、かけがえのない存在ものである。

 物々交換で、ミハイルの代わりが見つかるとは思っていなかった。


「悪カッタ、本当ニ」


 ラゥ・ハオは地面の上に膝を折り曲げて座り、こうべを地面につけた。

 誠心誠意の謝罪の姿勢を見せる。


「何をシタラ、許シテクレルのか」

「二度と、私と夫の目の前に顔を出すな」

「エエ、ソンナ!」


 ラゥ・ハオはオリガを青星の村一番の狩人だと評価していた。

 ぜひとも、この先も付き合いたいと主張している。


「盗人と取引など、ごめんだ」

「お願イ! 今日ダッテ、欲シイ毛皮、あまりナカッタ!」


 何度も何度も、平伏していた。

 家にある交易品はあげるので、どうにかこの先も取引をしてほしいと頼み込まれる。


「オリガノ、コトヲ、嫁にスルトカ、この先一生、言わない! その黒髪の男も、欲シガラナイ!」


 どうか、友人として、また、取引相手としての付き合いをと懇願された。

 オリガはどうしようか、考える。

 相手は異国の遊牧民。気まぐれで、誓った約束を違えないという保証はどこにもなかった。


「もう、シナイ、絶対に。草原の誇り高き神の名にカケテ!」


 神の名を口にした時の約束事は絶対である。

 遊牧民であるラゥ・ハオも深い信仰心があり、偽りの言葉ではないことは確かだと、渋々認めるしかなかった。


 やっとここで、オリガはライフルを下ろす。

 ラゥ・ハオは嬉しそうな表情を浮かべたが、オリガの表情が硬かったので、しゅんとなる。


「ダ、ダメ?」

「……」


 オリガは腕を組み、眉間に皺を寄せていた。

 さながら、娘は嫁にやらないと怒り狂う、頑固親父のようである。


 縁を絶ちたくないラゥ・ハオは、頭を抱えた――が、名案を思い付いた。


「ソ、ソウダ! 二人の、結婚祝い、馬、二頭、あげる!」


 なんと、一族の至宝である馬を、二頭もオリガとミハイルに捧げるというのだ。

 これは、保身から出た言葉ではない。

 馬は一族の宝。大事に大事に育て、誰にも譲らなかった存在ものだ。

 それを差し出そうというのは、誠意の気持ちを示すのと同義である。


「モウ、これ以上の宝ハ……」

「いいだろう」

「エ?」

「お前の馬をいただく」

「!」


 ラゥ・ハオは立ち上がり、歓喜に震える。

 そして、オリガに抱きつきに来ようとしたので、再度ライフル銃を構えて威嚇した。

 それでも近寄ろうとしたので、オリガは引き金を引く。

 パン! と乾いた音が鳴り、ラゥ・ハオの頬のすぐ横を銃弾が通過していった。

 弾が掠めた頬からは、血が滲む。


 ラゥ・ハオは腰を抜かし、その場に尻もちをついた。震える声で、オリガに声をかける。


「――エ、仲直り、シナイノ?」

「私とミハイルには近づくな」

「ト、友達ナノニ!?」


 オリガの発言に愕然としていたが、自業自得だと思ってそのままにしておいた。

 気を許したら、どこまでもつけあがる性格だと、わかっていたのだ。


 ◇◇◇


「……ん、なん……?」


 ここで、ミハイルが目覚める。

 しばらくパチパチと瞬きをしていたが、上からオリガに覗き込まれて、意識がはっきりする。

 勢いよく起き上がり、果ての見えない平原に目を丸くしていた。

 遠くには放牧された牛の姿が見える。羊もいた。

 狩猟に出かけていたはずのオリガもいる。

 わけがわからなくなり、叫んだ。


「こ、ここどこだよ!! それよりも、クッソ寒いな!!」


 元気よく叫ぶミハイルの前にオリガはしゃがみ込み、ぎゅっと体を抱きしめる。


「わっ、あんた、なん……!?」


 むぎゅっと、やわらかい体が押し付けられて、ミハイルは赤面した。

 オリガは震える声で、耳元で囁く。


「――よかった、無事で」

「は!?」


 視界の端に、ラゥ・ハオが映る。

 目が合うと、気まずげな笑みを返していた。


 ここで、頭の中が僅かに整理される。


 今までオリガの家にいて、遊牧民の男の暴飲暴食に付き合っていた。なぜ、屋外の見慣れぬ場所にいる?

 考えてもわからないので、聞いてみた。


「俺、なんでここにいるんだ?」

「ラゥ・ハオが、お前を薬で眠らせて連れ去ったのだ」

「は!?」


 呑気な様子で、ラゥ・ハオはヒラヒラと手を振る。


 驚くべきことに、遊牧民の男はミハイルを自国の皇帝に献上しようとしていたのだ。


「はあ!? 男に男を献上って、ばっかじゃねえの?」

「そうとしか言えない」


 ラゥ・ハオはミハイルにも平伏の姿勢を取り、誠心誠意謝罪をした。


「ま、まあ、別にいいけれど」


 あっさりと、ミハイルはラゥ・ハオを許した。


「優シイ……オリガと違ッテ、スゴク、優シイ」


 別に優しくしたつもりはない。この先付き合うこともないだろうから、どうでもいい返答をしただけだ。

 それにしてもと、疑問に思う。

 オリガはいったい何をしたのか。気になったので問いかけた。


「奴を、蜂の巣にしようと思った」

「……」


 そう語る視線は、猛虎そのもの。

 トラなど見たことないが、ミハイルは確信した。

 怒りを露わにする様子に、全身鳥肌が立つ。

 この答えは、他人事ではない。

 絶対にオリガを怒らせてはいけないと、胸に刻み込んだミハイルであった。

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